人の役に立ちたくない

03.精神障害のこと
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「双極性障害」という精神障害を負ってから、もう10年になる。思い返せば、つらくてしんどい10年間だった。

障害とともに過ごす10年間の中で、自分なりにいろいろと考えた。障害との向き合い方・付き合い方・障害への関わり方など……。

はじめは、孤独に苦しんだ。双極性障害の罹患率は、約1パーセント。なので、100人に1人くらいは患者がいるはずなのだが、精神障害特有の性質のためか、はたまた私が療養していた土地が陰湿なド田舎だったためか、障害をカミングアウトする人が身近におらず、つらさをわかち合う相手もいなかった。

障害はつらい、障害は苦しい。これから、どう生きていったらいいのかわからない。日々の生活すらままならない。将来の展望が見えない。他の患者さんは、どう生きているのだろうか。双極性障害患者のロールモデルがほしい。そんなことを考えながら、悩み、迷っていた。

この時期に、たまたまインターネットで、双極性障害当事者のコミュニティ(というほどしっかりはしてないけど)に参加できた。偶然だが、すごく助かった。

そのとき、ふと思った。おなじような悩み苦しみを抱えている人は、たくさんいるのではないか。こういうコミュニティが、たくさんあればいい。自分たちのつらさや苦しみを、吐き出せる場所がたくさんあればいいと……。

当時は(というか、今もだが)ガツンと体調を崩していて、なにか大きな行動を起こすことはなかった、なにもできなかった。ただ、このころから自分のなかに「双極性障害当事者のために、なにか役立つことをしたい」「双極性障害当事者のための居場所を作りたい」という思いが芽生えた。しかも、けっこう切実に。

それから何年も経って、あいかわらず好調と不調の波を繰り返し、所属していたコミュニティが解散したりしたが、私は今でも障害とともに生きている。

私は、何年か前に結婚して、今は妻と二人暮らし。妻は、私の障害に対してすごく理解がある。私の様子がおかしいと、はっきりズバッと指摘してくれる。だから、障害について孤独を感じることは、あまりない。

解散したコミュニティのみんなは、どうだろう……コミュニティがなくなっても、関係が切れたわけではない。何人かとは、いまだにつながっていて、たまに連絡を取る。私とおなじく、気分の波はあるが、おのおのなんとかやっているようだ。

最近は、「同病者のコミュニティを作りたい」「同病者の役に立ちたい」という思いは、すっかり下火になった。思いが消えたわけではないが、以前のように切実に「なにかしたい」みたいなのは、なくなった。

私は、障害者だ。人の役に立つ以前に、まず自分が、自分の足で立てるようにならなければならない。能力的な面でも、人より劣っている。人を助ける以前に、まず自分を助けたい。

もちろん、障害者の当事者運動や、自助グループの活動を否定するつもりはない。当事者のつらさは、当事者がいちばんよく理解できる。お互いに苦しみをわかち合い、痛みをわけ合うのは、素晴らしいことだと思う。私も、そうやって救われた。

ただ、精神障害の当事者自身が、主体的に「苦しむ人を救いたい」「精神障害者の居場所を作りたい」そう考えて行動する、当事者自身が支援者になる、それはちょっと危ないんじゃないかとも思っている。

当事者運動のむずかしさとして、まず、支援者と被支援者の両方が、精神障害者であることがある。以前、某双極性障害の当事者団体で、性暴力事件が起こった。被害者(被支援者)も、加害者(支援者)も、双極性障害の当事者。

この事件について、わかる範囲で調べてみたが、私は当事者として、「加害者が絶対に悪い」とは言い切れなかった。もちろん、暴力は振るうほうが悪いに決まっている。支援者の立場から、被支援者に対して性暴力に及ぶのが許されないことであるのは、言うまでもない。ただ、双極性障害と衝動性・性衝動は密接な関係にあり、加害者(支援者)も双極性障害の当事者であることを考えると、私は、一義的に加害者を責めることができない。

支援者と被支援者は、ある程度の距離を持って関わるべきだと思うが、支援者も被支援者も当事者の場合、その距離感を維持するのがむずかしいのではないかと、先の事件から感じた。「同病相憐れむ」という言葉もあるし、マイノリティ同士の共感しやすさは、ある。支援関係と、(一方的な)恋愛関係を混同してしまうこと、あってはならないことだが、絶対にないとは言い切れない。

それに、自身の精神状態が不安定な双極性障害当事者が、他の双極性障害当事者を支えるというのは、やはりムリがあると思う。支援は常に安定・継続してなされなければならない。支援者は常に安定していて、公平で、寛大で、忍耐強くあるべきだ。

双極性障害当事者でも、寛解して長期間が経つような人なら、いいのかもしれない。しかし、そうでない当事者、たとえば私のような人は、絶対に支援者側に回るべきではない。私は、まだ自分の障害を完全にコントロールできていない。よって、他人の支援なんて、やり遂げる責任感も自信もない。絶対に、障害由来のムラっ気を出して、中途半端に放り出す。これは私が悪いのではなく、そういう障害なのだから仕方がない。

繰り返すが、当事者同士の相互扶助を否定するつもりはない。ただ、当事者から当事者へ、継続的な生活支援などはさせるべきでないと、私は思う。

おなじ理屈で、精神に障害を抱えた当事者(運動)が、おなじような属性の人々を、長期的・継続的に受け入れていけるのかということに、私は疑問がある。

精神障害とか関係なく、コミュニティ運営をしたことがある人ならわかるだろうけど、コミュニティ運営とは、単に箱や場を用意すればいいというものではない。箱や場を用意するのは最低条件として、イベントなどでコミュニティに刺激を与えて、内部のイザコザを調整して、必要なものを調達し、不要なものを排除して、常に新陳代謝させていかないと、コミュニティは瓦解してしまう。終わるときも、上手くコミュニティを「解散」させられれば、まだいい。上手くいかなくなったコミュニティは、全方向に多大なストレスをバラ撒いて「爆散」することも多い。

健常者のコミュニティでさえ、運営するのは大変だ(と、私は思う)。ましてや精神障害者のコミュニティだから、もっと多くの苦労がつきまとう。

私が所属していた、双極性障害のオンラインコミュニティ、だいたい2012~2015年の期間で活動しており、メンバーは常時10人前後いたが、コミュニティも構成員も、常に問題を抱えていたので、民主的にパージされる人や、自発的に離れていく人もいた。主催者は、何度も変わった。

だいたい常に誰か(もしくは複数人)が躁状態なので、グループチャットの内容はいつも穏やかではなく、通話でのグループ口論(こうろん)も多かった。光回線と音声チャットを使って、いい大人同士が深夜に罵倒し合うの、今思えばかなり熱い光景である。2015年くらいには、私もやめた。ウェブでさえ(ウェブだからかな?)、このありさまである。現実なら、どうだろう。私には、悲惨な展望しか見えない。

あと、これは双極性障害に限った話なんだけど、「社会参加したい」「他者に関与・貢献したい」という欲求自体が、躁状態の症状だったりする。悲しい話だけど。

社会参加への欲求は、主に躁状態のときに出てくる。よくある話が、この勢いで社会運動を始めて、そして躁状態が治まったら運動は丸投げしてしまう、というもの。自分はともかく、周囲は非常に迷惑っぽいので、「社会参加したい」原動力が躁状態か否かは、他人の目も入れて、しっかり検討したほうがいい。

最後に、これが究極なんだけど。居場所って、なんのために必要なのだろう? 「居場所を作りたい」というのは、あくまでも私の欲求であって、その「居場所」は誰のためのものなのか? 誰が求めたものなのだろうか? という疑問に、私は答えられない。

過去に私が考えていた「居場所を作りたい」「人の役に立ちたい」ということ、きっとすべて自分の自己満足で、「誰のために」というところが、ポッカリ抜けてるんだよな。

いや、当然「双極性障害に苦しむ人たち」というターゲットはいるけれども。なんというか、これもただの大義名分で、実際は全然顔が見えていない感じがする。だって、双極性障害当事者が、どこにどれだけいるのか、それぞれがどのように苦しんでいるのか、私には全然見えていない。自分個人のつらさや苦しみを拡大解釈して広げて、「みんな苦しんでいるはずだ」という仮説を立てているだけ、とんだ独り善がりだと思う。

私がやりたかった「双極性障害患者の居場所を作りたい」「人の役に立ちたい」って、他人を利用して自己実現しようとしてるだけじゃないの……と思ってしまう。べつに、それでもいいじゃんとも思うけど。

すでに誰かの居場所を作ってる人は偉大だ……その人のもとに、人が引き寄せられていく。みんな、私心がないように見える。だから、人が集まるんじゃないか。

まあ「食い扶持を稼ぎたい」くらいは思っているのだろうけど、「作った居場所を利用して、一発当てたい」みたいな邪心はないんだろう。すごいとおもう。

というわけで、私は今のところ、人の役には立ちたくない。というか、人の役には立てないと思う。自分のことで手一杯だし、自分のことすらちゃんとできていない状態で、他人のことまで考える余裕がない。

繰り返すが、当事者運動を否定するつもりはない。「誰かの役に立ちたい」という気持ちを否定するつもりもない。私自身にも「双極性障害当事者のために、なにか力になりたい」という思いは、あいかわらずある。

あるけど、それを実行することはできない。双極性障害当事者に寄り添うこと、とてもエネルギーが要ることだと思うし、とても大きな責任がともなうことだと思う。最後までやりきれないと、支援者も被支援者も、両方が不幸になる。生半可な気持ちでやるべきではないと思う。今の私には、支援者になる資格はない。

今の私にできること、自分のつらいことを、ブログとかTwitterに書いて、それを読んでもらうくらいのこと。「つらさのおすそわけ」って、意味わかんないけど、「双極性障害で苦しんでいるのは、あなたひとりだけじゃないんだよ」ということを知ってほしい。私は、それだけで救われたので。

将来的にやりたいこと、いろいろあるけど、今は言わない。大言壮語はキライだし、有言不実行になるととてもカッコ悪いので……とにかく、早く自分の足元をしっかりさせたい。他人の心配、日本の心配、地球の心配をするのはそれからなんだろう。誰か助けてくれ。

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