高校時代の思い出が、ほとんどない。
人の心の防衛機制として、イヤな思い出にフタをする、忘れることがあるらしいのだが、そういうわけでもなく、本当に思い出がない。
友だちも、いない。
高校時代のクラスメイトで、今でも連絡を取る人は、ひとりもいない。高校には3年間も通っていたのに、そこだけポッカリと人生が欠落している。
高校在学中、友人や話し相手は当然いないから、昼メシもひとりで食べていたし、休み時間中はずっと机に突っ伏して、寝たフリをしていた。
ただひとつ、覚えていることがある。高校3年生の、体育祭のことである。
どこの学校でもそうだろうが、高校最後の体育祭というのは、非常に盛り上がる。
母校では、クラスごとに体育祭の組分けがされていたので、文字通り「クラス一丸」となって、準備や練習を行っていく。「みんなで頑張ろう」という空気が醸成されていく。
体育祭の準備が始まったころから、それまではロクに話したこともないクラスメイトたちが、私に話しかけてくれるようになった。体育祭の準備や練習にも混ざるように言われて、「みんなの仲間」のなかへ入れてもらえた。
正直、違和感があった。高校時代の私は、クラスで浮いていた。イジメられていたとかではないが、なんとなくバカにされていた、見下されていた、疎外されていた気がする。
それが、体育祭の準備が始まった途端、「みんなの仲間」に入れてもらえたのである。
本心を言えば、うれしかった。
これがきっかけで、みんなと仲良くなれる、友だちになれるかもしれない、そんな期待をしていた。
よくある話だが、お揃いのTシャツも作った。たしか、クラスメイトの名前が、一揆の血判状みたいにプリントされて、真ん中に「勝利」だか「友情」だか「絆」だかと書かれている、縁起の悪そうなダサいTシャツ。当然ながら、私も買った。
3年生には、全員に必ずなにかしらの役割が与えられる。私は「マスコット係」という、競技中に飾る、青森の「ねぷた」のような出し物を作る係になった。
マスコット係での活動は、それなりにやった。針金を曲げたりつないだり、紙を貼って絵の具を塗ったり、木の台座に釘を打ったり。ダセえTシャツを汗で湿らせながら、がんばった。
おなじくマスコット係のみんなと、協調しながらやった。当時から工作は好きで得意だったので、役割はまっとうしたつもりである。
本題はここから。
体育祭が終わると、クラスごとに打ち上げを開くのが、校の伝統というか、恒例行事になっていた。私のクラスでは、「クラスメイトのTくんの家で打ち上げをやる」という話を、ウワサで聞いていた。
体育祭が終わって、打ち上げを待つ。Tくんの家でやるという話だったが、確定情報ではないし、だいたい私はTくんの家を知らない。
「みんなと仲良くなれたし、だれかが教えてくれるだろう」人がいなくなった教室に残り、そんなことを考えていた。
しばらく待っても、なんの音沙汰もないので、図書館へ移動して、本を読んでいた。1時間経ち、2時間経ち、本を一冊読み終えてしまった。
携帯電話の画面を見るが、着信履歴もなければ、メールも来ていない。
3時間を過ぎたころ、携帯が震えた。知らない番号だったが、多分クラスメイトのだれかだろうと思った。
図書館で電話をするのはマナー違反だが、うれしくなって、その場で電話に出た。
「もしもし」
「もしもし? いまどこ?」
電話の主は、Tくんだった。
「学校の図書館にいるよ」
私がそう答えると、Tくんは
「なんで打ち上げ来ないの? あっ、お前は呼んでなかったわ」
と言って笑い、そのあと、Tくんの笑いに続くように、たくさんの笑い声が、電話の向こうから聞こえた。
電話はすぐに切れて、私は荷物をまとめて、少し遅めに帰宅した。親には「クラスのみんなと打ち上げしてた」とウソをついた。
部屋でひとりになってから、みじめさが込み上げてきた。「コケにしやがって!」憤りはするが、吐き出す場所も、吐き出す度胸もなかった。
翌日からは、また以前とおなじ日常が再開した。体育祭までの態度はすべてウソだったように、だれも私に関心を払わない。
あいかわらず、イジメられるとかではないが、遠巻きに笑われているような、そんな感じの距離感に戻った。
体育祭の期間中、私はたしかに「みんな」のなかに入っていた。おなじ集団に所属している感覚があった。おなじ方向を見て、歩調を合わせてやっていた感覚があった。
しかし、終わってみれば、それは「体育祭」という媒介があったから可能だったことであって、本質的に私は「みんな」ではないのだと悟った。
いや、しかしね、私だってがんばったんだから、打ち上げくらいは呼んでくれてもいいじゃないか。
行ったところで、すみっこでひとり、だれとも話さずジュースを飲んでるだけで、居るだけで場が暗くなるかもしれないが……。
あんなにあっさり「みんな」からパージされるとは、思いもしなかった。
昔から、こういう疎外の経験ばかりしているから、大人になった今でも、「みんな」という言葉を聞くだけで鼻白んでしまう。
最近も「みんなで力を合わせてがんばろう!」などと喧伝されているが、どうせその「みんな」には、私は入っていないんでしょ? と、冷めた気持ちになってしまう。
「みんな」に入りたい、私もマジョリティになりたいなあと思う。体育祭の期間中、ごく限られた期間だったけど、「みんな」のなかに入れて、それまでの孤独がウソのように心安かったし、とても気持ちよかった。
ただ、自分自身は、「みんな」という言葉を、気安く使わないようにしたいと思う。
「みんな」という言葉が使われるときには、必ず疎外された人が存在する。たとえば過去の私のように。
人を「みんな」という言葉でくくることは、なるべくやめたい。
私は、「みんな」が危険な言葉だと、経験的に知っている。都合のいいときだけ「みんな」のなかに入れて、用が済んだら排除される。そのおそろしさ、つらさを、身をもって知っている。
「みんな」という言葉の欺瞞、「みんな」という言葉の危険性、これからも訴えていきたい。「みんな」を信じるな、「みんな」に取り込まれるな。