あまなつ通り商店会です、自己紹介します

04.じんせいのこと
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最近フォローしてくださった方々へ、自己紹介をば。

あまなつ通り商店会、30年前、岐阜県に生を享けた。

父はサラリーマン、母はパートタイマー、典型的な共働き家庭の、鍵っ子。貧乏長屋の生まれ。少年時代は、もっぱらオンボロ公営団地で過ごし、毎日おなじ服を着ていた。岐阜のド田舎の育ち、地元で唯一の進学校を卒業後、公立大学へ進学した。子供時代の記事はこちらをどうぞ。

大学生時代、就活の第一志望は食品業界だった。しかしながらハードルは高く、志望企業は連戦連敗で、持ち駒は早々に全滅した。

就活の時期に、両親から「岐阜に残ってほしい」と言われたこともあり、最終的に、記念受験のつもりで受けていた地元の銀行(東証一部上場企業)へ入社することになった。これが、すべての誤りだった。

入社後は、工業地帯にある支店に配属され、外勤営業の任を受けた。しかし、おりしもリーマンショックの直後、どこの企業も景気が悪く、銀行側も貸し渋りなんて当たり前の状況。営業としてのはじめの仕事は「融資を断ること」だった。

いくら外部環境が厳しくても、営業マンは、数字を上げないわけにはいかない。あまり詳しくは書けないけど、インチキ、イカサマ、力技を駆使して、ノルマをこなしていた。そうこうしているうちに、激務におちいり、精神もまいってしまって、うつ病になった(のちに、双極性障害の診断を受ける)。障害のことや、実家での休養については、こちら

しばらく休職して、その後は、実家近くの支店に復職させてもらった。しかし、今度はそこで、先輩からのパワハラにあう。パワハラの詳細はこちらの記事

パワハラのおかげで、躁うつ病の病状が劇的に悪化。仕事をバックレて、失踪した。新潟からフェリーに乗って苫小牧(北海道)へ、北海道から船で青森へ渡り、そこから南下して東京へ、東京で資金が尽きて無宿になったり、山谷でドヤ暮らしをしたりしつつ、三週間ほど東日本を放浪した。経過はこちらの記事をどうぞ。

その後、いろいろあったけど無事退職。半年ほど、うつ病無職のひきこもりになった。この時期は、食事や風呂すらつらく感じる時期だった。療養していたら、体調がよくなってきたので、とりあえず趣味に励んだ。

趣味は、燻製とロードバイク。最近全然やっていないけど。よければ別の記事(燻製料理自転車)も見てね。燻製は、チーズやサーモンから、自家製ベーコン作りまで。自転車は、瀬戸内・しまなみ海道走破までやった。

そんなこんなで遊んでたら、金がなくなってきたので、近所のハロワへバイトを探しに行った。そこで「銭湯の番台」という仕事を見つけたので、応募してみた。「銭湯の番台」と言いつつ、実際の業務として、ボイラーを操作した湯沸かし、併設されているゲストハウスの業務すべてを行わなければならず、結構な激務だった。

仕事はとても楽しかったのだけど、入って3ヶ月目くらいに「月間29日出勤・1日12時間勤務」という凄惨な状態におちいったことと、当初の時給が岐阜県の最低賃金より低かったこと(気づいてすぐ抗議した)(ハロワで見つけたのに、なんでだろうね!?)、明確な雇用契約が一切存在しなかったことから、半年くらいで、なんとなく退職を意識し始める。

この年の冬、友人に誘われ東京へ旅行し、そのとき今の妻と出会った。妻とは、旅行後も親しく連絡を取っていて、「東京はいいよな~」「俺も東京へ行きたいよ」などとボヤいていたら、妻の助けを得て本当に上京することになった。詳しい上京の経緯は、こちらの記事をどうぞ。上京直後の私の様子については、こちらをどうぞ。

上京後は、都内の専門商社にて、双極性障害であることは隠して勤務していた。いわゆるホワイト企業で、とてもいい会社だった。

2年くらいはいい調子だったのだけど、3年目くらいから、劇的に体調が悪化し、昨年退職した。詳しい内容はこちらの記事

あと、上京した翌年に妻と結婚した。詳細はこちら

その後、現在はのうのうと仕事をせずに暮らしている。今回の無職暮らしは、かなり充実(?)していて、酒をやめたり(記事)、タバコをやめたり(記事)、歌集を作ってみたり(外部リンク)、「しょぼい喫茶店」でイベントを開かせてもらったり、ジムへ通い始めたり(記事)、趣味の短歌にいっそう打ち込んだり、カウンセリングを受け始たり(記事)、ノートを始めてみたり……。

充実はしているのだけど、限りある時間を十分有効に使えているかというと、やはりまだ身体や精神の具合が優れなかったりしている。一日寝て過ごしたりしてしまうこともあるので、微妙なところ。

私は精神障害者で、それが今の私の人生のなかでは大きなテーマだ。障害と、真摯に向き合っていかなければならない。障害を、受け入れなければならない。だけど、そもそも受け入れるべきか、抗うべきかがわからない。受け入れるにせよ抗うにせよ、これから先どうやって生きていったらいいのか、全然わからない。なにも考えられていないのが、現状。

数年以内には、自分と妻の食い扶持くらいは稼いで、ちゃんと生活できるようになりたい。そのために、わからないなりにも、歩みを進めていきたい。たとえば、定期的に通院する、毎日薬を飲むといった基本的なことをちゃんとやって、生活を立て直していきたい。

生活がちゃんとしたら、あとは妻と二人、日々をつつがなく送っていきたい。他に大した望みはないですが、それだけは叶えたい(参照記事)。

好きな言葉は「やればできる」。

銀行時代、期末のノルマが大幅な未達で終わりそうになって、誰もが「もう無理だ」と諦めかけていたとき、営業の上司が「『できる』か『できない』かじゃねえ、『やる』んだよ」と営業チームに号令した。そして、支店総動員で、猛烈な追い込みをかけて、目標を達成したときから、この言葉が大好き。

好きな特撮怪獣はビオランテ(『ゴジラvsビオランテ』)とデストロイヤー(最終形態、『ゴジラvsデストロイヤー』)です。

よろしくお願いいたします。

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