しょぼい喫茶店のこと

04.じんせいのこと
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※しょぼい喫茶店は、2020年2月29日に閉店しました。本当にありがとうございました。

しょぼい喫茶店(以下しょぼ喫)へ通うようになって、もうしばらく経つ。4月10日には、『しょぼい喫茶店の本』が出る。他人事ながら、感無量である。しょぼ喫には特別な思い入れがあるので、書籍出版に際しては、私もなにか応援をしたい。たとえば、買い支えとか、支援広告とかできたらいいのだけど、まったくお金がなくてむずかしい。なので、せめて個人的な体験を共有して、少しでもしょぼ喫とその本に興味を持って頂けたらいいなと思う。つまり、これは提灯記事です。

はじめてしょぼ喫へ行ったのは、たしか2018年の6月ごろだったと思う。妻が中野へ行ったとき、区の情報誌かなにかでしょぼ喫のことを見たらしく、面白そうだから、近くへ寄ったついでに行ってみようという話になった。

近くまで行ってみたはいいんだけど、はじめは場所がわからなかった。行ったことがある人ならわかると思うが、店の場所は少しわかりづらい。当時は、開店して間もないくらいの時期だったせいか、今ある立て看板とかも出ていなかったような気がする(出てたらごめんなさい)。そういうわけで、しょぼ喫にはたどり着けず、しょぼ喫の目の前にある鶏肉店で、焼き鳥を食べて帰った。おいしかった。

一旦は「縁がなかった」と思いあきらめたが、なんとなく気になっていたので、少ししてから場所を再確認して、再訪してみた。今度は、ちゃんと見つかった。

妻から「若い人がやってるらしい、最近できた喫茶店」とは聞いていたが、それ以外、なんの予備情報も持たずに行った。背の高い男性が店の番をしていて、この人が店長かと思ったら、違った。その人は日替わりの店番さんで、店の成り立ちや、しょぼ喫のイベント営業などについて、詳しく説明してくれた。店長の池田さんについても、このときはじめて聞いた。

店長の池田さんにも会ってみたいと思ったが、当時は店の営業予定やルーチンをろくに把握していなかった、調べもしていなかったので、なかなか会えなかった。まあ、居心地はいいし、ちょうど時間をつぶす場所を探していたし、そのうち会えるだろうと思って通っていたが、案外会えず、6回くらい通って、ようやく会えた。

それから、特になにかあったわけではないが、何度か通っているうちに私もイベントをやってみたくなって、池田さんに相談したら、こころよくOKを頂いた。そして、2018年9月1日に「退職喫茶あまなつ」という名称で、イベント営業をやらせてもらった。

「退職喫茶あまなつ」本来は、来てくれたお客さんに対して退職をそそのかすという趣旨のイベントだったが、開催の前日に、なぜか私が退職届を提出してしまうという、わけのわからない展開になった。

イベントの開催自体は、7月ごろには既に決まっていて、その時点では退職するつもりなどなかったのだが、そのあとで体調が劇的に悪化。約3年勤めた会社へ、サプライズ的に退職届を提出するに至りました。今ではよい話の種だが、いまだにはなはだ不本意な思い出である。

イベント営業は、楽しかった。自慢になってしまうが、おかげさまで大繁盛だった。しょぼ喫は、カウンター七席のお店だが、その日は常時一五人くらいのお客さんがいた。オペレーションに追われていたせいで、ろくに話もできないし、店内は飲食に困難なくらい混み合ってしまった。来ていただいたお客さんには、たいへんご不便をお掛けして申し訳ないと思っているが、私は楽しかった。

で、まだ個人的な話ですが、9月末付で、会社を辞めた。退職してからは、毎日することもないし、行くところもない。かといって、家にばかりいても落ち込んでしまうので、週2回くらい、しょぼ喫にお邪魔していた。退職直後は、気分的にドン底だったけど、池田さんや、他の店員さんと、よもやま話をしたりしてると、自然と気がまぎれた。

この時期の気分って、本当に最悪で、本当に死んでしまおうかと、何度も考えた。

新卒で入った会社は、双極性障害(躁うつ病)が原因で退職。そのあとは、無職やらフリーターやらで底を這うような生活を送っていた。3年くらいまえに、一念発起して上京、前の会社に就職した。それからは順調な生活を送っていたのに、また病気のせいで、生活がドン底になるのかよ。完治する病気じゃない、常に再発のリスクはあるし、これから何度もこういう目に遭うのか。結局、頑張ってもなにしても無駄じゃん。だったら、死んでも同じじゃん、そんな感じで悩んでいた。

そんな時期に、池田さんから、店を興すに至った経緯、そのときの心象を教えてもらった。また、店に通うなかで、池田さんがどんどん変化していく姿、烏滸がましい言い方になるが、成長していく姿を見せてもらった。「男子三日会わざれば刮目して見よ」と言うが、池田さんとしばらくぶりに会うと、毎回面構えが凛々しく、たくましくなっていくのに驚かされる。

店主の池田さんにしても、他の店員さんにしても、私よりだいぶ歳下なんだけど、みんなすごく前向きで、ひたむきで、とにかくいま自分ができることを、一生懸命やろうとしている。その様子を見ているだけで、励まされた。

また、2018年の秋冬には、私の友人何名かが、しょぼ喫でイベントを開いて、私もその都度お手伝いに入ったりしていた。イベント営業、すごく気軽にできるし、楽しいのでまたやりたいし、いろんな人にやってほしい。ちなみに、お店宛で企画書まで出したのに、まだやってないことがいろいろありますね。すみません。

節目節目のお祝いごとに呼んでいただけたのは、とてもうれしかった。いろんなことがありましたけれども、池田さんと奥さまのご結婚をお祝いできたこと、しょぼ喫の一周年をお祝いできたことは、とても印象深い。

そして現在に至り、私はまだ就職もしていない、具合のほうもいまひとつで、なにもかも足踏みしている感じですが、私のなかに「またなにかをしたい」「まだなにかできるかも」という、希望というか意志というか、心に火がついたような気がする。これはすべて、池田さんはじめ、しょぼ喫の皆さんのおかげです、お世辞ではなく。

落ち込んでるときに、他の人が頑張ってるのを見て、余計と落ち込むこと、あるじゃないですか。私は、はじめ、あれが怖かった。私より、遥かに若い人が、自分のお店を持っている。新しい起業モデルで、メディアにも注目されている。そういう話を聞いていたので、軽くやっかんでいた。はじめて行った6月ごろには、体調も崩れかけていた。そのときは、退職は考えないまでも、将来への不安が多少募っていたので、しょぼ喫へ行くのにも、若干抵抗があった。でも、興味が勝って、行ってしまった。

行ってみたら、いわゆる「頑張っているぜ」的な雰囲気は、まったくなかった。具体的には申し上げませんが、とにかくみんな、悪戦苦闘という感じだったと思う。はじめて池田さんにお会いしたとき、表情や雰囲気から、精神的な余裕のなさ、緊張感を感じたのを覚えている。まだ大学を出たて、飲食店の経営もはじめてなんだから、そりゃそうだろう。

とにかく、目の前のことを一生懸命やる。池田さんは、そのことしか考えてなかったと思う。やっかみは何処かへ消え失せて、「大丈夫かなあ」などと思いながら見ていた。しかし、そのうちメニューが増え、什器が立派になり、内装が綺麗になって、カウンターに立つ池田さんの表情がいきいきとしてきた。そこで、ああ、池田さんたちの日々の積み重ねが、結実しているのだと感動した。

えらいてんちょうさんさんだったか、池田さんだったかのツイートで、「人を救うことはできないが、人は勝手に救われていく」みたいなのを見た。しょぼ喫は、本当に「勝手に救われる場所」だと思う。

メディアとかで、いろんな切り口から話題になったので、まあみなさん、いろんな期待を持って、しょぼ喫を訪れることでしょう。過去のメディア記事を読むと、生きづらい人、心に病を抱えた人などに、リーチしやすいように思われる。たとえば私みたいな。じゃあ、そういう人がしょぼ喫を訪れたとして、すなわち問題の解決、救いにつながるのか。個人的にですが、答えはノーです。

池田さんにしても、他の店員さんにしても、医者でもなければカウンセラーでもないので、診察もできなければ心理療法もできない。しょぼ喫は、ただの飲食店で、単にコーヒーを飲む場所なんです。コーラやオレンジジュースもあるし、食事もできるけど。

言い方は雑になるが、私も今までに、池田さんからなにか特別なことをしてもらったことはない。そういう期待をしたこともない。喫茶軽食はいただいているが、ちゃんとお金は払っている。池田さんと話すと言っても、手すきのときに、接客の範囲においてだけ。飲食店なんだから、当然のことですね。

それでも私は、しょぼ喫で救われたと思う。私の状況は、なにも好転していない。あいかわらず三十路の無職、精神病オジサンなんだけど、内面では、間違いなく救われている。状況はドン底だけど、まだ生きていたい、生きていけるかも、生きていていいのだと思えるようになった。

私だけじゃない、しょぼ喫に関わることで、再び立ち上がることができた人、さらに前へ進んでいった人は、何人もいる。具体的なエピソードを語る立場ではないので伏せるが、何人もの人が、しょぼ喫で疲れた羽を休め、そしてまた羽ばたいていった。できたばかりの喫茶店、なんてことない喫茶店なのに、なぜか勝手に人が救われていく。

私がはじめて池田さんに会ったのは、開店から数ヶ月経ったころ、池田さんが大学を卒業して間もないころだ。学卒を待たず、自分の店を構えたということで、どんなにすごい若者なのだろうと思っていたが、会ってみたらごくごく普通、やや愛想のない青年だった。

でも、とにかく一生懸命だった。池田さんは、お客さんのことを、店のことを、他の店員さんのことを思いやって、なるべく上手くいくように、四苦八苦していた。さっきも書いたけど、「目の前のことをひたむきにやる」それしか考えてなさそうだった。暗中模索だから悩む、頭を抱えつつも、常に必死に進もうとしているように見えた。気迫があった。

池田さんの姿を見ていると、人生で大事なものなんて、実はそう多くないんじゃないかと思えてくる。学歴とか、キャリアとか、お金とか、名誉とか、人脈とか、成功とか、家とか、車とか、そういうものは、人生の価値の表層であって、本質っていうのは、家族友人と自分たちの生活、それくらいのもんじゃないかと思う。

手前味噌なんだけど、私は病気をするまでは大変デキが良くて、たとえば会社からの評価も高かったんですよ。病気をしたせいで、めでたく台無しになってしまったわけだが。それからも「私はなんでもできる」「私はなにかをやらねばならない」みたいな思いを、ずっと引きずっていた。それが、すごく苦しかった。

28歳で結婚して、子供を2人もうけて、35歳で家を建てるのが、理想の人生だった。それが、全部パーになってしまって、ずっと喪失感にとらわれていた。

私から見ると、しょぼ喫と、その周辺の人は、欲が少ない。大成功したいとか、出世したいとか、でかい家に住みたいとか、いい車に乗りたいとか、高いメシを食いたいとか、そういう憧れを口にすることは少ない。それは、欲がないわけではない。ただ、多くを手に入れること、多くを持ち続けることのむずかしさを、よくわかっているんだと思う。「最近の若者は~」みたいな、くだらない世代論ではないよ。理由は様々なんだけど、あまり多くのものを求めていない。

ただ、みんなが「本当に大切にすべきものはなにか」「手放してはならないものはなにか」を、いつも考えている。それを育て、守りながら生きていこうという意志がある。いちばん大事な背筋が、シャキッと通っている。

しょぼ喫で、池田さんのことを知って、いかに自分ががんじがらめになっていたかに気づいた。過ぎたこと、起きてしまったことはしょうがない。失ってしまったものはしょうがない。そういうものにとらわれず、目の前の生活にひたむきになろう。ちゃんと生きていこう。そう思いつつ、私はまだ、重荷を下ろせてはいない。下ろしていいのかもわからない、まだ苦しんでいる、どう生きていけばいいかわからないでいる。むずかしいですね。

でも、池田さんや、他の店員さん、お客さんのような生き方もあるんだ。いろんな価値観があるし、私にもきっと、大切にすべきものがある。それを見つけなければならない。それに気づけただけでも、私にとっては、大きな一歩だった。

池田さんや、他の店員さんだけじゃない、しょぼ喫に関わっている人たちは、みんな一生懸命生きている人が多い。一生懸命なんだけど、どこかが抜けていたり、一歩を踏み出せない人が多い。いたらない人間らしさを感じて、それが自分の姿にも重なって、とてもいじらしい。安易な言葉だが、人として共感することが多い。

そして、皆がしっかりと、人生を歩んでいこうとしている。その姿が、たまらなく愛おしい。彼らの生活を見ていると、自分の生活も愛おしいものに思えてきて、また一歩踏み出そうと思える。しょぼい喫茶店と一緒に歩きたい、一緒に歩いていくんだという気持ちになれる。

私は今でも、ふさいだり、落ち込んだりしたときは、しょぼ喫へ行って、店の様子を眺めている。

言葉は尽きないが、ぜひ本を手にとってほしい、そして可能なら店にも足を運んでほしい。いい本、いい空間であることは、保証します。

最後にもう一度、『しょぼい喫茶店の本』が来る4月10日に百万年書房より発売されます。

しょぼい喫茶店の本

私は銭ゲバだけど、この件については清廉潔白でいたいので、アフィリエイトとかは貼ってない。安心してリンクをクリックして、本を買ってほしい。

しょぼ喫の物語が本になって、本当にうれしい。池田さんたちが紡いできた、そしてこれから紡いでいく物語が、ひとりでも多くの人の支えとなり、ひとりひとりの手を取り、軽く背中を押して、励ますことになればうれしい。

アマゾンのリンクを貼ったが、できれば、最寄りの書店で予約注文、ないし取り寄せをしてほしい。ひとりでも多くの人に、この物語を届けるために。

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