ずっと好きだった

04.じんせいのこと
この記事は約5分で読めます。

最近、Facebookを再開した。

アカウント自体は、大学生のときに作ってたんだけど、いつの間にか登録したメールアドレスとパスワードを忘れてしまって、ログインできなくなってしまっていた。

「まあいいや! 私にはTwitterがある!」そんなことを思って、何年も放置していた。

しかし、今年の2月に「私たちは消された展」というグループ展に参加したことがきっかけで、Facebookのアカウントを復活させることにした。

「消された展」あとから聞いたことだが、やり取りの大部分が、Facebookのグループ上で行われていたらしい。

私だけ、主宰の方が個別で連絡をくださっていた。お手数をお掛けして申し訳ありませんでした……。

あと、展示が終わってからも、「消された展」のみなさんと交流したいと思った。

みなさん、素晴らしいアーティストの方ばかりで、開催期間中は学ぶことばかりだったし、せっかくの出会いをムダにしたくないと思った。

というわけで、気合と熱意で、Facebookのアカウントを復活させた。最後のポストは2014年の12月、実に5年振りにログインしたことになる。

まずはじめに、過去のポストをすべて消した。Twitterに真剣ではなかったころは、Facebookに真剣だった。

過去の私は、ビジネス意識高い系と、メンヘラの両極を行ったり来たりしていて、Facebookのポストを見ると、そのときの思い出がアリアリと浮かんでくる。

変なセミナーに参加してから、タグ付きまくりの熱い感想をシェアしていて、キツい。

うつで落ち込んで、厭世的なポエムを書いているのは、恥ずかしい。

一件一件、手作業で投稿を消していく。自分の過去と向き合うのは、大変な苦行だった。

タイムラインがまっさらになったところで、ようやく「消された展」のみなさんへ、友人申請を送った。

さて、私はヒマなので、Twitterを見る感覚で、Facebookのタイムラインを遡っていく。

すると、1年前くらいの投稿で、学生時代にちょっと好きだった人が、第一子を出産していたことを知った。

コメント欄には、大学の友人たちからの「おめでとう」があふれていた。

その投稿を見たとき、当時のことを思い出して、少し胸が痛んだ。

その人と私との間に、特別ななにかがあったわけではないのに、なぜだかわからないが、少し胸が詰まる思いになった。

なんとなく、みんなのように素直に「おめでとう」とは、言えそうになかった。

その人とは、それなりに仲はよかったが、「むかしちょっと好きだった」以上の関係はない。

第一、もう10年以上前の話だし、Facebookを開くまで、その人の顔も名前も忘れていた。

私は私で、もう結婚しているし、配偶者とも良好な関係を保っている。でも、むかしちょっと好きだった人に対して、なぜか心が痛んでしまった。

「この気持ちは、なんだろう?」ふとそう思い、試しに「むかし好きだった人(いいなと思っていた人も含む)」のFacebookページを、全員分見てみることにした。約10人くらいだけど。

特に、交際ステータスにフォーカスして見ていく。

ほとんどの人には、すでにパートナーがいて、わずかだけれども、やはり胸が痛んだ。

1人だけ、すでに結婚していたが、胸が痛くならなかった人がいた。15年間くらい、ずっと片想いしていた、中学の後輩。

その人のことが、ずっと好きだった。中学生の頃から、20代も後半になるまで、ずっと好きだった。

その人に恋人ができてからも、進学で離れ離れになってからも、その人がマルチにハマってからも、その人が結婚してからも、ずっと好きだった。

その人のことは、今でも好きである。ただ、おなじ「好き」でも、むかしのような「恋愛的な好き」ではなく、「友人として好き」である。

どうしてそうなったか。

何年か前、その人のもとに子どもが生まれたとき、出産祝いを持っていった。

正直に言えば、行きたくなかった。

知らない他人と暮らすその人の姿など、見たくなかったのだが、友人に無理やり連れられて行った。

そこで、子どもを抱いたその人の姿、家庭を築いたその人の姿を見て、「この人の人生に必要だったのは、私じゃなかったんだな」ということを、ようやく悟った。

その瞬間、憑き物が落ちたように、15年間の「好き」が、どこかへ消えた。

一昨年、その人のもとに2人目の子どもが生まれたときにも、お祝いを持っていった。今度は素直に、心から「おめでとう」と言えた。

その人の幸せそうな姿を見ていると、私も幸せを感じる。

よく「男の恋愛は名前をつけて保存、女の恋愛は上書き保存」なんて言われる。

「男女が関係あるのか?」とケチをつけたい気持ちはあるが、おおむね言い得て妙だとも思う。

私も、この言葉通り、過去のすべての恋愛感情に名前をつけて、今日の今日まで大事に保存している。

過去の恋愛、憑き物みたいなもので、そうそう簡単に清算できるものではないと思う。

実際、結婚した今でも、むかし好きだった人々のことを思い出して、ほんのりイヤな気持ち、苦い顔になる。主にFacebookのせいだが。

ある瞬間に、フッと憑き物が落ちることもある。私の場合、15年間ずっと好きだった人が、今も幸せそうに暮らしているのを見たときが、それだった。

これがもし不幸そうだったら、そこでまた拗(こじ)らせていたかもしれないが……。

恋愛が過去のものになってしまう寂しさも、あるといえばある。私とその人とでいえば、15年越しの私の想いは、一瞬でどこかへ消えてしまった。15年といえば、私のほぼ半生なのだが、どうしてくれるのか。

一時期は憎からず想っていた人々にしたって、今も憎からず想っているわけで、そういう想いをどうしたらいいのだろうか。

ただFacebookを眺めるだけでは、解決できそうにない。

みんなに、少なくとも、私がむかし好きだったみんなには、幸せであってほしいと思う。

結婚して、家庭を持ったみんなには、特にちゃんと幸せであってほしいと思う。

私はあなたのことが好きだったのに、あなたは私以外の人との人生を選択したんだ。

その選択肢の先で、きっちり幸せになってほしい。

非常に身勝手なのは重々承知だが、そうでないと、私の気持ちが報われない。

むかし好きだったみんなが、それぞれ幸せな姿を見せてくれれば、私がFacebookでほんのりイヤな思いをしなくてもすむ。結婚・出産は、ドンドンFacebookに報告していけ。

むかし好きだったみんな、今でも好きです。みんなの今が、幸せでありますように。

タイトルとURLをコピーしました