暮らしていくこと

04.じんせいのこと
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今日、換気扇の清掃をした。レンジフード型の換気扇、まだ新しい。

今のマンションへ引っ越してきたのが、3年前。恥ずかしい話だが、入居後数ヶ月の頃に軽く掃除して以来、一度も換気扇の清掃をしていなかった。けっこう前から、妻とは「そろそろヤバい」という話をしていて、たまたま今日の昼前に気が向いたので、腹を括って掃除することにした。

「ヤバいことになっているだろうな……」と思いつつ、フードを開ける。開けた瞬間、ヤバいことになっていることが理解できた。汚い話なので、詳しくは書かないが、フードは油汚れにまみれ、フィルターは油埃の塊にびっしりと覆われていた。

フードとフィルターを外しただけなのに、手が油でベタベタになってしまった。外したフードとフィルターを、浴室へ運び、床へ置くと、床に薄茶けた汚れが移った。

とりあえず、フードとフィルターに、合成洗剤をスプレーして、放置してみた。

しばらくしてから、フードの表面をウエスでこすってみたが、汚れが多層になっているようで、一枚めくってまた一枚といった感じ。洗剤をつけてはこすって、また洗剤をつけてはこすってを、何度も繰り返した。

フィルターは、最悪だった。もう、どうしていいのかわからないので、とりあえず合成洗剤をぶっかけた。それから、ひたすらこする。こする。思い切りこすると、ようやく金属製の表面が見えてきた。

こうして1時間以上換気扇と格闘し、もと通りとまではいかないものの、フードもフィルターもそれなりに綺麗になった。ベランダで水気を払ってから、もとの位置に戻し、電源を入れてみると……換気扇の稼働音が、おどろくほど静かになった。

前置きが長くなったけど、べつに「掃除が大変だった」という話をしたいわけではない。そもそも、定期的に清掃していれば、なんの問題もなかった。それを、2年以上放置した私がおかしい。たしかにビビったし、手こずったが、結果的に1時間強で掃除が終わっているのだから、大した手間ではなかった。

そもそも、なんで2年半も放置してしまったのか。まずもって、我々夫婦、特に私が怠惰だったんだけど、怠惰だけで片付けていいのか。

少し話は変わるが、会社をやめてから、キッチンに立つ回数が増えた。それほどしっかり料理をしているわけではないが、こんなに頻繁に料理をするのは、生まれてはじめてかもしれない。

子供のころは、すべて母がやってくれていた。父は会社員、母はパートの共働き世帯だったが、父は特になにもしなくて「こういうものなのだなあ」と思っていた。座っていれば、食事が運ばれてくる家庭。私世代だと、こういう子ども時代だった人は、けっこう多いんじゃないかと思う。

一時家計が苦しくなったようで、母がパートをかけもちしていた時期があった。母の帰宅がとても遅くなり、夕飯の準備は父に託された。では、父はどうしたかというと、割高な持ち帰り弁当を買ってきて、私と弟に食べさせていた。本末転倒である。

大学進学とともに、ひとり暮らしを始める。母からは「時代に合わせて、しっかり自炊せよ」と申しつけられていたので、私も始めの1年くらいは、張り切って自炊していた。しかし、次第に面倒くさくなって、外食の回数が増えていく。あと、友人と飲みに行く頻度も多かったから、家で自炊することは、ごく稀になった。

学生時代は、高時給のバイトにありついていて、また奨学金も借りていたので、お金の心配はなかった(このときの生活態度・経済観念は、あとで全部自分に返ってくるのだが)。毎日近所の定食屋へ行き、日替わりを頼んで、腹を満たす。母から持たされた調理器具一式は、シンクの下の収納の奥で、すっかりカビていた。

社会人になってから、最初の会社では、ほとんどを会社の寮で過ごした。寮では、朝食と夕食を用意してもらえる。作り置きの、冷めた食事だったが、自分で調理する必要はなかった。

上京してからは、またひとり暮らし。残業が多い会社ではなかったが、それでも一日働くと、クタクタに疲れる。会社では、イヤなこともあったりする。朝晩の2回、満員電車にすし詰めにされる。駅から家までけっこう歩く。すると、家に帰るころには、もうなにもする気がなくなっていた。

とまあ、また長々言い訳をしたんだけど、ここまではいい。独り身なので。問題は、妻と同棲(そして結婚)したあとだ。

正直に言うけど、私は結婚してからも、ほとんど料理をしてこなかった。料理だけじゃない、家事全般をやっていなかった。

そりゃ、たまに料理したり、洗濯したり、掃除したりはするが、妻との家事分担比率でいえば、よくて妻7:私3くらいだった。これは妻にも確認をとったので、間違いない。

前の会社に勤めていたころは、それなりにマジメに仕事をしていた。役職もついていた。終業後も、上司や部下や後輩と、付き合いで飲みに行ったりしていた。酔っ払って帰ってきて、シャワーだけ浴びて寝る、みたいな日も多かった。

友人も多かったので、遊びに出かけては、やはり酔っ払って帰ってきて、シャワーだけ浴びて寝る、みたいな日も多かった。

前の会社は、超ホワイト企業だったので、持ち帰り仕事はなかった。しかし、性分なので、帰ってからもやはり仕事のことを考える。出張が多かったので、出張前日は家のことなんてそっちのけで、出張の準備にあけくれていた。

給料は、悪くなかった、特によくもないが。妻とふたりで暮らしていくには、十分な額をもらっていた。妻と同棲してからは、生活費の大部分を私が払っている。今思い返せば、「私は金を払っているんだぞ!」という矜持というか、おごりみたいのがあったんだと思う。

昨年秋に、心と身体の調子を崩して、会社をやめた。それから、もうすぐ1年経つ。

正直、経過はよくなかった。退職後3ヶ月間くらいは、アル中に近い状態で、浴びるように酒を飲んでいた。年明けに禁酒を始めてからは、何ヶ月にもわたって、ひどいうつ状態と希死念慮に悩まされた。それらから開放されたと思ったら、今度は深刻な不眠に襲われた。マトモに生活を送られるようになったのは、ここ2ヶ月くらいのことである。回復までに、1年かかったし、完全に回復したという保証は、まだない。

最近、ここ2ヶ月くらいのことだが、ちゃんと家事をするようになった。理由は、みっつある。ひとつめ。私は仕事をしていないけど、妻は働きに出ていて、日中なにもしないで過ごすのは気がとがめる。ふたつめ。単純にヒマだった。みっつめ。「暮らし」の面白さを発見した。

ひとつめ、私は仕事をしていないが、前職の会社からご配慮をいただいていて、今のところは一応の定期収入がある。おかげで、なんとか暮らせている。しかし、仕事をしていないので、やはりすることがない。私が家でボーッとしてたり、眠ったりしてるあいだにも、妻は朝から会社へ行き、働いている。さすがになにも思わないわけはなく、せめて妻の負担にならない程度に家事をしよう、そう思ったのがきっかけだった。

ふたつめ、定期収入はあるが、もちろんそれほど多くはない。有り余る時間を武器に、外へ出て遊び歩いていた時期もあったが、やはりお金が続かない。かといって、家にいてもすることがなく、ヒマをつぶす方法を考えた。なにかやることはないかと、アレコレ考えて、消去法的に家事をすることにした。これもきっかけのひとつ。

みっつ、前置きが長くなった。これが今回の本題なんだけど。家事に主体的に取り組むようになって、はじめにちゃんと取り組んだのが、料理だった。妻が帰ってくる時間から逆算して、買い物へ行き、キッチンを片付けて、食材を調理し、米を炊いて、帰りを待つ。そうすると、妻が帰宅して、すぐ夕食にできる。

妻との食卓は、楽しい。料理が上手くできたらうれしいし、妻が「おいしい」と言ってくれたら、なおうれしい。料理は得意じゃないから、白米ともう一品みたいな、カンタンな食卓。だけど、ふたりで並んで食べると、にぎやかに感じられる。

夕食を早めに済ますことができれば、その後の夜の時間を、ゆっくりと過ごすことができる。お茶やコーヒーを淹れて飲んだり(このあいだ、医師から夜のカフェイン摂取を禁止されたが)。二人で話をしたり。ゴロゴロダラダラしたり。互いの趣味の時間にあてたり……食事の時間を早めれば、寝る時間も早くなる。早寝すれば、身体が健康になる。食事に気を配ることで、生活の内容が一変したことに、すごくおどろいた。

次が、洗濯。とにかく面倒なので苦手なのだが、やらなければならないものとして、やっている。洗濯物を注意深く見てみると、当然のことなのかもしれないけど、毎日これだけの衣服を着ては脱いでいることにおどろく。カゴのなかに積み重なっていく衣服が、すなわち生活の証なのだと思って、過ぎた日に思いを巡らせてしまう。

うっすらと濡れた衣服を、洗濯機から取り出して、一枚一枚ハンガーにかけていく。妻の服を手にとって、普段はこんな服を着て、こんな格好をしているのだなと思い浮かべる。毎日、朝夕しか顔を合わせない妻の服装に、あまり気を払っていなかったことに気づき、深く反省する。

次が、掃除。小さな掃除は本当に苦手だし、掃除機がキライ(とにかくキライなんだ)なので、私がするのは大きな掃除。たとえば浴室、エアコン、換気扇など。

2年ぶりに換気扇の清掃をした。やらなきゃな、と思いつつ、忙しい、気分が乗らない、具合が悪いなどの理由で、2年も放置してしまった換気扇。すまん。レンジフード型の換気扇。フードを開けると、フィルターの目地を、油汚れがビッチリとおおっていた。フィルターを外して、いったん浴室へ運び、洗剤をぶっかけて、たわしでこする。フィルターにこべりついた2年分の汚れを、たっぷり1時間ほどこすり続けて、ようやく元の姿に戻すことができた。

キレイになったフィルターを持ち上げて、ゴミをまとめて浴室を出ようとして、ふと振り返った。浴室の換気窓から、正午の柔らかい光が、たっぷりと差し込んでいて、仄暗い部屋を満たしていた。その瞬間、言葉では形容できないけど、ああ、これが暮らしなのかもしれないと思った。そして、今までいろんなことにかまけて暮らしをなおざりにしてきた、何年もの時間を、本当に後悔した。

べつに「家事をしてればよかった」とか「ていねいな暮らしをしてればよかった」とかの反省ではない。忙しくて家事をしてなかったのは、事実。自炊といえば、いい加減な野菜炒めばかりだったのも、事実。掃除もろくにしなかったのも、事実。体調を崩して寝てばかりだったのも、事実。だけど、私なりに一生懸命暮らしてきたつもりだし、私には私の役割があった。それを果たしてきたことは、とても尊いことだと思う。怠惰だった部分もあるが、仕方がない部分もある。

繰り返しになるが、ひたすら後悔しているのは、暮らしをなおざりにしてきたことだ。私はこの家に3年も住んでいたのに、まるでこの家に住んでいないように暮らしていた。妻とも3年一緒に過ごしていたのに、まるで妻と別に過ごしていたかのように暮らしていた。自分の生活を送っていたはずなのに、まるで自分の生活を送っていないかのように暮らしていた。私は、自分の暮らしを、まったく見ていなかった。自分の生活を、大切な人生の時間を、ドブに捨てるように費消してしまった気さえする。

取り返しのつかないことだけど、今からはちゃんとしたい。自分の暮らしを、注意深く見つめていきたい。家のささいなことも、見落としたくない。小さなことで、妻と一緒に喜んだりしたい。いまさら反省しても遅いかもしれないけど……自分がないがしろにしてきたものの尊さに、遅まきながら気がついた。

ぼちぼち、今後の身の振り方を考えなくてはならない。就職か、あるいはそれ以外か、どうなるかはわからない。ただ、どういう道へ進んだとしても、自分と、そして妻との暮らしを大切にしていきたい。暮らすということは、単にそこで時間を過ごすことだけではないと思う。毎日の日々があり、似たようなことの繰り返しの中で、ちいさいながらも事件が起きる。うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、つらいこと、いろんなことがあって、それが暮らしなんだと思う。今は、そのひとつひとつが愛おしい。これからも、この気持ちを持ち続けたい。

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