双極性障害のこと

03.精神障害のこと
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書き尽くせないし、とりとめもないけど。

はじめて双極性障害の診断を受けたのが、たしか10年前くらいのこと。それまでも精神科へかかっていて、それまでの診断名は「抑うつ状態」だったが、症状が変化したので、診断名も「双極性障害」に変化した。

はじめて精神科へかかったのは、2012年。新卒で入った会社に勤めているたころ。体調を崩して、会社へ行くのが困難になり、仕事を休職して、実家で療養を始めた。

この時期は、ある意味で平和だった。当初の症状は、気分がふさぐ、希死念慮に襲われる、強い脱力感や無力感、食事や入浴がままならない、あとは厭世的になったりと、生活するうえでの問題は山積みだった。しかし、基本はぐったりとして、薬を飲んで寝ているだけの毎日。

療養を始めてから半年ほどしたころ、突然病状が変化した。私の場合、主な症状は、圧倒的な自己肯定感と万能感、根拠のない自信、無限にあふれ出る気力と体力、みなぎる意欲と欲望、過分に活動的で、開放的で、社交的になること。

空腹を感じれば、吐くまで食べる。酒に酔えば、意識が飛ぶまで飲む。欲しいものは、すべて買う。行きたい場所には、すぐに行く。やりたいことは、すぐにやる。なんでも思いついたら、すぐ行動に移す。TPOをわきまえず、騒ぎまくる。他人に対して、過剰に親密に接する。意に沿わないものは、強く批難する。自分のすべては認められて当然だと、信じて疑わない。自分が絶対に正しくて、他人をかえりみないなど。

今思い返せば、病的な思考、病的な生活態度だけど、当時の私はこの「エネルギーに満ちあふれた状態」を、とても心地よく思っていた。きっと「抑うつ状態」がすっかりよくなった、本来の自分を取り戻したのだと信じきっていた。「医者も薬も、もう必要ない」と感じて、通院と薬物療法を、勝手にやめてしまっていた。

自分自身では、万事快調と思っていたが、傍目から見たら相当異常な様子だったのだろう。両親に引きずられて、再び精神科へ連れていかれ、そしてそこで「双極性障害」の診断を受けた。当時療養に付き合ってくれていた両親は「このころは、毎日が嵐のようだった」と言っていた。

双極性障害の診断を受け、薬物療法の内容を見直したら、生活も途端に落ち着いた。リーマス(炭酸リチウム)という薬を中心に、今も薬物療法を続けている。

診断名が変わり、薬が変わったことで、生活は落ち着いた。しかし、寛解の見込みがある「抑うつ状態」から、寛解の見込みが薄い「双極性障害」へと診断が変化したことで、深い絶望に襲われた。

双極性障害は、文字通り「障害」である。医療のことは、あまり詳しくもないのだが、障害は疾患とは異なり、治ることはないらしい。薬物療法や心理療法で、症状を抑えたり緩和したりすることはできるが、完全に治ることはない。症状は、何度も再発する。

双極性障害は、「うつ病相」「躁病相」「混合病期(躁とうつが混ざった状態)」「寛解期(正常な状態)」を、周期的に繰り返す。5年程度で、このサイクルが治まるケースもあるらしいが、一生繰り返すケースもある。

「一生治らない」というのが、かなりつらかった。いつか治る怪我や病気なら、完治に向けて努力できる。しかし、一生治らない障害に対しては、どういうスタンスで向き合えばいいのかわからず、すごく戸惑った。

今までは健康そのものだったのが、突然ハンディを負うことになって、いろいろな感情がわいてきた。「どうして私がこんな目にあわなきゃいけないのか」みたいな不平不満は、当然抱いた。毎時毎日毎月やってくる「気分の波」には振り回され続けて、身も心もヘトヘトになっていた。

一生治らない。これから先ずっと、死ぬまで双極性障害とともに、劇的な気分の変調とともに生きていかなければならないということは、わかった。しかし、どう生きていったらいいのかが、まったくわからなくなってしまった。生きていたい。しかし、生きていくすべがわからない。強い不安と孤独が立ちふさがった。

双極性障害の患者に会いたかった。私以外にも、この障害で苦しんでいる人がいることを知りたい。その人と、つらさをわかち合いたい。その人がどう生きているのかを知りたい。つらいのは、私ひとりだけじゃないんだと知りたい。孤独と不安を払拭したいと思った。

当時の主治医に聞いたら、双極性障害の有病率はだいたい1パーセント。100人にひとりは罹患しているらしい。当時私が住んでいた街の人口が、10万人くらい。単純計算だが、市内に1,000人は、双極性障害の患者がいることになる。

主治医に「患者の自助会みたいなのはないのか?」とたずねてみたが、一切ないとのことだった。主治医曰く、当時住んでいた田舎の町で、精神疾患や精神障害のことをオープンにしたがる人は、ほとんどいないらしい。これを聞いて、また絶望が深くなった。

私の運がよかったのが、このころインターネット経由で、双極性障害のコミュニティに参加できたことだ。本当にただの偶然だったが、当時利用していたSNSの友人のなかに、おなじ双極性障害の患者がいて、その人に紹介されて、他の患者たちとも知り合うことができた。

インターネット経由だから、直接顔を合わせることも、本名を明かすこともない。完全に匿名の状態だが、それでも、共感や同情が生み出す親しさや優しさのなかで、互いのつらさをいたわり合い、悩みをわかち合うことができた。この出会いがなかったら、私はきっと障害に打ちのめされていて、もしかしたら、もう生きていなかったかもしれない。

薬物療法と、インターネットで知り合った同病の友人たちのおかげで、精神状態や病状はだいぶん安定してきた。当時は会社を休職していたが、主治医と相談し、「もう働けるだろう」という見立てで、復職することになった。

復職後も、別の病院に通いながら、薬物療法を続けていた。仕事はおおむね順調だったが、やはり会社からは大事な扱い、はれものに触れるような扱いをされていた。以前のように仕事に打ち込みたくても、そうさせてもらえない。意欲だけもてあましていた。

上司に対して「私はもっとやれます」と訴えても、「焦るな」「ムリはするな」と言われるばかり。もっとも、今思えば、上司の言っていることが完全に正しい。もっとゆっくりと、自分のペースを取り戻していくべきだったのだろう。しかし、当時の私は「きっと私が双極性障害だから、仕事を回してもらえないんだ」と考えて、一人で腐っていた。

「このまま『双極性障害』というスティグマを抱えたまま、働いていかなければ、生きていかなければならないのかな」ある日、突然その思いに耐えられなくなって、手持ちの向精神薬を、全部まとめて飲んだ。たしか4月の日曜日、夕日がとてもキレイな日だった。

そのせいで、10日間ほど、精神科の閉鎖病棟へ入院させられた。退院後は、また休職して療養することになった。このときに「会社をやめたい」と、両親に相談した。双極性障害であることを知られたまま勤め続けるのは耐えられない。新しい環境で1からやり直したい、そんなことを考えていた。

両親は「会社をやめることは、許さない」と言った。当時は、精神的にも社会的にも弱っていたので、両親の言うことに従うしかなかった。私と両親、どちらが正しかったのかは、いまだにわからない。ただ、私のことを理解してもらえなかったことは、とても悲しかった。

2度目の休職も、1度目とおなじく、薬物療法と自宅療養だった。ただ、自分の心持ちが定まっていなかった以上、この休職期間はムダだったと思う。しばらくして、生活のメドがついて、また復職した。

2度目の復職は、おおむね順調だった。しかし、転属先でたまたまひどいパワハラにあい、症状が悪化してしまう。結局、通勤途中に失踪、行方をくらましてしまう。経過はこちら

突飛な行動、もしかしたら、当時は躁状態だったのかもしれない。だけど、あのとき会社とパワハラからなりふり構わず逃げ出したことは、完全に正しい選択だったと、今でも思っている。

いろいろあって帰宅・退職した。しばらくは、ひどいうつ状態におちいって、半年くらいは実家でひきこもりというか、寝たきりのような生活を送っていた。食事や入浴もままならず、通院もできず、睡眠は不規則で、この期間で20キロ近く体重が落ちた。

そのあとは、体調が少し上向いてきて、通院と薬物療法を再開した。これ以降、引っ越しやそれに伴う転院などがあっても、切れ目なく薬物療法を続け、向精神薬を服用し続けている。

通院と薬物療法を徹底すること、それにストレスフリーな生活を心がけて、4年ほどは双極性障害を「コントロール」できた気になっていた。転職のため、上京。都内の会社で、正社員として再就職。そして、妻と結婚。社内での昇進などもあり、毎日愉快に過ごす街角、万事が上手くいっていた。

最近大きく体調を崩したのは、去年の夏ごろ。今回は、なんの要因もなく、いきなり体調を崩した。キツめのうつ状態がやってきて、日々の寝起きすらままならなくなって、生活が破綻した。せっかく上手くいっていた仕事も、やめざるをえなくなってしまった。

長期間にわたって、順調に生活を送れていたぶん、突如体調を崩したショックは大きかった。しかし、今回の不調でようやく「こういう障害なんだ」ということを理解できた。なにはなくとも、大きな気分の波が来るし、それに合わせて体調を崩すし、そして生活はボロボロになる。

今は仕事をしていないが、特に双極性障害で悩むことはない。なぜなら、仕事をしていないので。睡眠が不規則になったり、気圧の変化で落ち込んだり、なんとなく活動的になったり、逆にひきこもったりすることはあるけど、仕事をしていないし、時間はたっぷりあるから、余裕を持って対処できる。幸せで、恵まれた環境だと思う。

しかし、当然のことだが、いつまでも仕事をしないままではいかない。近い将来、また働くこと、そのときどう生活していったらいいのかを考えると、気持ちが暗くなる。

すぐにというわけではないが、いずれまた就職しようと思う。また、双極性障害を隠して就職しようと思う。生きるためには、職と金が必要だ。いろいろ考えてはみたが、就職しか手段がない。あれこれ考えているうちにも、時間は過ぎて、もう障害に立ち向かうことも、逃げることもできなくなってしまった。

過去の記事で書いたように、クローズ就労(障害を隠した就労)の先にも、オープン就労(障害を明らかにした就労)の先にも、もう道は残されていない気がする。どちらにせよ、長くは続けられない。いずれ再発して、ダメになるだろう。ダメになることはわかり切っているのだから、それを前提に、腹を括るしかない。

突然障害を持ったことに対して、怒り、残念だ、悲しい、悔しい、苦しい、つらい、死んでしまいたい、いろいろな感情が去来してきた。以前は、こういうことを考えていると、涙がとまらなくなっていたが、最近は特になにも感じなくなった。

私がなにか一生懸命考えてみたところで、状況はいくらも変わりはしない。双極性障害の前で、自分は無力であることを学習した。

「双極性障害は、一生治らない」という現実にどう向き合えばいいのか。正直、いまだに戸惑っている。障害のことを思うと、強い無力感に苛まれる。だが、きっとこの無力感は、正しいんだろう。

最近、この障害は、自分の手には負えないということを理解した。薬物療法を徹底しても、規則正しい生活を送っていても、どれだけセルフケアをしても、双極性障害の波は、すべての努力を飲み込んでしまう。

私にとって、双極性障害は、アルコールの問題とおなじく「変えられないもの」「受け入れるべきもの」なのかもしれない。一生治らないだろうし、受け入れる冷静さを持つように努めるしかない。

しかし、アルコールの問題とは、異なるようにも思える。アルコールの問題であれば、飲酒の習慣を変えることで、主体的に克服できる。ただ、双極性障害に対して、私が主体的にできることは、なにもないように思える。双極性障害の前では、ただ葦のようにたたずむだけで、強い風が吹けば、ポキッと折れるほかない。

単なる挫折であれば、立ち直れたかもしれない。ただ、双極性障害は、単なる挫折よりも、もっと根が深いように感じる。障害の前後では、日常がまったく違う。障害を持つ前には、当然にできていたことが、障害を持ったあとは、まったくできなくなってしまった。そして、障害を持つ以前の状態には、二度と戻れない。

受け入れなければならないが、受け入れるにはあまりにも大きすぎる問題であるように感じる。双極性障害を持ってから10年経つが、いまだに得体の知れない部分がある。主治医やカウンセラーさんからは「薬や生活習慣で症状をコントロールして」なんて言われるが、そんな器用なこと、できる気がしない。

それでも、これから先も、この障害とともに生きていかなければならない。穏やかに受け入れるのか。それとも、いろんなことをあきらめて、障害に身を任せるのか。いずれにせよ、この障害の本質について見極める賢明さを持たなければならない。ただ、どれだけ賢明であれば、この障害を正しく理解し、正しく向き合えるのか。私には、まったく検討がつかない。

双極性障害とともに生きていくのは、つらい。考えただけで気が重くなるが、今はもう以前のように「死にたい」とは思わない。障害と一緒でいいから、生きていたい。

かといって、どう生きていけばいいのかは、全然わからない。どうせ治らないし、再発したらまったく無力なんだから、どう頑張ってもおなじなんじゃないか。諦念で足を止めそうになる。

しかし、死ぬわけにはいかない。生きていたいし、生きていかなければならない。自分の人生をあきらめたくない。できれば、自分の人生をもう一度、自分の手のなかに取り戻したい。そのために、できることがあるならば、なんでもしたい。

しかし、やはりすべてムダなあがきに過ぎないんじゃないか。たとえ努力と工夫で人並みの生活の基盤を築いたとして、結局は双極性障害が再発して、また台無しにしてしまうんじゃないか。

ここ半年くらい、ずっとこの堂々巡りを繰り返している。いつか答えが出るのか、どういう答えが出るのか、自分でもわからない。ただ、どうか上手くいってほしいと思っている。

障害は、手に負えない、私の知恵や力が及ぶところではないような気がする。これから先なにが起こっても、なすがままになるしかない。それでも、どうか上手くいってくれるよう、いつも祈っている。双極性障害と向き合って、私できることはといえば、あとは祈ることしか残されていない。

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