お金のこと(文章組手ボツ文)

04.じんせいのこと
この記事は約8分で読めます。

新卒で銀行に入った。地方に本社のある、行員たしか3,000人弱の中堅銀行。ちなみに、銀行では社員のことを「行員」入社することを「入行」と言う。キモいね。

銀行はじめ、金融機関に入ると、一番はじめにまず「金の数え方」を身につけさせられる。数え方にも、技術がある。

硬貨の数え方は簡単。5枚を一単位にして、順番に数えていく。数えるときは、異なる金種(種類)の硬貨は絶対に混ぜない、など。

紙幣がむずかしい。紙幣の数え方には、2種類ある。

ひとつは「縦読み」と呼ばれる、閉じた札束を指でめくりながら、枚数を数えていく方法。窓口の職員さんが、ものすごい速さで紙幣をめくるアレ。

もうひとつが「横読み」と呼ばれるもの。札束をキレイな扇形に広げ、2枚、3枚、2枚、3枚……と、順番にめくって枚数を数えていく方法。

どこの金融機関もそうだろうけど、お金、特に高額の紙幣の勘定をするときは「サイカン(多分「再勘定」の略)」と言って、2回以上数えるのが鉄則になっている。言うまでもなく、数え間違い防止のために。

たとえば、万札の束を顧客から預かった場合、普通は縦読み1回、横読み1回の計2回勘定するわけだが、私はどうしても横読みができなかった。

会社からは、入行と同時に、模造紙幣の束が支給される。それなりに作りのしっかりとした、まがい物の紙幣で、当然「ニセ札」というわけではない。メルカリとかで探すと、結構いいお値段がする。

それを使って、日々練習に励む。横読みのためには、紙幣をキレイな扇型に広げなければならないのだが、まあ上手くできない。指先を操って、紙幣の束を少しずつずらし、扇形にしていくのだが、私が作る扇形は、先輩行員が作ってくれた見本の扇形とは、程遠い出来映えである。

営業の先輩からは「そんなこと(横読み)できなくても、困ることはないぞ」なんて言われてたから、結局できるようにならないまま、外回りに出ることになった。いざ外へ出てみると、たしかに先輩が言ったとおり、横読みができなくて困ったことは、一度もなかった。

もちろん、お金を預かったら、必ず再勘する。キチッと確認が取れるまで、何度でも数え直す。縦読みは、ヘタクソながらなんとかできたので、ひたすら縦読みだけを駆使して、札勘をしていた。

そんなこんなで外勤営業としてのキャリアを積んでいったら、営業実績を買われたのかなんなのか知らないけど、新規取引先開拓の担当に任用された。手前味噌ではあるが、まあ名誉なことであると思う。

新規開拓専任なので、既存取引先への集金業務などは、一切行わなくていい。新規開拓先で現金を預かることは、まずない。これによって、もとからヘタクソだった札勘定が、ますますヘタクソになった。しかし、新規で飛び込み営業をするときには、札勘なんてしなくていいから、まったく気にしていなかった。

新規開拓、ひたすら会社へ飛び込む。調査会社から取り寄せた資料をもとに、まだ取引のない会社をリスト化して、アタリをつけたら総当たりで飛び込む。受付の人から邪険にされようとも、社長と会えるまでは、何度も飛び込む。テルアポは、しない。訪問を断る口実を与えてしまうので。

飛び込み営業、いま考えても大変に非効率なんだけど、手前が「銀行」だからか、思ったより簡単に社長と会えたし、会ったらキチンと話まで聞いてもらえることが多かった。

さて、飛び込みで会社まわりをしていると、当然いろんな人に会うことになる。しかも相手は会社の社長、一国一城の主で、当然クセ者も多い。正直、何度か痛い目にもあっている。

とある会社を、はじめて訪問したとき、そのときは運よく最初に社長と対面することができた。たしか、事務所用地の敷地か駐車場をうろついてたオッサンに声をかけたら、そのオッサンが社長だった。

「○○銀行○○支店の○○と申します、なにか御社のお力になれることがあればと思いまして……」

みたいな感じで、声をかける。社長は、私のさし出した名刺を受け取り、じっと見たあと、こう言った。

「○○銀行なんて聞いたことないぞ。お前、本当に銀行員か?」

思わず面食らってしまったが、社長の言い分にも一理あった。当時、私が勤めていた銀行というのが、東海地方の某県を本拠地とする地方銀行だった。しかし、私の勤務地は、そのとなりの県の端っこ。つまり本社とは、縁もゆかりも無い土地だったのである。

地方銀行(地銀)というのは、基本的に本社(本店)のある県を営業基盤としていて、その県内では圧倒的なネームバリューと営業力を誇るものの、ひとたび県境をまたぐと、カンバンがまったく通用しなくなる場合も多い。

いまでこそ、地銀の越県営業は当たり前だが、そうなってからはまだまだ日が浅いし、どこの地銀も苦戦していると聞く。

さりとて銀行は大企業、社長ともあろうものが「聞いたこともない」と言うのも不思議で、多分からかわれていたんだろうが、困ったことになった。

社長には、自社の営業報告などを見せて、弊社が歴とした銀行であることを信じてもらおうとするが、ジジイはとにかく人の話を聞かない。社長は、相変わらず私に疑いの目を向けてくる。しばらく問答が続いたのち、社長から

「ま、暑いから中に入りゃあ」

と言われ、舞台は、某社応接室に移る。

応接室に入り、冷たいお茶をいただいた。時期は晩夏のころで、ジャケットも、シャツも、汗だくになっていた。

「お前、銀行員ならアレできるやろ、札束数えるやつ」

社長はそう言うと、いったん奥の別室へ引っ込み、そこから帯封(札束を束ねる帯)のついた一万円の札束を、一束持ってきた。

「銀行員なら、上手いこと数えてみい」

そう言われて、札束を渡されたが、私は札勘がヘタクソである。横読みはできないから、当然縦読みを披露する。札束を持って、少し捻り、そのまま動けなくなった。

ここに、取引の成否がかかっているかもしれないと思うと、途端に緊張してきた。慎重に、そして一気に指を動かす。一万円札が、一枚一枚順番に指の上を滑っていき、それに合わせて神経も磨り減っていく。

時間にして、30秒ちょいだろうか、なんとかミスることなく、無事100枚を数え終わり、どうですか、と言わんばかりに社長のほうを見ると、

「まあまあやな、今度はあの、広げるやつ(横読み)でやってみて」

と言われ、そこで力尽きた。

結局、このときは社長の信を得られず、次に自称「札勘が得意」な営業職の上司を連れて行ったが、上司も失敗した。最終的に、一番社歴の長い内勤の女性社員に頭を下げて、社長のもとへ同行してもらい、練熟の札勘を披露してもらって、なんとか弊社が銀行であることを信じてもらうことができた。

このあと、某社とは取引開始に至り、支店長からもお褒めをいただいたりしたが、最大の功労者は、華麗な札勘を披露して、社長の心をつかんだ女性社員だろう。営業職の面目、丸潰れである。

どうでもいい小さな技術でも、おろそかにすると、それで痛い目にあわされるときが来る。札勘なんて、銀行員にとっては基礎中の基礎、できて当然のことなので、できないなら、できるようになるまで練習すべきだった。しかし「私は営業職だから」ということを、隠れ蓑というか言い訳にして、努力を怠ってしまった。その結果が、このザマである。

いやたしかに、これはイレギュラーな事例だろう。札勘ができなくても、仕事はおおむね順調にこなせていたし。「銀行員かどうか信用できないから、札勘をやってみせろ」なんて言う人、ここの社長以外に、出会ったことがない。でも、出会ってしまった以上は、たとえ運が悪かったとしても、私の能力不足と言うほかない。

札勘(横読み)に関しては、正直今でも「身につける必要はなかった」と思っている。いつ役に立つかわからない技術を、必死こいて身に着けることなんて、バカバカしいと思う。多分、もう銀行を辞めてしまったから、余計そう思うんだろうけど。

反面、銀行員にとって横読みは「基本のキ」だから、きちんと身につけておくべきだったとも思う。私は、銀行にはそれほど長く勤めていないから、銀行の仕事のことなんて、多分一部しか理解できていない。もしかしたら、もっと深いところで、横読みの技術が求められているのかもしれない。長いこと勤めていると、いつか横読みが必要になる場面が来るかもしれない。そんな気がする。

なにを始めるにしてもそうなんだけど、「基本」は楽しくない。「こんなこと、いつ役に立つんだ」「ムダなんじゃないか」と思うこと、習得する意味がわからないことも、少なくない。銀行の研修所で、数百人の新入社員が集められ、なにをするかと思えば、紙の束を一生懸命数えさせられる。今考えてもバカバカしい。

でも、「基本」には、先人の知恵が詰まっている。先人たちが「これは外せない」「これだけ覚えておけば大丈夫」と、ピックアップしてくれた要素が「基本」なのだと思う。実際、私はそれをサボって、痛い目にあうことになったし。

まあ、現代は動きの早い時代だし、先人たちの知恵がムダになる場合も、往々にしてある。それでもいまだに「基本」は役に立つし、「基本」は強い。ビジネスにしたって、芸事にしたって、基本をしっかりやってきた人というのは、おおむねよい成果を上げている気がする。

最近、といっても、もう1年以上前になるが、友人に習って短歌を始めた。大人になってからの手習いは、楽しい。

短歌、「5・7・5・7・7」の「三十一文字」に収まっていれば、あとはルールがないという自由なところが、とても気に入って始めたのだが、やっていくうちに、メソッドや決まり的なものがあることに気がついてきた。

また、はじめは現代語・口語で詠む短歌が気に入ってやってきたが、最近は古語・文語で詠む短歌にも、興味がわいてきた。

となると、いよいよ、基本を学ぶときである。だいぶ遠回りをしてしまったが、自分で必要性を感じたときが、本当の意味でのやりどきだ。前は、自分で歌を詠むのが楽しくて仕方なかったが、今はぐっと堪えて、高校古典の参考書とか短歌の解説書・評論などを読んで、勉強している。少しずつだけど。

自分に自信がない、勉強したいけどなにをしたらいいかわからない人ほど、まず基本から手をつけたほうがいいと思う。どの分野でも、一足飛びで成果を上げていく人とかがいるけど、そういう人だって、間違いなく基本を積み重ねていると思っている。まして、私みたいに非才で鈍くさいタイプは、牛歩でいいから、コツコツ基本を学ぶべきなのだろう。

「基本」はつまらない、カッコよくないけど、いつか必ず役に立つ。このことに関しては、私は自分の過去の失敗から、信念や信仰に近い確信を持っている。なにを始めるにも、基本をおろそかにしない。このことを常に肝に銘じておきたい。

タイトルとURLをコピーしました