よく気が利くと思ったら発達障害だった

03.精神障害のこと
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自分で言うのもなんなんだが、昔から視角が広いというか、いろんな場面で、いろんなことによく気がつくというか、気遣い気配りがよくできるのが、特技だった。

たとえば、飲み会の席などでもそう。誰かのグラスが空きかけている。誰かが退屈そうにしている。誰かの具合が悪そうだ。誰かが誰かを煙たそうにしている。そろそろ誰かの終電だ。どこのテーブルはなんの話しをしていて、どこのテーブルの料理がなくなりそうなど、だいたいの状況をまとめて把握して、それに合わせて行動することができた。

こういうことを「しよう」と思った、こういうことが「できる」ということに気がついたのは、大学生くらいのころ。この頃は前向きな「長所」として、役に立っていた。当時は、ビジネスサークルに入っていて、酒席に限らず、様々な気遣い・気配りは、ビジネスパーソンの嗜みとして当然身につけるべきだとも思っていた。

社会人になってからも、そう。この長所のお陰で、先輩・上司・顧客からの印象は、おおむねよかった。「気が利く」と認められていたから、接待の場などでも重宝された。おかげさま、会社の経費で、おいしいものをたくさん食べに行けた。歴とした「長所」である。

ところが、ここ半年ほど、この「長所」がコントロールできないように感じて、とてもしんどく、とてもつらくなってきた。

たとえば、喫茶店へ行ったとき。店内の会話が、すべて頭のなかへ入ってきてしまう。こういうことは、以前からあった。以前なら、遠くのテーブルの話を盗み聞きする余裕もあったのだが、最近は、よその会話や物音に耳をとられてしまい、一緒にいる人との会話が、まったく頭に入ってこなくなってしまう。

たとえば、新宿駅へ行ったとき。視界から入ってくる情報が、すべて頭のなかへ入ってきてしまう。誰が何色の服を着ているか。誰が男で誰が女か。身長や体格。カバンを持っているかどうか。髪は長いか短いか。靴の形。あるったけの情報が、目から頭のなかへ入ってくるから、思考がパンクして、立ち尽くしてしまう。

飲み会の席でも、そう。店のなか、聞こえる範囲すべての音や声が、頭のなかへ入ってきて、また頭がパンクする。関係無いテーブルの会話に、頭が支配されてしまう。大人数での飲み会、ガヤガヤとした店が、とにかく苦手になった。

以前、友人と焼き鳥屋へ行ったときのこと。友人との会話を楽しんでいたら、店主がいきなりテレビの電源を点けた。テレビでは「警察24時」かなにかがやっていて、その音声が、結構大きな音量で流れ出した。

その瞬間、意識がすべてテレビの音声に持っていかれてしまい、友人の話が、一切頭に入ってこなくなってしまった。耳には、関心もないテレビの音声が入ってくるだけで、友人の声が聞こえない。結局、店主がテレビの電源を切るまで、まともに会話ができなかった。こういうことが、頻繁に起こるようになっていた。

人の声や、大きな物音が、とにかくストレスになる。近くの人がなにを話しているのか、すべて聞こえてしまう。下衆な会話や、下世話な会話まで、すべて聞こえてきて、すごくイライラする。特に、中年の女のまくし立てるような声、年寄りのがなるような喋り声には、近づくのすらキツい。

人の姿も、気になる。車道をフラフラ歩く子供。スマホを操作しながらの自転車。よそ見している歩行者。まわりを見ていない高齢者。狭い道を飛ばす自動車。道路にはみ出した障害物。路駐の車。すべて同時に見えてしまって、すべてにヒヤヒヤしてしまう。

要するに、情報の取捨選択ができない。耳から入ってきた音、目から入ってきた光を、すべて情報として、頭のなかへ取り込んでしまう。まわりが気になって気になって、仕方がない。もう「長所」というより「症状」である。

担当の医師とカウンセラーさんに、こういう話を順番にしていたら、ある日から薬の処方が変わり、「ストラテラ」という、発達障害の薬を飲むことになった。

ストラテラを飲んだら、「症状」は途端に治まって、また「長所」が戻ってきた。いや、ストラテラを飲んでも、物音・会話・人影・景色は、洪水のように頭のなかへなだれ込んでくる。やはり、まわりが気になってしょうがない。

ただ、ここ半年ほど感じていた、情報過多による強いストレスは、おおむね消えてくれた。情報がいっぺんに入ってきても、パニックにならない。自分に必要な情報を、ピックアップして反応できる。そして、またいい意味で「視角が広く」「気が利く」ようになってきた。

私は、自分が発達障害であるとは、今も認めていない。確定診断を受けたわけではないし、なんなら検査も受けていない、問診しかされていない。医師の所見、カウンセラーさんの意見以外、私が発達障害であるという根拠はない。

以前通っていた精神科で、発達障害を疑われ、IQを測る検査を受けさせられたことがある。結果はシロだったが、当時の主治医からは「キミは発達障害だと思う」としつこく言われた。検査がシロである以上、私は発達障害ではないのだが……失礼な話である。

だいたい、私はすでに双極性障害という、立派な障害を持っている。障害はひとつで十分で、ふたつも要らない。精神疾患・障害は、併発することも多いらしいが、それにしてもトロフィーふたつは重すぎる……勘弁してほしい。

とは思いつつ、ストラテラがてきめんに効いていることを考えると、「私は発達障害なのかな」と思わざるを得ない。最近は、医師もカウンセラーさんも、「私が発達障害である」という前提に立って話をしてくるので、ますます「そうなのかな」という気持ちになってくる。

「発達障害かも」と告げられたときは、それほどショックではなかった。信じたくはないが、なんとなくそんな気もしていたし、「そうですか」と少し笑ってしまった。あと、障害であることを告げられるのは二度目だから、もう慣れたものである。

それに、不安や恐れよりも、今回は早めに障害を特定できたこと、早めに薬物療法を始められた安堵感が勝っていた。はじめて双極性障害を負ったときのように、悩み苦しみながら、生き方を暗中模索するのは、もう懲り懲りだから。

しかしながら、服薬の種類が増えたのは、非常につらい。管理が大変だ。ストラテラは薬価が高いから、なおさらつらい。しかし、それではるかに生活しやすくなるのだから、受け入れるしかない。

ストラテラ、機序とかはよく知らないけど、カプセルがDr.マリオ(わかるか?)に出てきそうなヤツで、カッコいいから気に入っている。1シートが14錠、それが7錠ごとに分けられるようになっているのも、いい。多分、注意欠陥の患者のために、毎日の服薬を忘れないようにという配慮だろう。私は現在1日2回にわけて服薬しているが、頻繁に飲み忘れる。

注意欠陥といえば、最近よくズボンのチャックが開けっぱなしになっているだけど、これも発達障害の症状なのだろうか。すべてが疑わしくなってくる。

発達障害って、大人になってからでもなるのかな。よくわかんないんだけど、視覚過敏・聴覚過敏が発達障害の症状だとしたら、この状態をこれからずっと耐えていくのは、きっと本当にきつかっただろうなと思う。

私は以前は鷹揚なほうだったんだけど、この「症状」が顕著になってからは、他人や外部に対して、常にイライラしていた。以前と比べると、格段に怒りやすくなったし、それでいっときは、いよいよ本当に自分の気が狂ったのだと思っていた。もともと、双極性障害を薬で抑圧している生活だから、いつ精神が狂気に振れても、おかしくはないとは思っていたし。

ストラテラを飲んだら、そういうイライラは、一応治まってきた。ストラテラが効いているということは、おそらく発達障害か、それに近い疾患なのだろう。発達障害であることを認めたくはないが、それで説明がつくなら、仕方がない。

過去の記事にも書いたが、ストラテラが「効いた」ことで、人格が変わってしまったかもしれないという不安がある。

薬の効き目には個人差があります、これは私の場合だから、話半分で聞いてほしい。ストラテラを服薬するようになってから、理不尽なイライラはなくなったし、怒りっぽさは治まってきた。

ただ、自分が「不義理だ」「不道理だ」と感じたことに対して、すごく不寛容になった。不義理・不道理に対しては、以前よりも怒りやすくなった。以前なら、ガマンできたはずのことが、今は我慢できない。部分的ではあるが、怒りやすさが増したように感じる。

ただ、裏を返せば、今までは他人の不義理や不道理を、甘んじて受け入れていたってことなんだよな。その上で「ちゃんとした人」「寛容な人」「いい人」という評価をいただいてきたんだろうけど。そんな他人からの評価は、もうどうでもいい。

自分が、本当に怒りやすくなったと感じる。それによる弊害も、いくらか感じているし、反省すべき点もいくつかある。しかし、これは怒りの表現・ストレス表現がちゃんとできているからであって、必ずしも悪いことではないと思っている。

発達障害、いまだになにかよくわからない。あまり関心もないし。調べる気も大してない。しかし、まさか「よく気が利く」ことが糸口で、発達障害が発覚するとは思わなかった。意外すぎるし、イヤすぎる。

自分の「よく気が利く」という「長所」、大学時代から頑張って身につけてきたと思っていた長所が、発達障害の単なる「症状(視覚過敏・聴覚過敏)」かもしれないと気づいてしまい、今とても悲しい。本当に悲しい。

しかも、それがわざわざ30歳を過ぎてから、ひどい苦痛をともなって、実害を与えてくるなんて。なんか、かわいがってた飼い犬に、手を噛まれた気分である。ちなみに、昔ペットの犬に手を噛まれて、3針縫ったことがある。とても痛かった。

しかし、言い換えれば「よく気が利く」という「症状」のおかげで、気遣い・気配りの習慣を、深く身につけることができたのかもしれない。今でもちゃんと「よく気が利く」のは、障害のせいだけではない、長年にわたって身につけてきたものでもあると信じたい。そうでないと、やるせない。

「よく気が利く」という「長所」のせいで、最近の生活に不便が出ており、また強い生きづらさを感じていたのは、たしかなことだ。ストラテラを飲むことで、それが大幅に改善されたので、私の話をよく聞いてくれた医師もカウンセラーさんも、さすがだと思う。何様かわからないが、素直に感心するし、ほめてあげたい。

もともと、人混みは得意ではない。ストラテラの服薬を始めた今でも、人が多い場所は、意識的に避けている。ただ、以前は平日昼間の山手線程度の混雑ですら、強いストレスを感じていたのが、最近は特になにも感じなくなった。大きな進歩である。

30歳にもなって発達障害とは、これいかに。という感じであるが、最近ではよくあることらしいし、まあ早めに見つかってよかったと思うほかない。不幸中の幸い、心療内科へ通っていてよかった。もし病院へ通ってなかったら、もしカウンセリングを受けていなかったら、このつらさを抱えたまま生き続けていたかもしれないと思うと、ゾッとする。

そういえば、先日SNSで「住宅ローンが組めなくなるから、気軽に『心療内科へ行け』って言うな」っていう投稿を見かけたけど、こういう発想は、とんでもないことだと思う。

住宅ローンのために精神疾患を見過ごして、深刻な事態に陥るより、精神疾患を治療して、住宅ローンを先延ばしにするほうが、はるかにマシだろ。住宅ローンなんて、疾患が寛解して5年10年経てば、また利用できるようになる。それに、極論を言えば、たかが家のために健康を害して死ぬのは、バカバカしい。

人間の脳のことは、いまだによくわかっていない。だから、精神疾患だって、これからもっと種類が増えてくるんじゃないか。今まで見過ごされていた苦しみに、光が当てられることは、いいことだ。

なにが言いたいか、よくわからなくなってしまった。とにかく、気持ちがつらい、なんだか生きづらい、そういうときは、迷わず病院にかかってほしい。誰がなんと言おうと、私はこれからも「つらくなったら、さっさと病院へ行け」と言い続けていくぞ。私みたく、妙なアプローチで、問題が解決することもあるから。

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