文章組手第2回「Twitter」

10.文章組手
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別に意外でもなんでもないだろうが、Twitterを始めてから、もう12年目になる。

はじめてアカウントを取得したのが、2007年の11月。当時は、まだ大学生だった。大学生のころは、意識高い系のネットオタクだったので、新しいウェブサービスには、とりあえず全部登録していた。

Twitterのアカウントを作ってみたはいいが、当時はまだ日本語化もされておらず、日本のユーザーは極わずか、それもいわゆる「ギーク」が多く、IT系の技術が話題の中心だったため、文系学生の私はついていけなくて、すぐに飽きた。

それから何年間もアカウントを放置していた。2010年ごろ、仕事のストレスが原因で双極性障害(躁うつ病)になって、そして休職してヒマになったので、Twitterを再開してみた。

このころには、ユーザーも増えてきていて、話題も多様化していた。私は、以前から趣味で小説を書いていたが、Twitterには同好の士が多くいて、そこで交流したりしていた。

会社へ復職してからは、仕事の愚痴なんかも書き連ねたり、またアカウントを放置したりもしつつ、ダラダラと続けていた。

Twitter上での交流は、趣味である小説に限定されていた。当時住んでいたのは、岐阜県のド田舎だったので、オフ会などにも参加できなかった。よって、フォローの輪も、まったく広がらなかった。

遠方の人と、メールで小説の原稿を交換しあう、その程度のやり取りしかなかったけど、ネットなんて、まあそんなもんなんだろうと思っていた。

そんな感じで、身の上にいろいろありつつも、細々とTwitterをやっていたら、ある日のタイムラインでとんでもないものを見つけてしまった。ちんかす王子である。

当時の私は、復職したものの、転任先で苛烈なパワハラにあい双極性障害が悪化、結局は退職してしまった。そのあと、なんとか社会復帰しようとして、見つけた職は、最低賃金に満たない時給で長時間労働のアルバイトだった。

正直、もう人生は終わりで、これから先もずっとドン底だと思っていた。映画の本編が終わって、銀幕にはエンドロールが流れている横で立ち尽くしている、そんな心境だった。

自分の境遇を人に語るのも、恥ずかしかった。双極性障害を持っていること。仕事で挫折したこと。いい歳して意味不明な仕事をしていること。将来になんの展望も抱けていないこと。なにもかもがミジメで、どうしようもなくて、ひとりで抱え込むしかなかった。

そうやって鬱屈としていた時期に、なにかのはずみで、はじめて王子のツイートを見た。

はじめて見たツイートが、具体的にどれだったかまでは思い出せないが、王子のタイムラインには「無内定で卒業」「ズリネタ販売店でアルバイト」「うつ病」「サインバルタ(抗うつ剤)」「サビ残(サービス残業)」「パワハラ」といった、私にも馴染みのある、それでもインパクトのある単語が、ビッシリと並んでいた。

ひとつひとつのツイートが、王子自身の体験に基づくもののようだった。言葉を選ばずに言うが、ツイートを見る限り、悲惨そうな境遇だった。しかし、王子のツイートには、どれもウィットやユーモア、諧謔味にあふれていて、読んでいると笑顔を誘われる、悲惨な境遇すら笑い話に変えてしまう力があった。

目が釘付けになった。テキストにこんなに夢中になるのは、小学生のころ図書館にこもって『怪盗紳士』シリーズを乱読していたとき以来かもしれない。タイムラインをさかのぼれるだけさかのぼって、読めるツイートはすべて読んだ。

そして、いろんな思いが浮かんできた。どうしてこんなことを、赤裸々にネットに書ける? どうしてこんな境遇でも、前向きにいられる? 笑っている場合じゃないだろう? 頭が混乱していた。しかしながら、王子のツイートを読んでいると、不思議と心が楽になってきた。

また、Twitter上で、王子を中心にして、似たような境遇の人たちが集まってきていた。いわゆる「非健常者」たちである。新卒を棒に振った。非正規雇用。会社や社会に馴染めない。友人や恋人がいない。なんらかの障害がある・あるかもしれない。転職を繰り返す。会社や仕事から飛翔(バックレ)する……。

当時の私は、新卒のレールからも、健常者のレールからもはずれ、これからどう生きていっていいのか、途方に暮れていた。しかし、ちょっとネットの向こうに目を向けてみたら、本当に多種多様な生き方をしている人たちがいる。そういった人たちの生き方に、これからの希望を見出だせるかもしれないと思った。

私も、王子のように、自分のミジメな境遇を、笑い話に変えてしまいたい。そうすることで、なにかが救われるんじゃないかと思った。

王子独特の「文法」をパクりつつ、自分のパワハラ体験やサビ残体験、うつ病体験を、140字以内にまとめていった。はじめてツイートするときは、かなり抵抗があった。人に話すようなことじゃ、ないんじゃないか。こんな話で、笑えないだろう。引かれたらどうしよう。ミジメだから嘲笑されるに違いない。そんなことが頭をよぎった。

勇気を出して、ツイートする。すると、気持ちのなかでわだかまっていたものを、少しだけ吐き出せたような気持ちになった。イヤな思い出を、整理して、リリースする。この一連の動作を繰り返していくうちに、だんだんと自分の過去、そして現在を冷静に、客観的に見られるようになってきた。昔からのフォロワーからは、たくさんリムーブされた。

そんなことをひとりで繰り返したら、ある日王子にフックアップしていただいた。そのうち、王子をはじめとする「非健常者」の方々とも仲良くなって、Twitter上で交流できるようになってきた。

そして2015年8月、岐阜県某所で、旅行へ来ていた王子と、はじめて対面を果たした。このころから、上京の志向が出てくるようになる。

2015年の冬に、2泊3日で東京へ旅行して、そのときにも王子はじめ「非健常者」の方々と遊んでもらった。

みんな、おのおの問題を抱えていたり、苦しんだりしながらも、おのおのしっかり生きている。いろいろな生き方、働き方、稼ぎ方があって、いろいろなキャリアデザインがあることもわかった。

私も、岐阜県では生きていけないかもしれないけど、東京でなら、もしかしたら生きていけるんじゃないか。ここで、いよいよ上京の決意が固くなる。人生の転機となる旅行だった。

その後、多くの人の助けを得て上京した。上京してからも、「非健常者」のみなさんとの交流は続いている。先日、結婚式を挙げたが、ちゃんと王子はじめ「非健常者」の方々も招待した。

「結婚式にネットの友達って……」と思われるかもしれない、笑われるかもしれないけど、私にとっては全員が人生の恩人で、大切な友人である。私を親しく支えてくれた人たちには、私の人生の門出を、ちゃんと見てもらいたい。妻にも、そうきちんと説明し、理解を得た。親族などには気を遣ったが……。

王子をはじめとする「非健常者」の人たちだけではない、Twitterを通して、本当にたくさんの人と出会うことができた。東京に友人・知人のいない私にとって、Twitterを通してもたらされる人間関係は、命綱みたいなものだった。いくら感謝してもし足りない。

現実で友人知人を増やすの、メチャクチャむずかしい。私は、人に語れるほどの趣味があるわけでもなければ、会話が得意なわけでもない、人間的に魅力的であるわけでもない。たとえばライブとかパーティーとかの集まりに参加しても、だいたいすみっこでひとりぼっち、お酒を飲むなりして、誰とも親しくなることなく終わってしまう。

そもそも、コミュニケーションに難があるから、知らない相手とだと、共通の話題を見つけることすらむずかしい。会話も「今日はいい天気ですね」「そうですね」「………………」それくらいで終わってしまう。つらすぎる。

その点、Twitterはラクチンだ。Twitter経由で「会いましょう」となる、第一のきっかけは「相手への関心」である、私の場合はだが。関心のない相手とは会わない、多分お互いに時間のムダになるので。少しでも関心があれば、会う。多分みんなそうなんじゃないか。

お互いに興味を持って「会いましょう」となる。タイムラインをさかのぼれば、すぐに相手の人となりについて知ることができる。「この人は酒場が好きなのか」「この人は喫茶店が好きなのか」「この人は遊郭に興味があるのか」「この人は労働問題に関心があるのか」などなど。

私は、Twitterで本当にたくさんの人と知り合うことができた。繰り返しになるが、この点はいくら感謝してもし足りない。上京する前後、また上京してから、累計すると100人以上の人と、Twitterを介して知り合った。そして幸いなことに、そのほとんどの人々と、今でも交流が続いている。

たとえばTwitterを介さない人間関係、合コン、ちょっとしたパーティー、異業種交流会、あるいは偶然の出会いとかだったら、こうはいかないんじゃないかと思う。私は20代前半のころ、いろんな社交の集まりに、積極的に参加していた。しかし、そこで出会った人で、今でも交流がある人は、ひとりもいない。まあこれは、主に私に問題があるのでしょうが……。

私が考える「Twitterの人間関係と、現実の人間関係の差異」について。ひとつ「Twitterは、お互いに関心を持っている状態でスタートすること」があげられる。これは大きい。そもそも、関心のない人をフォローすることはしないし、相手もそうだと信じている。

ふたつ「Twitterは、お互いにツイートが見られる」というのがある。会ったらヤバい奴は、大抵ツイートもやばいから、ここでフィルタリングできる気はする。というか、実際にフィルタリングしていた。

あとは、Twitterでフォロイー/フォロワーの関係になっていれば、頻繁には会わなくても、お互いの近況が知れるので、関係が途絶えづらいというのもあるかもしれない。

しかし、Twitterの人間関係も、現実の人間関係と地続きで、結局おなじことだとも思う。実際に会う前にツイートを参照できる。表面的かもしれないが、人となりを把握できる。そういう意味では、Twitterが入り口の人間関係のほうが、簡単なのかもしれない。しかし、いざ直接会ってしまえば、そこからまた現実の人間関係の作法が始まる。

Twitter上でのいい人が、現実でもいい人である保証なんて、どこにもない。ツイートを見て「この人は!」と思った相手でも、実際会ってみたら、「二度目は結構です」と、他人様の話ですが。そういう話も、よく聞く。

これは自慢なんだけど、私はこのへんの目利き? みたいなものがすごくて、Twitter経由で感じの悪い人に会ったことが、ほとんどない。友人には、本当に恵まれている。みなさん、本当にありがとうございます。

Twitterはテキストを中心にしたSNSだから、今日もみなさん、好き好きにつぶやいていらっしゃるものと思う。

たまにTwitterを「どんな発言も許される場」だと言う人がいるが、個人的には、絶対に違うと思う。Twitterのなかにも、小さな社会じみたものがある。アカウントひとつひとつの向こうには、ひとりひとりの人間がいる。Aという話題を好む人もいれば、嫌う人もいる。夢のない話かもしれないが、結局は現実と大して変わらない。

あと、「凍結」というシステムもあって、なんでもかんでも言いたい放題言っていると、Twitter村からパージされる仕組みもある。私も、以前は口さがないことを散々に書き散らしたり、汚い写真を臆面もなくアップロードしていたりしていた。そうしたら、おかげさまで累計3回凍結されて、ようやくルールやマナーを守ろうと思えるようになった。

自分の発言に対して、閲覧者からリアクション、好悪の反応が返ってくるのも、現実とおなじだ。ちゃんとした発言をすれば、好意的な反応が返ってくる。雑な発言をすれば、雑なリアクションが返ってくる。

ツイートが積み重なって、アカウントの人格的要素を作るのも、現実とおなじだと思う。嫌中・嫌韓的発言を繰り返していれば「ネトウヨ」にカテゴライズされる。美容や整形の話題を繰り返していれば「美容整形アカ」の括りに入れられる。ちょっとひねったツイートをしていれば「ネタアカ」として認知される。そして、一度築かれたキャラクターを変えるのがむずかしいのも、現実とおなじ。

「自分の発言に責任を持て」という話ではない。ツイートの内容に責任を持つの、私はイヤだ。ただ、自分が呟いた内容は、すべて現実と、ネット上の自分に返ってくるのだということが言いたい。これも、現実とおなじ。

ネットの人格・発言と現実の自分を切り分けることは、なかなかむずかしい気がする。たとえば、私のどうでもいいツイートに対して、無理解なリプライがついていたりすると、ネットのこととは言え、多少イラつく。

同様に、ネットのトレンドに乗って、なにかのネタを繰り返していたり、いいねやリツイートに踊らされて、軽率なネタを繰り返していると、現実の思考までそちらへ引っ張られてしまう気もする。

最近は、以前ほど真剣にTwitterをやっていない。ブラウザを開く回数も、以前と比べて少なくなった。Twitterには、あいかわらず親しみを感じているし、やめることはないのだろうけど、Twitterがもたらす弊害が目につくようになってきて、没頭することもなくなった。

ガンジーだかマザーテレサだかサッチャーだか、誰の言葉かは分からないらしいが、有名な格言がある。

Watch your thoughts, for they become words.

(思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから)

Watch your words, for they become actions.

(言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから)

Watch your actions, for they become habits.

(行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから)

Watch your habits, for they become character.

(習慣に気をつけなさい、それはいつか人格になるから)

Watch your character, for it becomes your destiny.

(人格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから)

具体的に誰とは言わないけど、ラジカルなツイッタラーのみなさんは、ご自分の思考や言葉、それに寄せられる安い賞賛にどっぷりつかって、自家中毒におちいっているようにも見える。そういう人を見ていると、かつての自分の姿を反省し、そしてSNSの利用にはくれぐれも気をつけようという気持ちになる。

現実では無名な学者やライターでも、Twitterでは有名人、というケースは多々ある。そういう人に限って態度が横柄で、声もデカいというイメージがある。Twitterでなまじ有名になってしまったばかりに、自意識が肥大化して乖離してしまう人も多い。

ネットが普及したといえども、現実とネットの垣根がなくなったわけでは、まったくないと思う。たとえばYouTuberのトップ・HIKAKINですら、地上波に出演すると「インターネット芸人枠」に入れられてしまう。最近だと「DOMMUNE騒動」とかもあったけど、現実とネットのあいだには、いまだに深い谷がある。

Twitterも、閉じた世界だ。Twitterで話題になっていることを、職場とかで話してみても、だいたい「は?」みたいになって、恥をかいて終わる。Twitterでいくら有名になっても、変に自意識をこじらせて「そういう人」になって終わりなんじゃないか。そうはなりたくない、いや、もうなってるかもしれないけど……そんな思いがあって、最近はいまひとつTwitterに熱が入らない。まあこんなことは、フォロワー数2,800人程度の分際で心配する話じゃないが。

私は、昔から文章を書くのが好き、というか、他には取り柄がないと思っているので、なんとか文章を書いて金を稼げたらいいなと思っている。ライターになりたい……noteというWEBサービスでは投げ銭をつけているのも、そういうことなので、みんなもっと投げ銭をしてほしいのだが……無理にとは言わんが……。

ライターになりたい、そのためには「ネットの有名人」になるのが手っ取り早い気はしている。事実、そういうキャリアパスを経ていく人を、幾度となく見てきた。が、私は「ネットの有名人」にはなりたくない。あんまり書くとヘイトスピーチになってしまうので控えるが、コマーシャルやアジテーションではない、自分が書くべきものを書いて、届けるべき人へきちんと届けられるような仕事がしたい。それがTwitterやネットで、本当に可能なのか、最近ずっと考えている。

Twitterには感謝している。Twitterを介して得がたい友人たちと出会うことができた。それはまぎれもない事実だ。これからも有益に利用していきたい。でも、しょせんネットはネットなのだよな。

今の私のTwitterフォロワー、2,800人前後で、もう地元の村の人口より多い。最近になってやっと、見ている人を不快にさせないツイートを心がけようという気になってきた。

2,800人の人々が、私のことに関心を持ってくれているように、私も2,800人の人々に関心を持ちたい。私のことをフォローしている人のなかには、かつての私と同様に、生活がままならない、人生がままならない人も多くいるだろうから、そういう人の力になりたい。できれば、一緒に救われたい。

でも、ムリなんだよな。私はひとりの人間として、人並み以下だし、すべての人をよく見て、すべての人によい働きかけをすることなんて、できない。そんなおこがましいこと、考えるべきではない。だいたい、まだ私自身の生活がままならない。正直、今は自分のことで精一杯で、ネットの向こうの、知らない他人のことにかまけている余裕なんてない。

私がやることと言えば、「みんなおはよう!」とか「○○を食べた」とか「飲(や)ってます」とか、一応今日もちゃんと生活しているよと、そういうことをTwitterに書くこと。あとは、たまにブログで、毒にも薬にもならない記事を書くこと。それくらいしかない。

いや、別に私のツイートやブログが、人を勇気づけているとか、調子に乗ったことは思わないけど。ただ時々「励まされました」「共感しました」みたいなメッセージをいただくことがある。そのたびになんか「さみしいなあ」と思ってしまう。せっかく2,800人もの人々とつながっているのに、みんなには声をかけられない。なんだか、とても切ない。

本当は、こちらからも、もっと声をかけていたい。その人のために、なにかできることをしたい。でも、それは不可能だし、2,800人分の人生、2,800人分の生きづらさみたいなものをぶつけられても、多分どうしようもない。

だから、諦念を込めて「しょせんはネット」と言う。「ネットの向こうにも人間がいる」それを考え出すとキリがないし、耐えられなくなってしまうから、「私はネットの向こうに人間がいるなんて思ったことない」と言う。私のフォロワーさんにおかれましては、「あんな奴でも毎日生きてるんだから、自分はもっとできるはず」くらいに思って、おのおの勝手に生きていってほしい。

Twitterはコミュニケーションツールとしてはすごく有用だと思う。Twitterで会ってみたい人、話してみたい人、まだまだたくさんいる。今はまだ生活が落ち着いていないから、ムリだけど、時期が来たら、またいろんな人と会ってみたいと思う。

有益な出会いにしたい。王子との出会いのように、私の人生に、そして相手の人生にもプラスになるような、そんな出会いにしたい。

Twitterの素晴らしいところ、その気になれば、地理的制約をすっ飛ばして人間関係を築くことができるところだと思う。実際、岐阜県にいたころに北海道のフォロワーさんと友人になって、いまでも付き合いが続いている。地理的制約だけじゃない、年齢も、性別も、社会的階層も関係ない、興味がわいて、気分さえ乗れば、どんな人とも会うことができる可能性がある。

同時に、これからもTwitterで「何者か」になったように錯覚しないよう、気をつけたい。Twitterで友人が多かろうと、フォロワー数が少し多かろうと、私は単なる30代だということを、忘れないようにしたい。

最近、ただでさえ生活がままならない。その上、ネットで自意識をこじらせて、人生が破綻しました! なんてことになったら、笑い話にもならない。「いいね」や「リツイート」では飯は食えない、地に足をつけて生活していくぞ。

末筆ではございますが、Twitterを介して出会うことができた友人、そしてフォロワーさん各位におかれましては、平成年間は大変お世話になりました。令和年間も、「あまなつ通り商店会」を何卒よろしくお願い申し上げます。

あと、これだけ書いておいてなんだが、Twitterに限らずネットを介して人と会うことの危険性だけは大声で唱えておく。幸い、私は危険な目にあったことはないが、ネット経由の出会いでなんらかの被害にあったケースは、枚挙にいとまがない。

特に、未成年や若い女性。大変残念なことだが、自分より弱い者を餌食にする卑怯者は、現実とおなじく、ネットにも多数存在する。いい人ばかりがいるわけではない。

「ネットの人」と会う場合には、くれぐれも慎重になって、「絶対に2人きりにならない」「金銭の授受をしない」などのルールを常に忘れず、遵守していってほしい。

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