<その1からの続き>
前回からの続き、再び釜ヶ崎の記事です。
前回はドヤにチェック・インしただけで終わってしまいましたので、今回からは本格的に街歩きをしていきたいと思います。
現在の釜ヶ崎とは、関西本線新今宮駅以南、西成区萩之茶屋1丁目および2丁目の一部地域を指すそうです。
以前はもう少し広範な地域を指していたこともあり、地名として厳密に残っているわけではありませんが、現地へ行けば雰囲気でなんとなく「だいたいこの辺りが釜ヶ崎だな」と感じられると思います。
釜ヶ崎の特徴としてまず上げられるのが、「物価が安い」ということです。
例えばこの自販機、ちゃんとした(?)メーカー品が入っていますが、標準価格が50円、最低価格になると30円でジュースが買えます。
消費期限が切れているという噂もあり、実際に買ったことはありませんが、とにかく安いです。


感覚で言うと、通常の地域の1/2~1/3程度の価格で飲食ができる感じです。
実際大して金銭を使わないため財布を携行するまでもなく、写真のように煙草の箱に挟んだ数枚の千円札と、ポケットに突っ込んだ小銭で生活していました。

タバコの自販機も、圧倒的な『わかば』率です。
他にショッポも多く、自販機は概ね200円台でした。

風呂無し物件が多いため、必然的に銭湯の数も多くなります。
釜ヶ崎周辺(徒歩10分圏内)には、5件もの銭湯があり、今も現役で営業を続けています。
どこも広くて綺麗です。

南海本線のガード下にはこんなグラフィティアートが。
街を明るくするためのものらしいですが、反面高架下で寝起きしていた労務者を追いやる「排除アート」と見做す向きもあるそうです。


夕暮れ時の釜ヶ崎。
移動手段は自転車が主です。

要塞のような西成警察署。
自転車に乗った警官が街中をパトロールしているのですが、その周囲からは時折
「税金泥棒!」
「誰の金で飯食ってんだ!」
といった罵声が聞こえてきます。大変なお仕事です。

毎年の暮れになると、労務者達が無事冬を越せるよう、「越冬闘争」という名の支援活動が行われます。
炊き出しの他、歌謡ショー等のレクリエーションや餅つき大会、記念撮影や有志による物販等も行われています。

普段は怖くて入れない三角公園も、この期間は明るく賑わっています。

写真撮影コーナーには、過去に撮影された写真が並べて展示してありました。主に労務者の方々を写したものですが、それぞれの顔の皺にそれぞれの人生が刻まれているようで、皆いい写真ばかりでした。
我々も写真を1枚撮ってもらいましたが、労務者の方々の写真と並べると、どこか人生経験の伴っていなさが顔に出ているように感じます。
みんな大好きスーパー玉出、その近くで店開きしている露天。古めかしい写真集などが無造作に並べられていました。


釜ヶ崎から望むあべのハルカス。
東京でも山谷や吉原あたりからもスカイツリーを望むことができますが、社会のボトムから社会のトップを見上げる、あるいはトップからボトムを見下ろすことができるのは、なにかの皮肉でしょうか。

年末ということもあり福祉センターは休み。
寒空の下ですが、労務者の方々は様々に工夫をしておいででした。


山谷にせよ釜ヶ崎にせよ寿町にせよ、街が高齢化しており、ドヤも福祉住宅化しているような印象を強く受けます。実際私が泊まった宿にも、こんな壁書きがありました。

釜ヶ崎には外国人観光客が多く宿泊しており、ドヤも活況を呈しています。意図せずとも「宿からドヤへ」の転換を果たしている感じがしますが、それでも今の街の姿が何年先まで残るかは分かりません。
かっては労務者の街、今は貧困者の吹き溜まりとしての釜ヶ崎を善しとするわけではありませんが、失われゆくものへのノスタルジーを感じてしまいます。
私も、少しのあいだ宿無しで暮らしたことがありますが、みずから進んでそうなったわけではありません。
「貧困は悪である」というのは言うまでもないかもしれませんが、期せずして貧困に陥ってしまった人、またそういうふうにしか生きられない人というのも、世の中にはいるはずです。
釜ヶ崎や山谷、寿町が、そういった人々を受け入れ、救いとなる街として残っていけばいいなと思ってしまいます。
しみったれた話はこのへんにして、次回は釜ヶ崎のグルメを紹介したいと思います。
<その3へ続く>