人を助ける

02.メンタルヘルスのこと
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昔から、なにかといろいろ押しつけられがちな人生だった。人から「困ってる」と言われると、放ってはおけない、助けずにはいられない。

人を助けること、それ自体は素晴らしいことだと思う。思いやりのある行為で、間違ったことではないだろう。

ただ、人を助けることが、どの場面でも正しいこととは思わない。ときには突き放すことも必要だと思う。

前の会社に勤めていたとき、先輩社員から「PowerPointの使い方を教えてほしい」と言われた。クライアントから提案書を出すように言われたが、どうやって作ったらいいかがわからず、困っているらしい。

当時、私はよくPowerPointで提案書やら企画書を作っていたので、それと似たようなものが作りたいらしかった。

そのときは、先輩のことながら、向上心があってよし、後輩に教えを乞う姿勢もよしと思った。困っているなら、力になりたいとも思った。

さいわい、それほど忙しい職場ではなかったので、「いいですよ」と快諾し、すきまの時間を使って、PowerPointの使い方を教えることにした。これが、大きな間違いだった。

教え始めてから気づいたのだが、この先輩、とにかく覚えが悪い。

先輩はもう40半ばだから、頭も固くなっていたのかもしれないが、それにしても覚えが悪すぎる。というか、そもそも覚える気があるのかどうかが、怪しい。

私がPowerPointで作った資料をテキスト代わりにして、文字はこう入れて、図形はこのボタンを押すんですよ、と説明していく。先輩、話はちゃんと聞いているのだが、手を動かす段階になると、てんでダメだった。

何度操作を教えても、使い方がいっこうに覚わらない。マルを描くのに30分以上かかる。オブジェクトの配置や、図形の使い方なんて、一度聞けば理解できるだろうに、この先輩には何度言っても伝わらない。

「わからない」を繰り返しているうちに、双方だんだんイライラしてきて、最後は先輩がぶっきらぼうに「俺の資料も、いい感じに作っといてよ」と言い出した。

そこでハッとした。コイツは、最終的には、私に丸投げすればいいやと思っていたのだ。

そもそも、PowerPointは、まったくむずかしいソフトではない。インターネットでちょっと調べれば、ノウハウやハウツーが山ほど出てくる。

そんな簡単なことを、自分ではまったく調べもせず、わざわざ他人に聞いてくる時点で、少しは疑うべきだった。

さすがに頭にきて「イヤです、資料は作りません」と答えた。「PowerPointを教えてほしい」と言われたから「教えます」とは答えたが、「代わりに資料を作ってほしい」とは言われていないし、それならはじめから断っている。

結局、先輩とはしばらく険悪になってしまった。厚意が、かえって仇になった形である。なんで先輩が不機嫌になるんだ、怒りたいのはコッチだよ。こんなことになるなら、気軽に「教えますよ」なんて言わなければよかった。

人を助けることには、慎重になったほうがいいなと思う。PowerPoint資料作成のときは、ちゃんと「イヤです」と言えたからよかったけど、過去には安請け合いをしてしまって、痛い目を見たことが、何度ある。

人を助けること、おおむね「いいこと」なのだが、2つ弊害がある。

ひとつめは、依存を生むこと。

たとえば資料作成の件で言えば、もしあのとき「代わりに資料を作ります」と答えていたら、たぶん先輩は、毎回私を頼るばかりで、自分で使う資料も満足に作れないままだっただろう。

先輩の能力の欠けた部分を、私が補う形になるが、私だって、いつでも代打に立てるわけではない。それに、自分で使う資料くらい、自分で作れたほうがいいに決まってる。安易な手助けは、能力開発のチャンスを奪うことになる。

ふたつめは、搾取を生むこと。

資料作りを一度引き受けてしまえば、必ず二度目、三度目が発生する。そのたびに、私は先輩の代わりに手を動かさなければならない。

先輩の代わりに資料を作ったところで、私にとってのプラスはなにもない。どころか、余計な手間と時間を奪われる。純粋にマイナスである。

こういう搾取の構造は、一度ハマると容易には抜け出せない。ほんの親切心、一度きりの助けのつもりでも、繰り返し善意を搾り取られることになる。

依存症治療のなかに、「イネイブリング」という言葉がある。en-abling、「可能にする」という意味の言葉で、主に依存症患者に対する「援助」「助け」のことを指す。

たとえば、ギャンブル依存症患者の借金を肩代わりしたり、アルコール依存症患者のやらかしの後始末をしたりすることを言う。患者本人にとっては「助け」だが、この「助け」が、かえって治療を遅らせる・妨げることもある。

先輩の話で言えば、安易に手助けをしていたら、一生ロクな資料が作れないままだったかもしれない。その後どうなったかは知らんが。

子供の宿題などもそうで、答えを教えてやるのは簡単だが、大切なのは解き方・考え方を身につけさせることだろう。宿題の答えだけわかったところで、それは学力にはならない。

本人のためにも、あえて突き放すことは必要になってくると思う。

「情けは人の為ならず」と言うし、街中で会った通りすがりの人を助けることは、どんどんやったらいいと思う。

ただ、家族や同僚のような、身近な人を助けるとき、「助ける」という行為が、相手にとってプラスにならない場合もあれば、自分にとってマイナスになる場合もある。

身近な人を助けるときは、慎重になって、ときには「助けない」という選択もありうる。

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