DISLIKEさせろ

04.じんせいのこと
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TwitterやFacebookなどのSNSのを使っていると、いつも不思議に思うことがある。なぜ「LIKE(いいね)」ボタンしかついていないのだろうか。人間の感情は、複雑で多岐にわたるはずなのに、なぜ賛意・肯定的な感情を表すボタンしかついていないのか。

そのためか、SNSの自己紹介欄に「『いいね』は必ずしも賛意を表すものではありません」みたいな、ただし書きをしてる人もたまに見かける。気持ちはわかるけど、まあ無意味な宣言だと思う。だって、運営が「LIKE(いいね)」って名づけてる機能なんだから、受け取る側には「LIKE(いいね)」という賛意・肯定して捉えられるのだろうし。

賛意しか見えないシステム、すごく危険だと思う。どんな偏って尖った意見、おかしな意見でも、一定の賛同者はつく。そして、意見は尖れば尖るほど、賛否両論をもたらしやすい。この賛否両論のうち、賛意しか可視化されない。メチャクチャでバカげたな意見でも、SNS上では、強く肯定されているように見えてしまう。

自分のなかの、極端で、異常な部分を露出して肯定される。これほど気持ちのいいことはないんじゃないか……普通の人は、どこかでこの異常性、SNSの危うさに気づくんだろう。それでも、ここで狂気におちいってしまう人は、結構いると思う。名前は出さないけど、著名人でも無名の人でも、実例は枚挙に暇がない。私自身も、どうかわからないし……。

最近だと、Twitterで、某社の編集者様が、他社の編集者に向かって、書籍の販売姿勢を揶揄するような意見表明をしているのを見た。「うわ、下衆だなあ」と、不愉快になったりした。ああいうゲスな意見表明を、Twitterという公開の場でやってしまえること、素直に感心する。きっと、件の編集者様はもう「SNSの狂気」におちいっているように見える。

SNSもインターネットだから、自由な意見のやりとりがなされてしかるべきだと思う。反面、やはり人と人とのコミュニケーションだし、なにを言っても許されるということはない。

インターネットを見ていると、どう逆立ちしても賛同しかねる意見を、頻繁に見かける。たとえば差別。偏見。攻撃的な妄想。嘲笑。一方的な言いがかり。極論など。無視すればいいだけだし、実際に無視するほかないんだろう。

しかし、「無視する」ということも、一種の意思表示だろう。「沈黙すること」も、コミュニケーションのひとつだけど、「間違っている」と思ったことに対して沈黙するのは、イヤだ。「間違っている」と思ったことに対しては、ハッキリと「間違っている」と言いたい。

言葉狩りになってしまうかもしれないけど、たとえば精神疾患・障害を揶揄する文脈での「キチガイ」という単語を「私は」許さない。この単語をあえて使う必要はないと「私は」思うし、この単語をあえて使う人の意見を「私は」受け入れられない。

表現は自由だから、差別語でもなんでも、自由に使えばいいと思う。反面、やはり、目に入ってきて不愉快に思う表現もある。そういうときに、不賛同を表明する手段が、今は存在しない。

まあ、投稿した本人に向かって直接「そういうのはよくないですよ」「私は反対です」と返信するなりすればいいのだけど、それはそれで対決姿勢を明確に示すことになり、角が立つ。面倒くさい。ダルい。匿名で反対意見を表明したいが、それはできないのが現状である。

不愉快な表現に対しては「正面切ってやり合う」のが、いちばん正しい手段だというのは、私もよくわかっている。正々堂々としていて、男らしいしね。

ただ、ネットでのコミュニケーションは、現実のそれと同様、あるいは現実以上に、公平でもなければ公正でもない。端的に言えば、SNSも「声のデカい奴」が勝つ世界である。

何年か前、あるSNSで「〇〇〇〇〇(芸人)がキライ」みたいなことを、何の気なしに書いた。キライだったから。そしたら、〇〇〇〇〇本人にシェアされた。〇〇〇〇〇のフォロワーは、10万人くらいだっただろうか。私の恥ずかしい投稿が、拡散されてしまった。ここまではいい。名指しで、無根拠な意見表明をした私が、圧倒的に悪い。

そのあと、〇〇〇〇〇からはそれ以外なんの反応も無く、かわりに〇〇〇〇〇の取り巻きから、若干数の中傷が飛んできた。要するに、〇〇〇〇〇は、私を晒し上げにしたのだ。

いささか大袈裟な言い方にはなるが、数の暴力で、意見を封殺しようとした行為だと思う。まあ、大した数じゃなかったから、大した迫力もなかったが……「インターネットとはこういう場所だ」ということを教えてくれた〇〇〇〇〇(芸人)には、今でも感謝している。

著名なインターネットユーザー、〇〇〇〇〇(芸人)みたいな奴ばかりなんだろうなと思う。広く自由な言論の場で、何万人、何百万人の人々に、自分のイビツな本心が受け入れられるのは、さぞかし気持ちいいだろう。突っかかってくるのなんて、取るに足らないザコばかりだ。そんなザコは、自分が手を下すまでもなく、頭の悪い取り巻きたちが、騎士団のごとくやっつけてくれる。

反対意見は晒し上げにして、無言のうちに封殺する。これって、正しい態度だろうか? 「すき」「キライ」を表明するのも許されないのか? なにが「インターネットは自由」だ。完全に言論統制じゃないか。これじゃあ、私みたいな弱小インターネッツは戦えない。沈黙するほか術がない。

だからこそ、実名ではなく、匿名での意思表示が重要になってくると思う。「王様の耳はロバの耳」そう吹き込むための小さな穴が必要だ。「王様はロバの耳」と唱える、広い葦畑が必要だ。

「ガールズちゃんねる」という、匿名掲示板がある。2chのように、テーマ別のスレッドにコメントをつけていく掲示板なのだが、ガールズちゃんねるにはユニークな機能がついている。コメントにプラス/マイナス評価がつけられるのである。

たとえば、テーマに対して情報を補足したり、深堀りして解説するようなコメントに対しては、プラスの評価が集まる。

逆に、テーマと無関係な投稿や、テーマと関係があっても差別的・攻撃的な投稿に対しては、マイナス評価が集まる。

マイナス評価の割合が多くなるにつれて、コメントを表示する文字サイズが小さくなっていく。

非常にいい機能だと思う。多数意見が、必ずしも正しいとは限らないから、投票によってコメントが表示されにくくなるのは、少しやりすぎかもしれない。しかし、投稿したコメントに対する閲覧者の印象が、可視化されるのはいい。

当然「LIKE」「DISLIKE」投票へのイタズラや嫌がらせ、恣意的な操作が起こることも予想できるが……そんなもの、現状すでにバンバン起きているのだから、いまさら問題視する必要はないだろう。

今日日「食べログ」のスコアが、完全にユーザージェネレイテッドだなんて思ってる人はいないけど、「食べログ」は広く利用されている。グーグルレビューは、ときおり電波まみれになりながら運用されている。

オープンなサービスなんだから、多少の誤差はありつつ、最終的には収まるべきところへ収まると思う。

SNSやブログなどの投稿に、「DISLIKE」できるようになったら、ビッグなインターネッツたちによる「言いたい放題」の現状は、いくばくか改善されるのではないか。少なくとも、現在のような「全肯定」の状況は変わる。

まあちょっとばかし「DISLIKE」がついたところで、本人たちの意識は、なにも変わらないだろうけど。でも、投稿や記事に対する反対意見の数が可視化されることで、その記事を読む人たちの意識は、変わってくるかもしれない。

あと、SNSに限らず、ネットニュース・ウェブメディアなんかでもそう。PVを稼ぐための扇情的な記事。ロクに取材もしないコピペ文章。ライターの偏見や思い込みのかたまり。結論ありきのルポもどき。そういったものをリリースしたら、あとはほったらかしで、そのあとの責任なんて一切負わないクソメディアが多い。結局、旧来のマスメディアとなにも変わっていないか、質だけ落とした感じだ。自分でも支離滅裂なことを言ってるのはわかってるが、私はウェブメディアがキライ、大キライだ……。

たとえば、記事に対してカジュアルに「LIKE」「DISLIKE」をつけて、賛否の評価を示せたらどうか。評価の低いクソ記事、それを書いたクソライターが駆逐されるようにしたらどうか。ちまたのクソメディアも、多少はマシになるんじゃないか。奴らに自浄作用なんて求めてもムダだろうが……。

クローズの場なら、どんな表現をしても構わないと思う。たとえば金を払って見るコンテンツ、メルマガや演劇や講演会などは、初めからある程度「わかっている」人の目にしか触れないから、問題は起きにくい。

落語、興味のある人は少ないだろう。寄席とかへ行くと客席にはジジババしかいない。舞台上の落語家は、テレビでよく見る若手落語家などでも、若者やその文化の悪口を、下衆で差別的な表現を盛んに使って、ジジババ観客の笑いをとっている。非常に不愉快な話だし、これを聞いて「落語なんて絶対に聴きに行くかクソ」と思ったが、閉じた場でどんな話をしようと、それに外野が口を出す筋合いはない。

これがオープンな場なら、話は別である。たとえば私が、ここにいくつかの差別的表現を記したとして、それがたまたま当事者の方の目に触れて、気分を害してしまった、あるいは傷つけてしまったとしたら、その責任は私にある。

そして、インターネットというオープンな場においては、どのコンテンツが、どういった人の目に触れるかが予測できない。私は、コンテンツを作成・提供する人、情報を発信する人は、その責任を負わなくてはならないと思う。

インターネット、なにを書いても自由なわけじゃない。ネットの向こうには人間がいて、私やあなたたちがアップロードしたコンテンツを、誰かが必ず見ている。だからこそ、私たちは常に、フォロワーが多かろうと少なかろうと、「観客」を意識した立ち居振る舞いをしていかなくてはならない。

って言っても、ムダなんだよな。「観客がいるんだぞ」って言ったところで、情報を発信する側からは、情報を受け取る側の顔なんて見えてないし。わざと攻撃的・差別的な表現を使って数字を稼ぐ・話題をとりにいく奴はいるだろうし。デマを流す奴もたくさんいるし。無益な扇動を繰り返す奴もいっぱいいる。大手メディアと、その中の人(笑)でさえそうなんだから、いわんや末端のネットユーザをや、である。すみませんね。

だから、TwitterやFacebookにも、はやく「DISLIKE(よくないね)」ボタンが実装されてほしい。件の編集者様みたいな、SNSの狂った「王様」たちが冷水を浴びせられるのを見たいし、コミュニティが殺伐とするのを見たい……いや、それは冗談として、SNSなどから発信された情報に対して、フィードバックがつくような仕組みがほしい。いい発信には「いいね」が、悪い発信には「よくないね」がつくような仕組みが実装されてくれればいいと思う。

それと同時に、SNSの狂気に陥ってしまった自意識肥大化人間が、少しでも正気に戻ってくれたらいい。

これは私も大いに反省すべきところなんだけど、疾患・障害や過去の失態、(本来の意味での)性癖・嗜癖などを、なんでもかんでもSNSで公開してしまうのはよくない。それらは、人格において克服・改善すべきところであり、SNSで肯定を集めるための道具ではない。

「(それらの部分も含めて)自分のことを、なんでもSNSで肯定してもらいたい」と思う気持ちは、あまり言いたくないけど、異常で病的だと思う。自分の欠点をSNSのオモチャにしてないで、早く医療や福祉にかかってほしい。

いやでも、細かいことはどうでもいい。親指を真下に突きおろしながら、大声で「よくないね!」と言いたい。早く「DISLIKE」ボタンを実装してほしい。

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