ていねいな暮らし

04.じんせいのこと
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ってなんだよ、っていつも思う。だれが言い出したのかは知らないけど、最近は嘲笑する意図で使われることが多く(私のまわりの人間が歪んでいるだけかもしれないが)、正直苦々しく思っている。

まあ、私自身も、「ていねいに暮らして、なにが悪いんだ」とは思いつつ、天然素材にこだわって、しつらえたようにオーガニックな暮らしを送っている人を見ると「σ(^_^;)」となってしまうので、人のことはとやかく言えない。

私は、身の回りのものを、できるだけ無印良品で揃えている。理由はカンタン、デザインが好きだから。デザインにムダがない。品質にも、さほど問題がない。素材や原産地には、まったく関心がない。

特に寝具。布団カバーや枕カバーを、無印の棚落ち商品で揃えたが、ごくごく満足している。ちなみに、ベッドはニトリで妥協している。

ある人は、無印良品とそのユーザーについて「安くない金を払い、高くはない品質の、彼らから提供される商業的ていねいな暮らしを、豚のように受け入れている」と語っていた。

半分は、正しいかもしれない。無印良品の製品は、たしかに安くはない。品質は、まあ普通か、若干いいくらいだと思う。しかし、後半部分、「商業的ていねいな暮らし」「豚のように受け入れている」という点には、大いに疑義がある。

そもそも「ていねいな暮らし」とはなんなのか。なんとなくイメージはつくが、具体的な定義が見当たらない。すくなくとも、私たち夫婦は、ていねいに暮らしているつもりである。

無印良品は抜きにしても、ちゃんと自炊をしているし、洗濯もこまめにする。日用品の手入れも(主に妻がだが)欠かしてはいないし、可能な範囲で整理整頓しているし、部屋でサボテンを育てている。

商業的なトレンドに乗せられて、そうしているわけではない。そのほうが、暮らしがよくなるからやっている。無印良品のアイテムを使うのも、それが気に入っているから使っている。

抽象的に言われる「ていねいな暮らし」を意識しているためではなく、ていねいに暮らしていくために、無印の商品が必要十分だから、使っている。

まあ、こういう状態のことを「(商業的ていねいな暮らしを)豚のように受け入れている」状態と言われてしまえば、それまでなんだけど。ただ、ライフスタイルについて、他人からとやかく言われる筋合いはない。

ライフスタイルも、生活の余剰時間、生活のリソースをあてるという意味では、趣味のひとつみたいなものだろう。個人の趣味について、他人からアレコレ言われる道理はない。

ある人は、ゴルフに行くだろう。ある人は、パチンコに行くだろう。ある人は、本を読むだろう。ある人は、キャンプをするだろう。どれも立派な余暇の過ごし方で、どれもバカにしたものではない。

そういう余暇の一部を、ウチでは「暮らし」、たとえば料理などの家事にあてていて、結果的に生活が「ていねい」になっているように見える。当然の話だし、それだけの話である。

「ていねいな暮らし」は、私にとってはだが、楽しい。調味料ひとつで、生活の質がガラッと変わる。家具や調度品のコンセプトをそろえることで、日々の暮らしが整う。サボテンが花を咲かせると、うれしい。

あと、これは実利の話になるんだけど、化学繊維の服より、天然繊維の服のほうが、着心地がいい。被服気候が全然ちがう。圧倒的にいい。

まあ、定型的なライフスタイルとしての「ていねいな暮らし」が存在することは認める。あえて揶揄するように言うが、オーガニックコットン100%無地のTシャツを着て、ゆったりした麻のパンツを履いて、余計なものは身につけず、フェアトレードの商品を好み、ミニマリストか仙人みたいな暮らしをしている人。バカにするつもりはないが、そんなイメージはある。

ただ、それのなにが悪いのか。彼らは、そういう暮らしがしたい、そういうライフスタイルを送りたい、そこにリソースをさきたいから、そうしているだけであって、非難されたり嘲笑されたりすべき要素は、ひとつもない。

彼らを批難するというのなら、すべての趣味者、パチンコだろうが、TVゲームだろうが、ゴルフだろうが、クルージングだろうが、好きなことに時間をさいている、すべての人々は批難されるべきである。

極論だが、人がなにに金や時間を使おうが、どんな暮らしを送ろうが、人様に迷惑をかけない限りは、本人の勝手である。みなさんも、おのおのご趣味がおありだろうし、それに時間や金をさいているだろう。

ライフスタイルとしての「ていねいな暮らし」も、それとおなじである。無印良品と、その顧客をバカにして悦に入っている人は、まずご自身のバカさ加減・無神経さをご自覚なさるのがよろしい。

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