ひきこもりのパラダイムシフト

04.じんせいのこと
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私は、ひきこもりである。今は仕事をしていないので、「学校がイヤ!」とか「仕事がイヤ!」とかではない。とくに理由もなく、ひきこもっている。外へ出ても、とくにやることがないので、自発的にひきこもっている。

厚生労働省のウェブサイトで、「ひきこもり」の定義を調べると、「仕事や学校にゆかず、かつ家族の人以外との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上自宅に引きこもっている状態」と書いてある。

はじめに言ったように、ゆくべき仕事や学校は、ない。家族以外との交流はといえば、スーパーや喫茶店の店員と、業務的な会話をするくらいしか、ない。6ヶ月どころか、もう2年ほど、ロクに自宅から出ていない。厚生労働省が定めるところの、立派なひきこもりである。

いままでは、親族や友人知人から、「働きなよ」「遊びなよ」「外に出なよ」と言われることも多かった。世間のプレッシャーや、自己のレゾンデートル(存在意義)の危機などもヒシヒシと感じつつ、「ひきこもりは悪」「いつかは『ひきこもり』を卒業しなくてはならない」と思っていた。

そこへ、昨今のコロナ禍である。いままでさんざん「外へ出かけましょう」「外で活動しましょう」と言われていたのが、一転して「家にいましょう」「外出を控えましょう」という論調に変わった。これは、一大転換だと思う。外出が推奨される時代、ひきこもりが批難される時代から、ひきこもりが推奨される時代、外出が批難される時代になってしまった。

ひきこもりにとっては、ありがたいパラダイムシフトである。今までは、ひきこもっているとバッシングされていたのが、今はひきこもっているだけでほめられる。なおかつ、今までひきこもっていたことによる優位性まで獲得できた。今まで外でキチンと生活してきた人にとって、家にひきこもることは大層な苦労だろうが、もとからひきこもりの私にとっては、なんてことはない。

世間には、外出できずに心理的ストレスを抱えている人が、たくさんいるらしい。ひきこもりに慣れてしまった私には、あまりわからないが。会社勤めをしているウチの妻も、「出社できないと仕事にならない」とボヤいていた。私は酒を飲まないが、酒好きの友人などは、深刻そうに「飲みに行きたい」と話している。「コロナうつ」なんていう、物騒な言葉も生まれた。

こんなことを言うと怒られるかもしれないが、世間の苦労を傍目に見ながら、悠々自適のひきこもり生活を送るのは、けっこう気分がいい。「みなさん、大変ですなあ!」と、高笑いしながら過ごす日々である。

ただ、ひきこもりたる私の気分がよくなったところで、世間はまったくよくならない。むしろ、経済も人の心も、どんどん悪くなっている。ひきこもりが優位性を獲得したところで、そこから生み出されるものなど、なにもない。マクロな視点で見たら、マイナスしかない。

いささか遺憾ではあるが、はやく事態が収束してほしいと思う。アフターコロナ、コロナ禍以前とおなじ、まったくもと通りとはいかないだろうけど……違ったかたちでもいいから、社会や経済や人が、ふたたび安定してくれたらいい。なぜなら、そうでないと安心してひきこもれない。ひきこもりの地盤が、危うくなってしまうので。

なんの生産性もないひきこもりがもてはやされる時代、まさか来るとは思わなかったし、もう二度と来てはならないと思う。ひきこもりの私が言うのもなんだけど、人は社会に出て、他者と交わり、なんらかの活動をすべきなのだ。とはいえ、不謹慎かもしれないが、数奇な時代を生きられていることを、少しだけうれしく思ったりもする。

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