「なにもしない」がむずかしい

02.メンタルヘルスのこと
この記事は約4分で読めます。

こんばんは。みなさん、まだ自粛してますか?

私はしている。もう2ヶ月くらい、自宅から300m以上離れた場所に出かけていない。外出の回数も、日用品の買い出し程度、最低限に控えている。

自粛ムード、「なにもするな」という空気が、漂っている。

仕事をする人、学校へ行く人など、生活するうえで必要至急の外出をする人は、やむをえないだろう。しかし、私のような無職の生活は、不要不急のかたまりなので、出かける大義名分がない。なにもできない。仕方ないので、家で「なにもしない」をしている。

とはいえ、ただ「息をしてます」「まばたきをしてます」というわけにはいかない。なんらかヒマつぶしをしなければならない。そういうわけで、最近までは、Twitterと真剣に向き合っていた。

Twitter、無限に時間を吸われる。他にすることもないからと、タイムラインを追いかけていたり、くだらないことをツイートしたりしていると、すぐに一日が終わる。

精神面での健康にも悪い。見たくもないニュースを見てしまい、一喜一憂することもある。余計なことをツイートしたばっかりに、変なのに絡まれることもある。

恥を覚悟で言うが、今までは、仕事をしているのとおなじくらいか、それ以上の時間を、Twitterに費やしてきた。立派なTwitter依存症である。

「Twitterを見る時間を減らそうか……」とも思ったが、依存症を治すには「0か100か」しかありえない。

そういうわけで、Twitterのアカウントを消した。厳密には、新しいアカウントを作って、そっちへ「おひっこし」した。

古いアカウント、なぜだかフォロワーが多く、私の承認欲求を上手いこと満たしてくれていた。依存症治療における「イネイブラー」みたいなもんだなと思ったので、思い切って死んでもらうことにした。完全に止められないのが情けないところだが、Twitterが生活に必要な面もあるから、仕方がない。

新しいアカウントでは、運用ポリシーを厳密に決めることで、「Twitter依存」の状況を打開しようとしている。

今後は、お昼の1時間(12-13時)以外は、Twitterを見ない。ツイートはしない。Twitterでは、ブログやnoteの更新情報とかを流す、機械的な発信専用にしようと思う。

みなさんのツイート、とても魅力的なんだけど、魅力的すぎて、見ているだけで一日が終わってしまう。なので、たまにのぞくくらいにしておきたい。だから時間もキッチリ決めた。

自分がツイートするのも、よくない。できるだけ公平中立、不偏不党のツイートをしたいのだが、ムリである。にんげんだもの。どっかで角が立つし、どっかで摩擦が起こる。なので、無意味なツイートはもう二度としない。

そうすると、多分結構まとまった時間を確保できる。特段やるべきことなどはないのだが、Twitterにのめりこむよりマシな時間の使い方、いくらでもあるはずだ。

たとえばこうやってブログを書くとかでも、Twitterに向かって怒ったり悲しんだりしているよりは、だいぶんマシだと思う。

あとは読書。なかなか気力が湧かないが、そろそろいい加減本を読んだほうがいい気がする。

短歌もいい。「死せる歌人の会」というのをやっていて、そちらに歌を出しているが、歌作にはげむのもいいかもしれない。

とにかく、なんらかの「なにもしない」をしなければならない。Twitter以外で。

中島らもだったかが、「教養とはヒマをつぶす技術のことだ」みたいなことを言っていた。そういう意味で言えば、私は、教養がまったくない。ヒマつぶしはTwitterに頼りきり、「趣味はTwitterです」と言わんばかりの状態。ツイートなんて指先ひとつでだれでも簡単にできるから、技術でもなんでもない。

もっとちゃんと「なにもしない」をしたい。

「なにもしない」をするのは、とてもむずかしい。

中国の古典にも「小人閑居して不善をなす(しょうもない人がヒマになるとロクでもないことをする)」と書いてある。昔から、ヒマつぶしはむずかしかったんだろう。

ロクでもないことはしたくない。あのままTwitterをやっていたら、多分いつか、ロクでもないことになっていた気がする。

プラスにならなくてもいいから、マイナスにもならない、そういうヒマのつぶし方をしたい。中島らもが言うところの「教養」を身につけたい。賢明とか、博学とか、そういう教養はもう諦めているが、せめてヒマぐらいはマトモにつぶしたい。

自粛下のSNSを見ていると、みなさん料理をされたり、手芸をされたり、DIYをされたりしていて、私はひとりで感心している。料理にせよ、手芸にせよ、DIYにせよ、「趣味」と言ってしまえばそれまでだが、こういう状況でのびのびと楽しめるものがあるのは、立派な「教養」だと思う。

反面、私には「教養」がないけど、ないからこそ、なにかを見つけるチャンスかもしれない。新しいことにチャレンジしてもいいし。「趣味はTwitterです」という状況から脱却したい。ちゃんとした趣味、ちゃんとした教養を身につけて、「なにもしない」をやりとげたい。

タイトルとURLをコピーしました