希死念慮とどう付き合っていったらいいのか

02.メンタルヘルスのこと
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2014年に、双極性障害(躁うつ病)を患って以来、定期的に希死念慮(死にたいという思い)に襲われる。軽く「あっ、死にたい」みたいな思いがよぎるだけのときもあれば、ひどいときは「私は死ななければならない!」みたいな、強い焦燥感に苛まれることもある。

実際、行動に移したこともある。

はじめて自殺を図ったのは、新卒の会社に勤めていたころ。会社の寮のベッドに腰を下ろして、西側の窓からあふれてくる夕日を見ていたら、急に悲しくなってきて、手持ちの向精神薬をすべて飲んだ。いわゆるオーバードーズ(OD)をした。このときは、救急搬送されて入院することになったが、なんとか助かった。よかった。

2度目は、おなじく新卒の会社で、パワハラにあっていたころ。通勤途中にボーッとしていたら、職場の最寄り駅を乗り過ごしてしまい、そのまま自殺するつもりで、会社をバックレた。青森県八戸市に着いたあたりで、ちょっとしたトラブル? に見舞われ、そこでホテルの部屋のドアノブにベルトを引っ掛けて、首を吊った。意識が遠のいていく、だんだん視界が暗くなっていく途中で、怖くなってベルトを首から外した。よかった。

3度目は、新卒の会社を退職したあと、実家の自室にて。思い立って、またベルトで首を吊った。今度はしっかりやったつもりだった。いったんは意識を失ったのだが、しっかりと吊れてなかったようで、普通に目を覚ましてしまった。よかった。

ここ半年ほど「死にたい期」というか、わりとキツめの希死念慮が、断続的に押し寄せていた。最近は、「死ななければ」みたいな焦燥感に襲われることが多い。

落ち着きがなくなって、眠れなくなる。部屋のなかをウロウロしたり、意味もなくスマホを操作したりしている。昼より、夜のほうが起こりやすい。複数人でいるときより、ひとりでいるときのほうが起こりやすい。

希死念慮への対処法、今のところ、なにもない。ひたすら耐えている。だいたい、ベッドにうずくまって、目をつむっている。

イヤホンをつけて大音量で音楽をかけると、多少気がまぎれて、いい。眠れなくはなるが。喉が渇いてくることが多いので、枕元に水を用意しておく。ベルトや薬など、危険なものには近づかない、あらかじめ遠ざけておく。事前に、頓服の安定剤を飲んでおく。まあ、どう対処しても、あまり効果はない。

寝る前に希死念慮がやって来たとしても、明け方になれば自然と眠くなってきて、眠る。人間なので、時間が経てば眠くなる。眠りから目覚めれば、スッキリしていることが多い。なので、今のところは「耐える」が、もっとも有効なソリューションである。

希死念慮のことを、まわりの人に相談すると、「楽しいことを考えなよ」とか「いいことを思い浮かべなよ」とか言われる。ムリだよ。

希死念慮がひどい人ならわかる、というか、希死念慮がひどい人にしかわからないかもしれないけど、本当に落ち込んでいるときは、楽しいこと・いいことなんて考える余地がない。「死ぬこと」しか考えられない。甲子園のマウンドにのぼった高校球児に向かって「リラックスしろ!」と声を掛けるようなもので、ムリだろ。

「気晴らしに飲みに行こう」「遊びに行こう」と言われることもある。ムリだよ。

希死念慮が強い時期は、「死ぬこと」で頭がいっぱいになっている。人と話している余裕なんて、ない。気力・体力ともに、ギリギリの状態になっていることも多いから、仮に遊びに行けたとして、無事に帰ってこれない可能性がある。遊びに行くのではなく、できれば遊びに来てほしい。まったくお構いできないと思うけど。

あと、希死念慮がわいているときにお酒を飲むのは、本当によくない。精神が悪い方向へ加速して、死への歩みを進めてしまう。

希死念慮に襲われているときは、もう「死ぬこと」しか考えられない。私は死にたくないのに、死ぬことだけを考えていて、そうすると、いっそう悲しくなってくる。「生きたい」と強く願っているのに、死ぬことで頭がいっぱいになる。

処方された薬は、毎日キッチリ飲んでいる。落ち込んだら、「落ち込んだとき用」の薬も飲む。抗不安薬、ソラナックスっていうんですけど。飲んでも「死ななければ」という観念が治まらない。どうしていいのか分からない。

カウンセラーさんに、この話をしたら、「なにがあっても死んじゃダメだよ」と言われた。そんなこと、私もわかってるよ。今は、仕事がない以外は、生活におおむね満足している。仕事についても、多少前向きにはなれている。べつに、死にたいと思っているわけじゃない、生きていたい。でも、急に死にたくなる。

新卒で入った会社にいたころ、そこをパワハラで退職したころは、本気で死にたがっていた気がする。

双極性障害になってしまったこと。出世のレールを外れてしまったこと。人並みに生きられないことへの絶望感。それをなんとか挽回しなければという思い。生活やキャリアを立て直そうとする焦り。いろいろな欲求や矛盾で、頭のなかがメチャクチャだった。

望みが叶わないなら、生きている意味がない。死にたい。そんな気持ちだったと思う。

それからしばらく時間が経って、なんとか身体が動くようになって、生活を立て直す気になって、上京して、結婚して、グチャグチャだった感情がひととおり整理できたというか、いろいろなことをあきらめて、受け入れられるようになったと思う。

今は、また会社をやめてしまい、将来への展望は一切ないけど、病気が原因で会社をやめるのはもう2度目だから、慣れたものだ。これからも、なんとか生きてきたいし、なんとか生きていける気がしている。

今は、死にたがる要素がない。でも、死にたくなってしまう。不思議なものである。

私が不健康だから、ダメなのか。健康な人は、希死念慮なんて出てこないのだろうか。自分が健康だったころ、もうずいぶん昔のことだから、よく思い出せないな。

私が双極性障害だから、希死念慮が出てくるのか。それとも、私はもとから死にたがりだったのか、よくわからない。

私は「死ぬべきだ」あるいは「死んだほうがいい」と思っているのか、それとも、純粋に「死にたい」と思っているのかの区別もつかない。それによって、だいぶ話が変わってくる気もする。

「死ぬべきだ」「死んだほうがいい」であれば、原因を取り除いてやれば、この希死念慮も治まるかもしれない。純粋に「死にたい」と思っているんだったら……どうしようもない、気持ちが変わることに期待をするしかない。

生きていたいと思う。特に理由はない。これから先、生きていても大していいことなんてないんだろうけど、なにかのためというわけでもないが、とにかく生きていたい。

自殺は怖いし、悲しい。はじめて自殺を図ったとき、私を病院へ迎えに来てくれた両親の顔が、今でも忘れられない。父も母も、本当に悲しそうな顔をしていた。とくに父のこわばった表情が、今でも忘れられない。

希死念慮、非常にキツいし疲れるのだが、効果的な対処策は、なにも思い浮かばない。これからも耐えるしかないのかなあと思うと、大変暗い気持ちになる。

私には、自殺企図の前科がある。今後いつか間違って、ポロッと死んでしまわないかと思うと、非常に怖い。表題には「付き合う」と書いたが、本音を言えば、希死念慮とは一刻も早くお別れをしたい。

ただ、自分の精神の作用である以上、簡単に切って捨てられるものではないのだろう。他の症状、たとえば気分の上下や、急な落ち込みと同じように、あきらめて受け入れていくべきなのかもしれない。

生きていたい。とにかく死にたくない。死ぬとしても、自殺はイヤだ。生きていたい。それだけは、常に忘れないようにしている。

頭のなかでどれだけ「死んだほうがいい」「死ぬべきだ」「死ななければ」「死ね」と呼びかけられようとも、それらは私の本心ではないということを、しっかりと覚えて、忘れないでいたい。

希死念慮には、もう何百回と見舞われているのに、一向に慣れる気がしない。今夜は大丈夫だろうか、明日は生きているだろうかと、毎晩怯えながら眠っている。

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