悩みや苦しみを言語化したい

02.メンタルヘルスのこと
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今、カウンセリングに通っている。正直、あまり役に立っている感じはしない。あいかわらず、状況はしっちゃかめっちゃかなままだが、ひとつだけ、通ってよかったと思ったことがある。

カウンセリングなので、カウンセラーさんと話をする。よく聞かれる、毎回聞かれるのが「なにか困りごとはないですか?」という質問。

あのさ、なにも困ってない奴が、カウンセリングに来るか? そう言いたいのをこらえて、最近困っていること、気になってしまうことについて話す。

話したところで「そうですか……」「それは困りましたね……」みたいな返答しか返ってこない。だから、困ってるって言ってんだろ、そう言いたいのを、必死にこらえる。

カウンセリングを受けはじめたころは、「コレ、なんの意味があるんだ?」とおもっていた。しかし、何度か回数を重ねて、カウンセラーさんに話す過程で、悩みや困りごとが、整理されていることに気づいた。

たとえば、私の目下の悩みは「お金が無いこと」だった。今は、ある程度の収入があるのだが、会社員の給与みたいに、安定した所得ではないし、これがいつまで続くかはわからない。

なんとかしてくれ、カウンセラーにそう相談したら「就職したらいいじゃん」みたいなことを言われた。そして、次の悩みが「就職」になった。

就職すればいいって、たしかにそうなんだけど。双極性障害を隠して一般雇用の道を選ぶのは、前職の会社で一度失敗しているので、もうしんどい。かといって、障害者雇用は給与水準が低いので、あまり乗り気にはなれない。障害をオープンにしての一般雇用が理想だが、そんなうまい話は、そうそうないだろう。

しばらく押し問答をして、最終的に「働きたくない!」と言ってしまった。カウンセラーさんは、すかさず「なぜ?」と追い打ちをかけてきた。

私が働きたくないの、単純に働くのがイヤだというのが、まずあるとして。仮にまた働きに出て、またダメになってしまうのが怖い。仕事でダメになるとき、過去を振り返ると、毎回自殺を企図するまで、自分を追い込んでしまう。死ぬのは怖いし、嫌だ。だから、働くのも怖い。そういう「思考のクセ」みたいなものが見つかった。

「だからなんなんだ」「なにも解決してないじゃないか」と思われるかもしれない。だが、私にとっては、働きたくない本当の理由がわかっただけでも、大収穫だ。本当の理由がわかれば、そこへ対処する方法を考えていける。まあ、今のところなんのアイデアもないですが。

過去の自分を振り返ると、非常に抽象的な苦しみ方・悩み方をしていた気がする。つらい、しんどい、生きづらい、無力感、上手くいかない、気持ちが定まらない、落ち込む、みたいな。

今だから言えることだが、もっと具体化すべきだった。たとえば「つらい」なら「どんなとき・どうつらいのか?」生きにくいなら「どういう環境において、どのように生きにくいのか?」無力感なら「なにをしているときに感じるのか?」上手くいかないなら「なにが、どうして上手くいかないのか?」気持ちが定まらない・落ち込むに関して、私は双極性障害なので、なんとも言えませんね、すみません。

つらさ・悩み・苦しみを具体化しないと、なにがマズいか。いちばんマズいのは、解決に向けた適切なアプローチができないことだろう。私の最初の悩みは「お金がないこと」だったが、じゃあ、たとえばカウンセラーさんが毎月100万円くださったら、解決するか?

想像したら笑顔になってしまったが、それは解決にはならないと思う。それは、私の本当の悩みじゃないから。金をもらって、生活は安定するかもしれないが、きっと毎日同じようなことで、グズグズ悩んでいるだろう。苦悩が抽象的・表層的だと、解決に至るプロセスも生まれてこないと思う。

おなじ理由で、他者からの支援も、受けにくくなる。たとえば、私が友人たちに「生きづらいです、お金ください」って言っても、どうしようもないだろう。いくら要るかもわからない、本当に本人のためになるかもわからないところへ、お金は出したくない。そんなの、私だって嫌だ。

これが「双極性障害のため、フルタイムで働くことがむずかしく、生計の手段に困っているので、支援をください」だったら、私のまわりのみんなも、サポートやアドバイスのしようが出てくるんじゃないか。

「つらい、苦しい、生きづらい」今までは、その気持ちばかりで、胸がパンパンになっていた。ただ、それだけを言われても、まわりはどうしたらいいか、わからなかっただろう。

私は、ずっとひとりで「苦しい」「つらい」と言い続けていた。親や友人のアドバイスは、いつも見当外れで、私がこんなに苦しんでいるのに、無責任なことばかり言いやがってと、恨みつらみが深まって、親子関係や友人関係は、軋轢まくっていた。

他者のアドバイスが見当外れに感じるのも、自分の苦悩を具体化・言語化できていない、自分の本当の苦悩に気づいていないせいだったんだろう。

自分の本当の苦悩に気づけていれば、他者のアドバイスに対して否定的・感情的になることなく、もっと冷静に受け入れられたかもしれない。

自分の本当の苦悩と向き合うこと、それはそれで苦しいし、つらい。特に、自分にとって情けないことや、恥ずかしいこと、みっともないことであるとき。正直、見て見ぬふりをしたい。私は、カウンセリングの途中で言葉に詰まったり、泣くこともある。

でも、つらくとも、絶対に言語化すべきだった。言語化しないと、苦悩を解決することはできないと言ってもいい。実際、今の今まで、私の悩みは片付かないままだし。

カウンセリング、だいたい非保険だし、どこも値段が高い。毎回の支払いのたびに「次の予約はキャンセルしようかな」とか考えてしまう。妻とふたりで、いいものを食べに行ったほうがいい気もする。

ただ、自分の苦悩やつらさを、なんらかの形で吐き出して、明瞭に言語化していかなきゃいけないとも思う。身近に優秀な聴き手がいればベストだが、そうでなければ壁に向かって自問自答する、あとはテキストに書き出すとかでもいい。とにかく整理して、苦悩を自分の外に出す。

精神疾患だけじゃない、ちょっとした憂鬱、人生について、仕事について、あるいは恋愛などの内面的な悩みや苦しみは、目には見えない。骨が折れてるとか、血が出てるとか、咳が止まらないとかみたいに、傍目から見て明らかじゃない。痛みとかも感じない。他人にも、もしかしたら自分自身にも分からない、隠れた苦悩だろう。

思い返せば、そういうものと向き合わない人生だった。なんとなく、なんとかなったことも多くあるけど、多分どうにもならなかったことのほうが多い。これからの私は、諸々の内的な問題と向き合っていくべきだし、その必要がある。

解決のために、抽象的な苦しみ・つらさを、言語化しなければいけない。でないと、妻や友人など、まわりの人も、そして私自身も、私を救うことができない。

苦悩の棚卸し、非常にしんどい。思い出したくないこと、考えたくないことだらけだし、できるならフワッとすべて消えてほしい。

でも、多分そうはなってくれない。このまま重荷を背負ったまま、生きていくのもしんどい。早く下ろしたい。なので、今、向き合うしかない。

辛いけど、やり続けるしか方法がない。

今からでも遅くない、まだ間に合うと思いたい。

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