精神障害とわたし

03.精神障害のこと
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私は10年ほど前から、双極性障害(躁うつ病)という精神障害を持っている。気分の波が激しくなり、うつ状態と躁状態を不定期で繰り返す精神障害である。 

遺伝か、性格か、ストレスか、生活習慣か、なにが原因なのかよくわからないが、ともかく過去に何度も、いかんともしがたい状態になっていた。今もそう。

最近は、わりと気分が落ち着いているけど、そうでないときもあって、そういうときには感情に任せて人と争ったり、物に当たり散らしたりして、今までいろんな人に迷惑をかけてきた。 今でも、月に2回ほど心療内科へ通い、診療と服薬を続けている。

10年前、当時の主治医から「あなたは双極性障害です」と言われて、そのときに「双極性障害」という名前の病気(障害)があることをはじめて知って、気力を振り絞って本を手繰りつつ、ネットの海をさまよいつつしながら、この病気のことを調べた。そして、はじめは深く絶望した。

どの文献やWEBサイトにも、「この病気は、治るまでに非常に長い期間を要する。そして、さらに長い期間にわたって、投薬治療を続けなければならない」と書いてあった。うつ病が「心のかぜ」と言われるのに対し、双極性障害は「心の糖尿病」と言われるらしい。つまり、慢性疾患、その名の通り「障害」である。

「病気」なら、治療を続ければ治る可能性があるが、「障害」は一生涯治ることはない(「しょうがい」だけにね)(笑い事じゃないぞ)。5~6年で症状が落ち着く人もいるらしいが、ある人は一生、私はどうなるかわからないけど、ともかく残りの人生の大部分を、この障害の治療に捧げなければならなくなった。

新卒の会社に勤めていたころ、はじめて精神科のお世話になる数カ月前から、明らかな心身の異常を感じていた。夜は、まったく眠れない。身体は疲れ果てているのに、意識が休まらない。そして、楽しかったはずの仕事が、楽しく感じられなくなっていた。

いや、仕事が楽しい人なんて本当に少数で、大部分の人はいろいろとガマンをしながらイヤイヤ働いていて、残念ながら私も後者のタイプだということは、以前からわかっていた。仕事は楽しくないものだ。でも、当時の仕事はわりと気に入っていたつもりだった。なのに、それが病的に楽しくない。

当時私は、新卒で入った銀行の営業職で、銀行といえばおなじみ、キツめのノルマと業務量を課されていた。 とはいえ、コツさえ掴めば、仕事は案外簡単で、身体に変調をきたしているときでも、よくばらなければ、ノルマをこなすのは簡単だった。

眠れないせいで身体が疲れて、まともに働けていなかったけど、ノルマをクリアするために毎日3~4時間は、必死で働いた。残りの時間は、なにをしていたか。営業車のなかや、道中にあるネカフェ、ときにはラブホのショートステイなどを駆使して場所を確保し、そこでなにをするでもなく、鬱々として時間を過ごしていた。そうして、だましだましノルマをこなしていたし、上司や同僚と話すときは平静を努めていたから、誰からも変調を指摘されることはなかった。

もともと活動的なほうではなかったけど、体調不良を感じだしてからは、よりあからさまに外出しなくなった。仕方なく部屋に引きこもって、趣味の読書でもしようとするが、大好きだった読書にさえ、身が入らない、ただ単に本を読む、目で文字をなぞることもできない。あきらめて眠ろうと思っても、眠れない。こうして、ただひたすらに日々をやり過ごしていた。

休日は、特に苦痛だった。当時は社宅に一人暮らしで、同僚たちと共同生活を送っていた。休日になれば、同僚たちは遊びに行くのか飲みに行くのか、めいめい出かけていくが、私はといえば、部屋から出られずにいる。

四畳半の部屋に置かれたベッドの上で、ただひたすら時間が過ぎるのを待っている。そりゃ私だって、せっかくの休みだから出かけたい。出かけたいけど、身体に力が入らない。できることといえば、せいぜい部屋で酒を飲むくらい。焦燥感と、ままならなさだけが募っていく。

このままでいけないことは、自分でもわかっていた。かといって、どうすることもできなかった。

もしかしたら「うつ」あるいは、ストレス性の精神疾患かもしれないという考えは、頭のなかにずっとあった。あったが、当時の私は典型的な「うつは甘え」論者だったので、「自分はうつなのではないか?」と考えること自体が、恥ずかしいことだとさえ思っていた。

誰にも相談できず、疲労だけが積み重なって憔悴していき、そしていよいよ緊張の糸が切れた。ある日の朝、いつものように出社して、会社のデスクに座り、パソコンの電源を入れた瞬間に、目から涙が止まらなくなった。もうダメだと思い、上司を会議室に呼んで、突発的に「会社をやめたい」と言った。上司は私を引き止めて、緊急避難的に1週間の休暇を与えてくれた。

せっかくもらった1週間の休暇だが、はっきり言って無意味だった。なにが悲しいわけでもないのに、毎日涙が止まらない。あいかわらず眠れない。体力と気力は、日毎に衰えていく。食事をする気も、風呂に入る気も起こらず、生活はいっそう荒んでいった。

1週間の休暇が終わって、はじめの出社日、私は入社してはじめて欠勤を、それも、無断欠勤をした。布団の上から身体が動かない、部屋から出られない。なにもかもがどうでもよくなって、このまま死んでいけばいいと思った。

このあたりから記憶が曖昧で、気づくと、病院のベットに寝かされていた。ベッドの横には、点滴がぶら下がっていて、左肘のあたりに鈍い痛みを感じたのを覚えている。上司と先輩が、黙って私を見下ろしていて、このときようやく、自分がなんらかの病気かもしれないと、ハッキリ考えるようになった。

退院してすぐ、内科から精神科へ回され、10分ほどの問診のあとで「抑うつ状態」であると診断された。医師からは「しばらく休養するように」と書かれた診断書をもらった。それを持って上司に会い、今後どうすべきかを相談した。

診断書を出して会社を休職するということは、会社に対して「私はうつ病です」と申告することであり、経歴と将来に傷をつけることになる。精神疾患で休職する社員、まあザラにいたから、珍しくはなかった。しかし、みんな窓際族というか、閑職へ追いやられていたイメージで、正直バカにしていた。そしてまさか、自分がそうなるとは、思ってもいなかった。

上司も、それをわかっていたのだろう。診断書は出すべきではない、負担の少ない職務に配置を変えるなりして、勤務を継続すべきだ、そのために力を尽くすと言ってくれた。

あのとき、私は上司の勧めに従って、もうひと頑張りすべきだったのかもしれない。そのことは、今でも悔いている。しかし残念ながら、当時の私はもう限界だったみたいだから、仕方がない。

「いずれ復職させる」という約束のもとで会社を休職し、私は実家の家族のもとで、療養生活に入った。この時点での私の傷病名は「抑うつ状態」であり、抗うつ剤と睡眠薬による薬物療法を行なっていた。

休み始めてから数ヶ月もすると、体調はすこぶるよくなってきた。というより、よくなりすぎていた。それまでは死んでいた食欲が、異常なほどに亢進し、二四時間なにかを食べ続けるようになった。落ち込んでいた体重は、大幅に増加した。不眠はあいかわらずだったけど、抑うつ状態のときの気怠い不眠ではなく、眠る必要がないほどのエネルギーに満ちあふれているように感じていた。

これだけなら、まだよかったのかもしれない。夜、家族が寝静まって、ひとりになる。すると、いてもたってもいられなくなって、意味もなく外をうろつくようになった。とにかく、落ち着いていられない。

物欲が抑えられなくなり、少しでも欲しいと思ったものは、手当たり次第に買っていった。アルコールが心地良い高揚感を増してくれることに気づき、ほぼ毎日、吐くまで酒を飲んだ。

それを誰かにとがめられると、私は乱暴な言葉で相手を非難した。今なら、この時点で「これは躁状態だ」と気づくことができる。しかし、怖ろしいことに、当時の私は、自身の異常にまったく気づいていなかった。むしろ、自分本来の精神を取り戻したと思い込んでいて、万事快調だと思っていた。

異常に気づいたのは、家族に引きずられて精神科へ連れていかれる段階になってからだった。そこで私はようやく「双極性障害(躁うつ病)」だと診断され、薬物療法の方針が、まったく違うものになった。治療方針が変わり、薬が変わったら、私の精神の状態もがらっと変わった。まるで別人のように、落ち着きを取り戻すことができた。

そうして気持ちが落ち着いて、快方に向かってくると、見た目には健常者となんら変わりなくなってくる。骨が折れているわけでもなければ、肉が裂けているわけでもなく、顔面蒼白になるわけでもなければ、血を吐くわけでもない。調子がいいときの精神障害者というのは、傍目から見れば、極めて健康体に見える。

ここで困ったことが発生する。私を支えてくれている親しい他人、とりわけ実家の家族との軋轢である。

療養中、私は、実家の家族の庇護のもとで生活してきた。ひとりで暮らすとどういう結果になるかは、以前の休暇で目に見えていたから、朝起きるにも夜寝るにも、どれをとっても家族に依存せざるをえなかった。一応、会社からの手当は出るものの(健康保険に加入していれば、病気による長期休職の場合には、傷病手当金というものが出ることがある)、療養中の身分というのは、無職とさほど変わりなく、だから非常に肩身が狭い。

休職中は、毎日本当にヒマだから、日がな読書にふけったり、犬の散歩をしたり、趣味のDIYに精を出したり、ときおり喫茶店に出かけたり、昼寝したり、調子のいい日は友人と出かけたりして過ごしていた。自己弁護するつもりはまったくなく、休職中に身体の動くときは、毎日遊んでいた。

それくらいしか、できることがなかった。朝早くに起きたって、会社へ行くわけでもない、やることもはなにもないのだが、かといって寝て過ごす、引きこもって過ごすわけにもいかない。当時は、一時的に職場を離れていただけだから、きたる職場復帰の日に向けて、体調が悪い日でも、ちゃんと目を覚まして、なにかしら用事を作って心身を動かし、毎日の生活リズムを維持しなければならない。

ここで少し想像してもらいたいのだけど、仕事で疲れきって家に帰ってくると、大の大人が働きもせず、家でごろごろしている。ふらふらと遊び歩いて、することといえば、多少の家事だけ。あなたなら、どう思うだろうか。

私だったら、多分非常に不愉快だし、文句の一つも言いたくなるんじゃないだろうか。誰だってそう、私だってそう、そして私の家族も、そうだったみたいだ。

症状が快方に向かうにつれて、家族から私への風当たりは強くなり、まるで私が療養ではなく、単に働かずに遊んで暮らしているかのような扱いをされることもあった。まあ、傍目から見たら遊んで暮らしていたのだが……そんなことで、だんだん実家に居心地の悪さやストレスを感じるようになっていた。

「体調が回復したなら、早く復職すればいい」と言われるかもしれない。というか、実際に家族から言われたのだが、会社側の都合とか、主治医の意見とかもあって、そう簡単に復職することはできない。それに、このときも気分の乱高下が頻繁に起こっていたし、深刻な不眠はずっと続いていた。

「せめて遊ぶのはやめろ」とも言われるかもしれない。いやこれも、実際に言われたのだが、一日中なにもせず家で過ごすことは、その後の社会復帰を考えると害悪でしかなくて、当時の主治医からも「遊ぶ気力のあるときは、積極的に遊べ」「外の社会との接点を断つな」と言われていた。そもそも病気に仕事を奪われてしまって、時間の過ごし方といえば、遊びしかない。家で鶴でも折っていたらよかったのだろうか……。

ウチの親も典型的な「うつは甘え」論者で、私が双極性障害になっていることを、認めようともしなかった。薬物療法を続けているときも、どこで吹き込まれてきたのか「向精神薬が病気を悪化させるから、服薬をやめろ」なんて言い出す。これまた、どこで吹き込まれたのか「精神科医は悪者だから」という謎の理由で、精神科へ通うかわりに、意味不明なセラピーへ通えなどと言い出す始末だった。

私にも、悪いところはある。私も親のそういった態度にウンザリしていて、「どうして私の言い分をわかってくれないんだ!」と、感情的になるばかりだった。聞き分けのない親と、言葉足らずな子で、罵り合いになったことは、何度となくあった。

うつ状態で寝込んでいる、あるいは躁状態で異常な行動を繰り返すように、客観的に「病人」をしていれば、家族も私のことを「病人」として扱ってくれる。しかし、たとえば薬がよく効いてきた、自然と症状が治まってきたなどで、嵐のような状態が終わると、今度は「病人」には見えなくなる。

もちろん、傍目には落ち着いているように見えても、頭のフタを開けてみれば、そこはやはり患っていて、意識は四六時中さざなみ立っている。薬の力、あるいは単なる偶然で、ギリギリなんとか平静を保っているに過ぎないし、薬を飲んでいてもなお、不調をきたすときがある。

だけど、精神の不調は、他人にはわからないものだ。伝えるのもむずかしい。傍目から見て「健常」になると、ときおり体調を崩して「すごく気分が悪い」と訴えても「だれにでも、そういう時はある」と退けられてしまう。うつで塞ぎ込んだときとかに「ひどく落ち込んできた」と言ってもおなじことで、「みんな我慢してる」と言われるだけだった。 

結局どうすればいいのか、私はなにもせず、ただ悩んでいるだけだった。

私の家族も鬼ではない。疲れきった私のことを、暖かく受け入れて、支えてくれたことには、心の底から感謝している。きっと、たくさんの不満を飲み込みながら、私のことを見守ってくれたのだろう。何度も何度も我慢を強いてしまったことは、本当に申し訳なく思う。 ただ、私は、最後まで病気と、そして私自身のことを理解してもらえなかったことが、悲しかった。 

医者から障害のことを告げられたとき、私は自分の人生をあきらめかけていた。治ることのない障害によって、自分の可能性がすべて奪われた気がしていた。もう生きる意味なんてないように思えて、うつ症状とは関係なく、自殺を考えたことが何度もあった。

今の会社に残ることが、果たして本当に正しいことなのか。さりとて別の生きる道はあるのか。もう私には、なにも残されていないんじゃないか。そういうことを、ずっと思い悩んでいた。

本当に絶望していた。単に病気になったとか、障害を持ったというだけではない。もっと、私の存在を根幹から蝕まれているような不安。社会から取り残される焦り。人や環境、なにもかもが自分から離れていく。少しづつ腐って、立ち直れなくなりそうな感覚に苛まれていた。

病気・障害自体のこともそうだけど、私の人生に対するままならなさ、つらさを、少しでいいから理解してほしかった。

もしかしたら、悩むという行為自体が、甘えの象徴なのかもしれない。

もし私に両親がおらず、天涯孤独の身だったら。自分の生活を、すべて自分で保証しなければいけなかったとしたら。そう考えると、背筋が寒くなる。悩むことができる私の環境は、恵まれていた。両親がいてくれてよかったと、心の底から思う。

病気のことを理解してほしい、全部まとめて受け入れてほしいというのも、甘えだったのかもしれない。かっての私のように、自分の言い分だけを感情的に叫んだり、医者の言うとおりにのんべんだらりと暮らしているだけでは、病気や障害、そのつらさや苦しみについて、まわりの人から理解してもらえないのかもしれない。

でも私は、あのときばかりは甘えたかった。本当につらかったから。甘えでもいい、なんと言われてもいいから、助けてほしかった。いや、助けてくれとは言わない。せめて寄り添ってほしかった。

悲しいことだけど、「うつ病になったけど、元気になってよかったね」そういう世の中・そういう病気・そういう障害ではないんだ。精神疾患も疾患だから、放置しておいて治る性質のものではない。そして、放置したらしただけ、その後の生活に、人生に、深い傷跡を残していく。

病気は「治さなければ」ならない、障害は「克服しなければ」ならないし、また以前の、イヤな言い方をすれば「普通の」暮らしを、取り戻さなければならないんだ。

ここからは、当事者と、そのまわりの人々に伝えたい。

心を病んだ人は、自分の気持ち、つらさ、苦しさを、包み隠さず率直に、まわりの人へ伝えてほしい。家族へ、医師へ、支援者へ、しっかりと伝えてほしい。うつ症状に苦しめられて、ふさぎ込んでいる時期だと、他人と話すのもつらいかもしれない。「どうせ理解してもらえない」という気持ちがあるだろうし、そして実際に理解してもらえないことのほうが多いから、落胆するかもしれない。それでも、もう少しだけ頑張ってほしい。

そうしないと、まわりの人も、あなたを支えようがない。まわりの人が、あなたの悩みを理解してはじめて、本当の治療、本当の支援が始まるのだと思う。

心の病は、やすやすと治療できるものではないし、再発のリスクも高い。治療には、長い長い時間のかかる病気だ。仮に病気が治ったとしても、病前のように生活できるようになるには、さらなる時間とエネルギーが必要になる。自分の身体と精神、そしてまわりの人の理解と支えがあって、はじめて完全に「治った」と言える。そういう病だと思う。 

あと、生きることをあきらめないでほしい。「こんな人生なら、死んだほうがマシだ」とか「もう生きていたくない」とか、私も何度もそう思ったことがあるから、気持ちはよくわかる。私は今、それほど上手くいっていないから、「生きてさえいれば、きっといいことあるさ」なんてことも言えない。でも、死んでほしくない。

今少しでも「死にたい」と思っている人、この記事も読んでほしい。私が「死にたい」と「生きたい」をフラフラしていたときに書いた記事なんだけど。上手く言えないけど、人が生きるということは、どうあっても、素晴らしいし美しいことだと思う。私は、あなたになにもしてあげられないけど、一日一日の積み重ねでいいから、少しずつでいいから、生きていってほしい。

近しい人が心を病んだ、そういうときは、どうか長い目で見守ってあげてほしい。私のように、治療途中で突然病状が変化する患者もいるし、表面上は治ったように、元気になったように見えても、些細なきっかけで再発する患者もいる。実際私も、このあとなんとか復職したが、しばらくしてストレスから自殺未遂を起こしてまた休職、その後はパワハラなどもあって、最終的には退職した。

病歴がある人を、病気のことを理解したうえで受け入れてくれる会社は、少ないだろう。病気が治っても、そのまますんなりと社会復帰できるわけではないことが多い。心を病んだ人を支えるというのは、大変なことだと思う。

「うつは伝染する」と言われるように、ミイラ取りがミイラになるケースも、少なくないと聞く。

しかし、忘れないでほしい。あなたが、彼や彼女の命を助けられるかもしれないということ。患者と支援者で、一定の距離感は絶対に必要だし、共倒れになることは、あってはならない。

だけど一言、今の自分を肯定してもらえるだけでも、「あなたのことを気にかけているよ」「あなたの苦しみを理解しているよ」「あなたに寄り添っているよ」と声をかけてもらうだけでも、それだけで救われる患者もいる。

心の病にかかる人は、これからの日本では、もっともっと増えるだろう。医者の安易な診断を批判する声もあるが、私としては、今まで日本人が目を背け続けてきた暗い部分に、光が当てられた結果だと思っている。

なにかの統計では、年間の自殺者2万人のうち、約半数がなんらかの精神病を患っていたという結果も出ているらしい。

睡眠がとれない、食事がとれないなど、なにかがおかしいと思ったら、すぐに精神科、ないし心療内科の門を叩いてほしい。投薬や、わずかな休養で、救える命がある。精神疾患は、精神的な甘えから起きるものではない。歴とした脳の病気だ。病気なのだから、適切な治療が必要で、そして治療が可能なんだ。

私は昨年まで、とある会社で、障害を隠して働いていた。入社後何年かは病状も安定していて、環境にも恵まれていたおかげで、つつがなく生活を送れていた。しかし、あるとき突然大きく体調を崩し、復調の見込みがつかなかったので、大きな迷惑をかける前に退職した。そこでは、おおむね上手くいっていたのだが、また病気によってひっくり返されてしまった。

死ぬまでずっと生きていたい。そのために、また再起するというか、これからも生活を続けていかなければならないという思いは、強くある。

反面、また就職したとして、また調子を崩してしまうのではないかというあきらめもある。過去には、自殺未遂の前歴もあるから、もし重篤な発作が出たら、すべて終わりになるかもしれないという恐怖もある。これだけは受け入れるしかないけど、今はまだ受け入れられずにいる。

いまは、日々の食事に困っているとか、明日の暮らしが見えないとか、そこまで切迫した状況ではないが、それでも数年先、10年先のことを考えると、暗澹たる気持ちになる。

長々と書いてきたが、私自身、昔となにも変わっていない。進歩がないまま、他の精神障害者の方々とおなじ悩みや苦しみから、逃れられずにいる。

ただ私は、あきらめていない。いつか、どういうかたちでかは、まだわからないが、きっと上手くいく日が来る、安心して生きていけるときが来ると信じて、毎日生活をしている。病気とも向き合って、そして受け入れていきたい。

患者自身も、そして患者を支える人々も、どうか真摯に病気に向き合ってほしい。そうすれば、いつか上手くいく可能性があるんだということを、その可能性を希求していってほしいということを、心から伝えたい。

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