自分のことが愛せない

02.メンタルヘルスのこと
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持病の双極性障害(躁うつ病)が原因で、勤めていた会社をやめて、もう半年以上が経つ。前職の会社からのご厚意で、当分のあいだは最低限生活の保証されていて、はじめのうちは「長めのバケーションかな」なんてことを考えていた。

ところが、療養を始めてからも、双極性障害の症状が一向によくならず、躁状態と、うつ状態とを、頻繁に行ったり来たりしている。最近はわりとキツめのうつ状態におちいっていて、明日のことを考えるのもつらい。

半年経つと、さすがに焦る。私はもう33歳なのだけど、このまま歳だけ重ねてしまったらどうなるのだろうと、とても不安になる。

前職の会社からの支援も、永久に続くわけではない。もう、終わりが見え始めている。支援が終わったら、どう生活していけばいいのか、毎日暗い気持ちになる。

でも、働けない。理由はふたつ。ひとつは、体調が悪く、働く自信がない。最近は、不眠や過眠に悩まされていて、生活リズムもバラバラになっている。

日中も、気分がふさぎ込んでいて、家事すらまともにこなせない。こんな状態で、毎日会社へ行って仕事をこなす自信がない。

ふたつ、働くのが怖い。私が双極性障害になったのが、10年前。双極性障害とは、わりと長い付き合いになる。

それから今まで、仕事についたり離れたりを繰り返してきた。仕事をしているときに体調を崩すと、毎回どうしても、強い希死念慮に襲われる。

過去に3度、自殺を企図したことがある。うち2回は、定職についているときだった。仕事も生活も人生も、なにもかもが不可能に思われ、なにもかも投げ出したくなって、突発的に自殺を図った。

幸い、すべて失敗に終わった。しかし、またああいう状態になることが、すごく怖い。私は、死にたくない。生きていたい。もし次、突発的に自殺を図り、そして達成されてしまうことが恐ろしい。だから、働くのが怖い。

とはいえ、いつかは働かなければならない。今は、それに備える期間なのかもしれない。とはいえ、なにをしたらいいのか、全然わからない。

今まではずっと、双極性障害を隠して生きてきた。もしかしたら、障害をオープンにして生きていく道も、あるかもしれない。そう思い、先日まで、障害者向け就労移行支援の体験に行ってきた。しかし、これはなんとなく合わないような気がして、やめてしまった。

あとは、今までどおり双極性障害を隠して働き続けるしか、アイデアがない。過去の周期を見ると、3~4年に一度のペースで、半年以上の期間、猛烈に体調を崩すようだ。勤められるのは、長くて4年。そのあとは、また暗くて長い無職のトンネルに入るのかと思うと……とてもイヤな気持ちになる。

最近、なにをしていても「こんなことに意味があるのか」と感じてしまう。趣味の短歌をしていても、ほかの遊びをしていても、家事をしていても、人と会っていても、不意に「これ、無意味じゃないか」という思いが浮かんでくる。

こういう時期だから、今後のことを考えて、なにかアクションを起こさなければならない。なのに、なにをしていても「こんなことをしている場合ではない」という気持ちになってくる。就労移行支援にしても、その他のことにしても、なんでもそう。自分が決めて始めたことなのに、どれもまったく意義を感じられないし、楽しめないし、続かない。

多分、自己愛が薄いんだと思う。いや、ブログで毎日長々と自分語りしてるだろ、自己愛が薄いわけあるかと思われるかもしれないが、それはそれ、これはこれである。私は、自分のことを信用できていないし、自分に与えることができない。

自分のことを信用できていないから、自分の行動に自信が持てない。将来の糧につながる行動、これから生きていくすべにつながる行動でも、「本当に意味があるのか?」と疑ってしまう。短期的に成果が出ないと、「やっぱりダメだ」と決めつけて、すぐに投げ出してしまう。

なにかを始めようというときも、「本当にその選択肢でいいのか?」ということばかりを自問自答するばかりで、はじめの一歩を踏み出すことができない。自分のことだから、自分で決める。そんな当たり前のことが、できないでいる。

自分に与えることができないから、本当の意味で、自分のためになにかをすることができない。

たとえば、妻になにかを贈るとき。妻はなにをほしがるかということと同時に、妻にとってなにが必要かを、真剣に考える。単にほしいものでなく、妻にとって有用な、妻の生活を豊かにするものを贈りたいと思う。

反面、自分のものを買うときには、そういう思考が働かない。値段であったり、外見であったり、そういう即物的な基準だけで、買うものを選ぶ。だから、「自分のほしいもの」は手に入っているように見えても、「自分に必要なもの」は手に入れられていないように感じる。

これは私だけじゃないかもしれないけど、自分のことを自分で真剣に考えられない。心のどこかで、自分自身のことを「どうでもいい」と思っている。自分のことが、見えていないのかもしれない。

自分のことを信用すること。自分に与えること。言うなれば、親が子に対して接するように、自分自身に対して接することかもしれない。こういうのを「自己肯定感」と呼ぶのかもしれないが、個人的には「自己愛」「自分を愛する」と言ったほうが、しっくりくる。

自己愛、どうやって手に入れればいいのだろうか……私には、よくわからない。多分、ていねいに育てていくしかないのだろうが、私にはそれほどの時間もない。かわりのなにかで、カバーしていくしかないんだろう。

自己愛さえあれば、もしかしたら、もっと早く社会復帰できていたかもしれない。あまり「たられば」の話ばかりをしても仕方ないけど……もっと自分を大切にして、自分のことを尊重してあげればよかった。

ただ、私の場合、人格の根っこに「双極性障害」が巣食っている。躁状態と、うつ状態とによる、判断力のゆらぎがある。だから、自分の思考を100パーセント信頼することはできない。自分のことを信用したい、自分に多くを与えたい。しかし、そうすることで、すべてを失う危険性がある。

自己愛に応えてくれる、健常な精神がうらやましい。私は、自分のことが愛せない。

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