就職活動のこと

04.じんせいのこと
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順調に大学生をやっていると、ほぼ必ずぶつかる壁がある。就職活動(就活)である。ご多分に漏れず、私も就活をした。

2007年、大学3年生の冬ごろから、就活を始めた。といっても、リクナビに履歴書を登録しただけだが。

当時は、大学3年生の秋ごろから、就職サイトがオープン、年明けくらいから非公式の面談が始まり、春ごろから面接、4~5月に内定が出る、というのが、一般的な流れだった。

私が就活していた年度は、「売り手市場」と言われたほど新卒採用が活発で、別になにもしなくても、なんとかなるような雰囲気を感じていた。

実際、リクナビに履歴書を登録しただけで、企業からの採用オファーが、毎日山のように届いていた。面倒くさかったので、ほとんど見てなかったが。

同級生は、年明け前から積極的に、合同説明会や就活セミナーへ出席していたが、私はしていなかった。面倒くさかったので。

かといって、自主的に業界研究や企業研究をしていたわけではない。面倒くさかったし、なんとかなるような雰囲気を感じていたので、特になにもしていなかった。

業界研究や企業研究など、就活らしいことは、マジでなにもしてなかった。面倒くさかったので。

あと、マジのマジで働きたくなかったので、企業にも職種にも、興味がなかった。

ただ、大学を卒業したら、イヤでも就職はしなければならない。

実家はサラリーマン世帯だし、起業する気力もなければアイデアもない。ならば、就職するしかない。

仕方なく、嫌々、リクナビで応募を始めた。

とはいっても、応募したのは、たったの10社くらい。たくさん応募するのは面倒くさかったし、世間の会社のこともよく知らないし。

肝心な10社の志望動機だが、タバコを吸うからJ〇、あと、酒も飲むのでキ〇ンやサン〇リーなどに応募した。

すべて「好きだから」「有名だから」という理由、しょうもない動機で、だれでも知っている有名企業・大手企業ばかりに応募していた。

同級生などは、みんな100社以上に応募していた。有名な会社もあれば、無名な会社もある。

私は「みんなたくさんの会社を知っているのだなあ!」と感心したり、「みんなそんなにヒマなのか……」とバカにしたり、「100社も管理できないだろ!」と要らない心配をしたりしていた。

いま思えば、心配されるべきバカは、私のほうだったのが……。

リクナビで10社(たった10社!)に応募をして、それ以外はなにもしない、本当になにもしないまま、年が明けた。

なにもしてないんだけど、年明けからしばらくして、企業から、個別に電話がかかってきたり、メールが来るようになった。

「カジュアルに話をしましょう」というオファー、いわゆる「リクルーター面談」のお誘いである。

リクルーター面談とはなにか。「入社志望の学生と、リクルーター(先輩社員)のコミュニケーションを図る」というていの、アンオフィシャルな面接、学生の囲い込みである。

自分で言うのもなんだが、私はそこそこの大学に通っていたので、リクナビに登録して「御社に興味があります!」みたいなボタンを押すだけで、リクルーター面談の連絡がたくさん来た。

渡りに船で、応募した会社からも、リクルーター面談のお誘いが、いくつか来た。

喫茶店や、ホテルのラウンジなどでお茶をしながら、社員の方から仕事の話を聞く。それを数回繰り返せば、選考ルートの一部をショートカットできる。

リクルーター面談、正直楽勝だった。

これも自分で言うのはなんだが、私は人当たりがメチャクチャいい。

根っこは、面倒くさがりで、だらしなくて、チャランポランなのだが、第一印象を取り繕うことだけは、大得意である。

人と話すのも得意なほうなので、サシで話すことができるリクルーター面談は、圧倒的なアドバンテージになった。

「平服でお越しください」と指定があった面談では、「平服」の意味がわからなかったので(今もよくわかってないが)、私服で行って落とされたりしたが、リクルーター面談による選考は、だいたい順調に進んでいった。

しかしながら、なにごとも、上手くいくことばかりではない。

もとの持ち玉が10社しかないうえに、どこも大手企業・有名企業ばかり。大手企業・有名企業というのは、大手で有名なだけあって、競争率がメチャクチャ高い。

みんな考えることはおなじ、大手企業・有名企業に入りたいのだ。膨大な量の応募が集まるから、書類で蹴られることも多いし、面接通過率も低い。

たとえば、サン〇リーでは、最終面接まで漕ぎ着けたのだが、面接前の待合室で一緒になった学生と話をしていたら、1人は京大の修士、もう1人も神戸大の修士だと言っていた。

それを聞いたら、しがない中堅大学・学部卒の私は「なぜここにいるのだろう?」という気持ちになって、それが面接でモロに出たせいか、落ちた。

キ〇ンは、履歴書をパスして、面接に呼ばれた。1次面接も通過して、2次の集団面接へ行った。

そしたら、面接官も就活生も、全員が日焼けしたラガーマンみたいな人々だった。

私はといえば、色白で、ヒョロヒョロしていて、猫背で、チビだし、メガネだし、もうダメだと思って、自分から選考を辞退した。

第一志望のJ〇は、2回くらいリクルーター面談をしてもらって、4次面接くらいから、選考ルートにジョインした。

4次面接もクリアして、東京本社での最終面接に臨んだ。ここでも、十分にパフォーマンスを発揮できたと思ったのだが、1週間後くらいにサイトを見たら「残念ながら不採用です」と書いてあった。

「冗談でしょ?」と思って、J〇の人事部へ電話をかけたら、たしかに不採用とのことだった。何度聞いても、不採用とのことだった。しつこく電話をすぎて、人事の人から「何度言ったらわかります?」と言われた。

もうJ〇に入る気マンマンでいたので、モチベーション的に、ココで完全にコケてしまった。

そんなこんなで、本来なら内々定が出ていたであろう3月中ごろには、無内定のまま、持ち玉がすべて尽きた。

まわりの友人は、すでに納得のいく内定を獲得して、悠々自適の大学余生を過ごしているなか、私だけ青い顔をして、呆然とリクナビを眺めていた。

余談だが、私は大学の単位も全然足りてなかったうえに、金もなかったので、就活に学業にバイトにと、カツカツの毎日だった。

「もうおしまいだ」「無内定でフィニッシュです」そう思って、ふとリクナビを見ると、記念受験のつもりでエントリーしていた地元の企業が、まだ採用を続けていた。

私の地元はド田舎なので、多分人気がないんだろうな……。

「無内定で卒業するよりは……」そう思って、地元の地方銀行(地銀)と、メーカーの選考に進んだ。

地銀は、J〇とおなじように、リクルーター面談から始まった。

J〇のリクルーター面談は、マリオットのラウンジ(コーヒー1杯900円~)だったのに、ココはドトール(コーヒー1杯200円)で、生意気ながら「しょっぺえな~」と思った。

地元のメーカーは、普通の面接だった。わりとカジュアルで、親しみやすく、気さくで、アットホームな雰囲気は、すごく好きだった。

ただ、「若手のあいだは寮で親睦を深めましょう!」「休日は寮のみんなでスノボに行きます!」みたいなノリが、陰気な私はどうしてもムリで、かなりウッとなった。

5月、地元の地銀とメーカー、2社から内定をもらった。ホッとしたが、あまり嬉しくはなかった。

条件的にはメーカーのほうが圧倒的に上だったのだが、海外転勤あり、あと、寮のみんなでスノボ! がどうしてもイヤだったので、メーカーの内定を断って、地銀の内定を承けた。

きわめて不本意な内定だったので、入社前から緊張感がまったくなく、大学4年生の10月に開かれた内定式に行きたくなさすぎて前日に痛飲、二日酔いで遅刻した。

まわりの学生が、パリッとしたスーツに身を包み、新しい未来に目を輝かせているなかで、私だけは酒臭いまま、青い顔をしていた。

人事の社員さんからは、それとなく「元気がないね……」「酒臭いね……」と指摘された。

大学4年生の終わりごろ、ゼミの教授から「まだ単位が足りてないのだが」という連絡が来て、留年の危機におちいった。そういうことは、もっと早く言え。

しかし、ピンチはチャンスだ。私は、ここぞとばかりに就活をやり直しはじめた。気持ちの切り替えが早いので。

このとき、そこそこいい会社(内定先の地銀よりはいい)から内々定をもらったので、ワザと留年して、就職浪人することも考えた。

しかし、親の許可を得られず(そりゃそうだろうね)、また、教授のご厚意・ご尽力により、無事卒業できることも決まってしまった。

はなはだ不本意ながら、地元の地銀に入ることになった。

4月の入社式にも行きたくなさすぎて前日に痛飲、二日酔いで遅刻した。

総合職の社員が、人事課長から辞令を受け取り、そのあと一般職の社員が辞令を受け取る。最後に私(総合職)が辞令を受け取った。

このときは、人事部長(すごくえらい人なので、普通はエンカウントしない)から直々に怒られるという、大変貴重な体験をした。

地銀というのは、「3年で3割、5年で5割」と言われるほど離職率が高い。さすがに「3年3割~」は言い過ぎだが、たしかに毎年のように、同期や先輩が消える。

これは仮説なんだけど、地銀に入社する人というのは、Uターン志向が強いが、仕事に対しては、たいしたビジョンを持っていない気がする。少なくとも、私はそうだった。

大卒が地方で働こうとすると、公務員か地銀くらいしか選択肢がないので、仕方がないが。

地銀では、「5年で5割」のラインをなんとか越えて、6年半働いた。6年半、本当にしんどかった。

途中、精神を病んだことなどもあって、ずーっと「はやく辞めたい」と思いながら、転職に対するビジョンもなく、ダラダラ6年半も過ごしてしまった。

今でも「J〇に入りたかったなあ」と思う。

リクルーター面談では、しょっぱなから先輩社員が「仕事はつまらないね」と言っていたが、つまらないだけならマシ、しんどくてつまらないよりマシだと思う。

サン〇リーでもよかった。

どういう仕事をするのかは、よくわからない。飲料メーカーの営業はビールケースを運んだりしなければならないので、腰を痛めがちらしく、それはイヤだなと思うが、憧れが捨てきれない。

新卒の就活、よくわからないまま、決め打ちで、10社くらいしかエントリーしてなかった。面倒くさかったので。これが、本当によくなかった。

「新卒」というカードを切れるのは一生に一度なのだから、もっといろんな会社に対して、バンバン切ればよかった。後悔している。

大手にこだわったのも、よくなかった。というか、大手しか企業を知らなかった。業界研究・企業研究不足である。

自分が知ってる範囲でしか選択できない。だったら、選択肢を広げるために、知見を広げなければならなかった。後悔している。

なんのために仕事をするのか、なんのために就職するのか。

新卒のときは「有名な企業に対する憧れ」が強かった。「タバコを作る会社の社員」「ビールを作る会社の社員」みたいなステータスがほしかった。

そういう意味では、新卒で入った地元の地銀のカンバンはたいそう立派だったし、「銀行員」というステータスも手に入った。

「元・銀行員」というステータスは、今でも以外と役に立ってはいるが、人はステータスで生きてるんじゃないんだよな。

就職は、ガチャ要素が強い。

希望の企業に入れても、配属先が合わない、土地が合わない、環境が合わない、人間関係が合わない、職種が合わないとかあるから、「100%満足な就活」はないんだろう。

ただ、「ここは妥協できない」というポイントは、絶対に明確に絞っておいたほうがいいと思う。

「絶対にこの業種がいい」とか、「絶対にこの職種がいい」とか「絶対に年収〇〇百万円以上がいい」とか、一本軸を通さないと、多分後悔することになる。

なんとなくで就活して、なんとなくで内定をもらった結果、私の人生は散々なありさまである。

これから就職・転職される方々には、背筋をシャキッとして臨んでもらいたいものだ。

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