忘れる

02.メンタルヘルスのこと
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忘れもしない2014年6月10日、新卒で入った会社を退職した。

新卒の会社の性格について、ここで詳しく述べるのは公平ではないので避けるが、途中でうつ病になったり、自殺未遂をしたり、ひどいパワハラにあったりと、散々な思い出しかない。退職するときも、先輩からの苛烈なパワハラに耐えられず、会社から逃げ出すように失踪して、もう死んでしまおうかというところまで追い詰められて、すんでのところで、退職の手続きを踏むことができた。

その先輩は、自身がパワハラ・モラハラ気質であることを自覚しており、そして、それを悪いとも思っていないようだった。先輩のもとに配属されたばかりのころの会社の酒席で、「俺は過去に六人の若手を退職まで追い込んだ、お前が七人目になるかもな」と、笑いながらそんな話をされたことがあった。そして、それはすぐ現実になった。

私は、入社後ずっと外勤営業に従事していたが、その先輩のもとでは、営業事務の仕事をすることになった。おなじ会社のことなので、ゼロからのスタートというわけではないが、いかんせん勝手がわからない。仕事については、先輩の指導・指示を仰ぐように、さらに上の上司から言われていたので、分からないことがあったときには、その都度先輩にたずねるようにしていた。

ここで、1つ目のパワハラが始まる。先輩は、私の質問に、一切答えてくれない。というか、私の話を、一切無視している。目も合わせてくれない。別の同僚がフォローしてくれたりはするのだが、何分多忙な職場だったので、毎回助けてもらうわけにはいかない。先輩は私のことを、いないもののような態度を取ってくる。

仕方なく、業務マニュアルや、過去の資料などを参照しながら仕事を進める。そうすると、今度は罵声が飛んでくる。「なんで聞きに来ないんだ」「いい加減な仕事をするな」もっともらしい叱責、よくある話だ。先輩は、罵声を浴びせているときだけは、私のことを見てくれていた。

2つ目、先輩は業務中も、飲み会のときなども、私のことを無視していたが、1日に6回、先輩から私に接触してくるときがあった。

1回目は始業前。毎朝先輩に「業務予定表」を提出することになっていた。デスクで予定を記入していると、後ろに座っている先輩から「まだ出ねえのかよ」「トロくせえな」などの罵声が飛んでくる。出したら出したで、その内容について「これで仕事してるって言えるのか」などと罵倒される。

2回目は始業後。接客業だったので、開店と同時に顧客が来店することもある。だが、毎朝始業時間ギリギリまで詰められているため、接客の準備が十分にできていない。「段取りが悪いな」そこでまた罵倒される。

3回目はお昼休み。就業規則にしたがって、60分の休憩を取ることが義務づけられていたのだが、非常に多忙だったため、実際は食事をとるための10分程度しか休憩できなかった。そしてその10分も「仕事してねえくせに飯は食うのか」と罵倒されて終わる。

4回目は閉店後。顧客がいなくなったところで、営業時間内のダメ出しとして、「今日も使えなかった」「役立たず」と言った感じで、毎日罵倒される。

5回目は終業後。朝に提出した「業務予定表」を見ながら、各業務の進捗を確認される。朝なじられながら作った「予定表」には、到底ムリな量の業務が押し込まれており、当然終わっていない。そこで「なんで終わってねえんだよ」「使えねえ」などと罵られる。

ラスト6回目は退勤前後。だいたい毎日残業で、帰路につくことができるのは、毎日22時くらい。毎日8時前には出社しているので、14時間は会社にいることになる。「残業しないで帰る」という道はない。仕事が残っているし、なによりみんな残業しているから。そこで先輩から「仕事が遅いせいで残業か」「残業代泥棒」などとなじられて、一日が終わる。

他にも、備品の※※で殴られそうになったこともあった(特殊な備品なので伏せますが、凶器です)。

長くなってしまった。こういう目にあうのがたまになら、まだ耐えられたのかもしれないけど、毎日のルーチンになっていたからたまらない。このときには、既に双極性障害(躁うつ病)を患っていて、このパワハラによって、精神の状態は激的に悪化してしまった。そうして会社をバックレて、自殺を図ることになる。

当時の情景は、今でも克明に再生できる。正確な記憶ではないかもしれない、思い出補正(?)みたいなのも入っているかもしれないけど、先輩からされたことは、まだ忘れられない。

ただ、記憶の性質というか、記憶に抱く感情は、当時と今とでは、まったく違う。

はじめは、恨みより恐怖が勝っていた。近寄りたくないし、二度と会いたくないと思っていた。職場が家の近所だったから、しばらくは怖くて外出できなかった。

ろくでもない退職の仕方だったから、また会ったら強くなじられるんじゃないか。精神的にかなりまいっている時期だったから、さらに追い詰められることが、本当に恐ろしかった。

退職後は半年ほど引きこもっていた。うつ症状が悪化していたのが主因ではあるが、先輩に対する恐怖というのも、またあった。

一年もすると、ずいぶん調子もよくなってくる。外出したり、趣味に取り組んだり、そういう有意義な時間の使い方をする余力が出てきた。すると、今度は恐怖が消えて、代わりに、強烈な怨嗟がわいてきた。

奇遇にも、手元に職場の連絡網が残っていたため、先輩の自宅所在地はわかる。ここには書かないが、いろんなことを考えた。

先輩には家族がいた。既に離婚していたが、元妻と子供が二人いた。先輩が建てた家に、今でも住んでいるらしいことも、わかっていた。先輩の家族に罪は無いが、私も、こんなことをされるいわれはなかったはずだよな。そんなことを考えるくらい、強い憎しみがわいていた。

ここで幸いだったのが、当時の私の生活が、それなりに充実していたことだ。当時は、ロードバイクに燻製に小説にと、趣味にエネルギーの大半をさいていた。そのあとはアルバイトを始め、こちらもかなり多忙だったりして、先輩への強い怨嗟の念は片時も消えたことはないが、それをなんらかの行動に移す余力がなかった。

そもそも、そんなことをして捕まったりするくらいなら、自分の生活を充実させたほうがいいよなと、極めて前向きな思考ができていたことに今気づいて、嬉しくなっている。当時の私はえらい。やることがなくて、ヒマだったら、多分なにかを致していたと思う。

そしてその後、上京して就職。今に至る。

あの先輩のことは、もうどうでもいい。いや、積極的に会いたいとかはないし、今でもまだいい感情は持てないんだけど。かつてのように、外を歩けないほど怖い、とか、おなじ目かもっとつらい目にあわせたい、とかは、もう考えなくなった。謝罪してほしいとかも、特にない。だって、多分もう会うことも関わることもないだろうから。どこでなにをしていようが、私には関係ない。

そりゃまあ、公的な許可があれば殴るなりなんなりしたいが、日本は私刑私闘は禁止だし、法を犯してまでどうこうしようという気は、一切なくなった。

憎しみが消えたわけではない、まだ憎い。けど、以前のように身を焼かれるような痛切な憎しみではない。

こう思えるまでに5年かかった。トラウマレベルの大変な損害だったから、正直に言えば、あのバカ会社には、なんらかで補填してもらいたいが。

この五年間で、あのころのことを思い出してはひどく落ち込んだり、強い怒りや憎悪に駆られたり、悲しいつらい思いに沈むことは何回もあったし。しかしどうすることもできず、めちゃくちゃ苦しかった。

最近は、以前ほど深く考えこむことはなくなった。幸いかどうかはわからないけど、パワハラ仲間・ブラック労働仲間みたいなのができて、そういうなかでは、笑い話にすることもできる。パワハラかるたをすると、私のカードはそこそこ強いので、おもしろい。

直近で勤めていた会社で、部下を持ったときには、当時の記憶を反芻して、反面教師にする余裕もあった。

先輩のこと、いまだに「許せない」という気持ちはあるし、落ち込んだときなどは、やはり納得できなくて、ぶり返すこともある。それでも、以前ほどの苦しみを感じることはなくなった。これは大きな変化だと思う。

「イヤなことも時間が経てば忘れるよ」って、よく言われるじゃないですか。まあそう都合よくいけばいいけど、強烈な記憶、特にイヤな記憶だと、案外忘れられない。私は、5年経ってもまだ忘れられねえ。今でも、アイツのことは絶対に忘れない、絶対に許さないという、信念がある。

ただ、同じ記憶でも、その受け止め方が、時間の経過や環境の変化とともに変わっていくのは事実だと思う。

イヤな例を挙げると、学生時代の虐め加害者、確実に悪意でもって加虐をしていた人間が、大人になった虐め被害者へ親しげに近づいてきて「昔はよく一緒に遊んだよな」「よくイジってやったよな」などと抜かすことがある。

これは加害者のなかで、「悪意の加虐」が「善意の遊び」に置き換わっているせいだと思う。被害者にとっては忘れられない、イヤな記憶でも、加害者がおなじように記憶しているとは限らない。思い出は、薄まったり美化されたりする。

人は、自分にとって都合がいいように記憶を捻じ曲げる。ズルくてイヤな性質だけど、これは悪いことばかりじゃない。たとえば、かってはものすごくイヤだった思い出でも、時間とともにいい感じに調理されることもあるのではないかと思う。

多分それが「忘れる」ということなんだと思う。いや、まだ忘れとらんが。記憶の容量が一定だとするならば、先輩に関する記憶がそこに占める割合は確実に減っているし、重要度も下がってきている。悲しいね。

頭のなかでは片時も忘れたことはないつもりだったけど、「絶対に忘れない」「絶対に許さない」と強く思っていても、実際はもう名前もしっかり思い出せない、顔も思い出せないから、どこかでバッタリ会っても気づかないだろう。あと5年もすれば、「そんなこともあったね」くらいにはなってるのかもしれない。

イヤな記憶や悲しい思い出が忘れられなくてつらい人、結構いるんじゃないかと思う。私は、わりとなにごとも根に持つほうっていうか、駅で少しイヤな思いをしたとか、電車で少しイヤな思いをしたとか、そういうのは漏らさず克明に記憶してるんだけど、やっぱりなかなか忘れられない。思い出してはイライラするし、自分の心のせまさがつらい。

何度も言うが、先輩の記憶、憎しみが弱まるまでに5年かかったし、5年経った今でも、まだ憎んでいる。以前のように、具体的な害意を持つほどではないが、それでもまだ憎い。まだ囚われているし、苛まれている。

それでも、そういう記憶も、いつか忘れてしまうんだろう。頭のなかから完全に消すのは不可能か、多分とても長い時間が必要だろうけど、ちょっとずつ変容して、ちょっとずつ薄まって、ちょっとずつ存在感を失っていく。

いい思い出にせよ、イヤな思い出にせよ、簡単には忘れられないのが当たり前なんだと思う。雨ざらしのコンクリートのように、始めは心のなかにどっしり根を張っているが、時間とともに少しずつ朽ちていって、形を変えていき、最後はわずかな痕跡を残して消えてしまう。記憶って、忘れるって、そういうことだと思うようになってきた。

だから、もう過去のイヤな記憶や悲しい思い出に、あまり囚われたくない。それらは、どうせそのうちいなくなる、それまで苦しむのはしょうがないものとして、受け入れるしかないと思う。

先輩からのパワハラも、友人の自殺も、そのうち私の記憶のなかから、勝手に去っていく。それを無理に忘れようとして、余計に苦しみたくない。無理に意識して忘れようとすると、かえってその記憶とがんじがらめになってしまう気がする。

同時に、いい思い出も、いつか忘れて消えてしまう。

ちょっと前に、結婚式を挙げた。手前味噌ながら、大変いい式だったと思う。ウェディングドレスを着た妻を見た瞬間から、胸に迫るものがあった。チャペルの扉が開いて、義父と腕を組んだ妻の姿を見たとき。そして義父から妻の手を渡されたとき。自分がこれから生きていく意味の一端を掴んだような気がした。まあ、私は無職なのだが。

いや、ガチガチに緊張していて、あんまりちゃんと覚えてないんだけど。こういう思いや記憶も、いつか風化して忘れてしまうのかと思うと、仕方ないこととは思いつつ、とても悲しい。美しい記憶は、美しいままで、ぼんやりとでもいいから、自分のなかにずっと残っていてほしいと思う。

しずくだうみさんというシンガーソングライターの方がいて、とても良いので、みんなにも聴いてもらいたい。Apple Musicのサブスクに入っている。

その人の『やがて染まる色彩』というアルバムのなかに、『忘れる』という曲があって、この記事とは文脈が全然違う「忘れる」なんだけど、その曲を聴いて「最後は、全部忘れちゃうんだなあ」と、自分のなかの記憶が、少し切なくなってこの記事を書いた。

くだらねえパワハラ野郎の思い出なんか、もう心底どうでもいい、もっと大事な記憶を重ねて、それを慈しみながら生活していきたい。

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