文章組手第1回「鍵」

10.文章組手
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妻と、おそろいの鍵を持っている。かれこれ3年以上、種類は変われど、ずっとおそろいの鍵を持っている。

就職のために上京したのが、ちょうど三年前。そのときは板橋の外れに、広くないワンルームを借りた。

部屋の契約をする時点では、正式に就職していたわけではなかったから、社員証もない、年収を証明する資料もなにもなくて、部屋を借りるのには少し苦労した。

実家の父を説得して保証人に立て、内定先からいくつかの資料を取り寄せることで、なんとか部屋を借りることができた。

昼夜問わず連絡をくれて、奔走してくれた不動産会社の担当者の方には、本当に感謝している。その不動産会社は、間もなく倒産したらしいが、担当者の方は元気でやっておられるだろうか。

無事部屋を借りてから、すぐ妻に合鍵を渡した。当時は、まだ妻ではなかったが。

妻と出会ったのは、上京する半年ほど前。地元から東京へ、一人旅をしたときに出会った。池袋の汚ない居酒屋だった。

お互いひとりで飲んでいて、隣り合う席に座っていたのがきっかけだった。そのときは、一緒に軽く飲んで、少し話をした程度だったが、とりあえず仲良くなって、連絡先を交換した。

地元に帰ってからも、妻とは連絡を取り合っていた。予定を合わせて、一緒に旅行へ行ったりもした。

妻と離れている間にも、いろんな話をした。私はよく「地元にいても将来の展望が見えない」という相談をしていた。

そのときの私は、1年半におよぶうつ病無職引きこもり状態から這い上がり、実家暮らしフリーターにレベルアップしていた。私のバイト先の詳細は省くが、仕事自体は面白かったし、職場環境もユニークだった。

ただ、給料が低い。とんでもなく低い。当時の地元自治体の最低賃金は、時給七三五円だったが、私の時給は六八〇円だった。ハロワで見つけたんだぞコレ、どうしてくれるんだ。

あと、勤務日数が多く、労働時間が長い。とんでもなく多いし、長い。ある月は出勤29日、1日平均12時間拘束とかだった。これでは、他のことがなにもできなくなる。

妻には、そんな愚痴ばかりをこぼしていた。妻は東京に住んでたから、私は妻を羨みながら「私も、東京へ行ったらなんか変わるかなあ」なんて話していた。実に田舎のフリーターらしい発想だと思う。

妻は、私の愚痴を一通り聞き終わると、「じゃあ、東京へ来て仕事を探せばいい」と言ってくれた。

「最低賃金フリーターだから滞在費用が賄えないし、頼る宛もない」私がそう言うと、妻は「私の家に居候しながら、仕事を探すといい」そう言ってくれた。

すぐさまアルバイトを辞めて、いぶかる親を振り切って、荷物をまとめて、一目散に東京へ行った。とはいえ、電車の乗り方も、地理も、なにもかもわからなかったので、新宿駅まで妻に迎えに来てもらった。

妻の家は、それはそれは、とても歴史のありそうなアパートだった。線路に近い木造の建物で、快速電車が通ると、ときどき少し揺れる。

鉄製の階段や廊下の柵は、ところどころ朽ちていて、非常におっかない。玄関は、容易に蹴破れそうな板張りのドア。

風呂釜はバランス釜。30年生きてきて、オンボロ長屋や公営住宅を転々としてきたが、バランス釜なんてはじめて見た。バランス釜、点け方がよくわからないし、ミスると爆発音を立てるので、とても怖い。

畳敷きの部屋3部屋のうち、空いていた1部屋をあてがわれて、そのあとすぐに、部屋の合鍵を貰った。ないと不便だからと、当たり前といえば当たり前のことなんだけど、女性の部屋の合鍵をもらうのははじめてだったから、ちょっと驚いた。

妻とは、普段から親密に連絡をし合っていたが、実際に顔を合わせたのは、はじめて会ったときと、一緒に旅行したときくらいで、まだ片手で数えられるほどの回数しかない。客観的に見れば、私は病気で無職のオジサンなんだけど、そんな私に合鍵を渡してくれることが、うれしかった。

あと、赤の他人の私と、生活を共有してくれることも嬉しかった。

率直に言って、地元のド田舎から、いきなり東京へ出てくるのは、メチャクチャ不安だった。さっきも言ったけど、私はずっと田舎暮らしだったから、東京の電車の乗り方とかは全然わからないし、土地勘もない。

合鍵をもらったということは、たとえ居候のような形であっても、たとえ短期間であっても、暮らしを共にするということだ。

べつに、妻が私の生活一切の面倒を見てくれるわけではない。家を出る時間も、帰る時間も、目的地もバラバラなんだけど、いざとなったらひとりじゃない、妻がいるんだという心強さがあった。

パートナーとしての同居人が、見知らぬ土地での暮らしを送る上での心の支えになったことは、間違いない。

当時の私の人生、新卒の会社でうつ病になり、精神障害が発覚、会社の転属先では苛烈なパワハラを受け、仕事をバックレ、逃げるように退職、そのあとは長期のうつ病無職引きこもりを経てからの、最低賃金フリーター。それはもうボロボロで、先行きには、なんの希望も見出だせていなかった。

このまま低賃金で(最低賃金以下だぞ!)休みなく使われて、貯金もできず、また身体を壊して、なんとなく死ぬのかな、それくらいのビジョンしかなくて、毎日すごく悲しくて、とても困難な状況だった。

妻も、そういうことがわかっていたから、全面的に支援するつもりで、合鍵を渡してくれたんだと思う。

何気なく合鍵を渡してくれた妻を見て、なんとなく「この人は、きっと一緒に困難へ立ち向かってくれるんだ」という印象を受けた。そして、その印象は、まったく正しかった。

面接が上手くいった日には、一緒に喜んでくれたし、そうでない日には、私を励ましてくれた。慣れない土地での就職活動、いろいろな意味で、大変苦戦したが、妻のおかげで常に前向きに、挫けずにいられた。

私が困難に直面していたのと同様、妻も生活に強い孤独感を抱えているようだった。普段は気丈に振る舞ってはいたが、ときおり精神的に不安定になる。そういうときにも、べつに私を頼るでもなく、ひとりでじっとしていた。私を迎え入れてくれたことは、妻自身が寂しかったということもあったのかもしれない。

また、妻も、それほど豊かな暮らしをしていたわけではなかった。よくよく話を聞いてみると、ほぼ食うや食わずやの生活だった。

妻の境遇や環境を聞くにつれ、私とおなじく、将来のことなんて、なにも考えられないだろうなと思った。

そのうち、この優しい人に幸せになってもらいたいと思うようになった。当時はなんら具体的な話ではなく、「妻が幸せになったら嬉しいな」くらいのフワッとした感じだけど、どんな形でも構わないから、この人の人生の力になりたい、この人が私にそうしてくれたように、私もこの人に寄り添っていたいと思った。無職だけど。

そうして、私の就職活動が始まった。私は職歴に穴があるから、正面から履歴書経歴書を送っても、書類で蹴られることが多い。

考えあぐねて「転職エージェント」というのに登録してみたら、エージェントさんがすごく頑張ってくれて、なんとか面接まで漕ぎ着けられるようになった。

家主である妻は、週5で勤めに出ていた。しばしば食事などもご馳走になっていて、実質ヒモなのだが、あまりヒモ感を出さないよう、私も少なくとも週に2、3件は面接を入れて、スーツを着て頑張った。

約1ヶ月間、就職活動をして、なんとか1社から内定を貰った。そこでいったん実家に戻り、入社の準備をしていたら、エージェントさんから電話が入って「話が流れてしまった」と言われた。

もう入社する気満々で、新生活にも胸を躍らされていたので、すごく意気消沈した。両親からも「やっぱり縁がないんじゃないの」と、暗に東京行きを止められた。

しかし、妻やエージェントさんに励まされ、気を取り直して再上京、また妻の部屋に転がり込んだ。

そうしてもう1ヶ月就活を続けて、別の会社から、また内定をもらった。不安だったので、今度は内定通知を、書面で貰った。

就職活動を頑張れたのも、妻のおかげである部分が大きい。この時は、私の所在地が地元、妻は東京だったので、まだ正式に交際していたわけでもないが、私はもう、うすぼんやりと、妻との暮らしを考えていた。

また実家へ戻り、今度は引っ越しの準備をして、東京で新しい部屋を借りて、荷物を運び入れて、そして私の部屋の鍵を、妻に渡した。

お互いのキーケースには、私の部屋と妻の部屋、2本の鍵がお揃いで入ることになった。

私は、妻に救われた。今度は、私が妻を救う番だ、などと、そこまでの男気はなかったが、これからも妻と支え合って生きていきたいという思いが漠然とあった。この人と、これからの生活をともにしたいと思った。

その後いろいろあって、板橋の部屋は、契約の更新を待たず、約1年で引き払った。

次に借りた部屋では、私と妻と、2人で一緒に暮らすことになり、鍵もまたおそろいになった。そして、その年の夏に入籍して、妻と正式に夫婦になり、生活のなにもかもがおそろいになった。

正直、はじめは結婚まで考えていなかったし、もとから結婚にこだわりもなかったし、結婚願望も全然なかったんだけど、どうせずっと一緒にいるなら、せっかくだしと思い、入籍した。そしたら、思っていたより全然よかった。

結婚して、もうしばらくで2年になる。いろんなことがあった、ひどく揉めたこともあったし、2人して落ち込むこともあった(主に私の過失であるが)。

2年という短い期間で、今のところは「家族」になれている、「家族」としてやっていけていると思う。今はおなじ方向を見て、ときおりお互いのことを見て、2人ならんで歩いていけていると思う。

あの晩、妻と出会わなかったら。妻が私のことを避けていたら。妻が上京と居候の提案をしてくれなかったら。妻が合鍵を渡すことを渋っていたら。そうしたら、まったく別の展開、まったく別の人生になっていただろう。

すべて妻のおかげだし、その妻と一緒に3年間を過ごしてこられたのが本当に嬉しい。

この1年くらい、プクプク太ったせいで、以前妻からもらったポロシャツは着れなくなってしまった。おそろいで買った茶碗も、去年の秋にうっかり割ってしまった。でも、鍵だけはずっとおそろいのままである。鍵は金属なので。

長い人生を、一緒に生きていく。お互いの関係も、少しずつ変わっていくかもしれない。それでも、これからもずっと、妻とおそろいの鍵を持ち続けていきたい。

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