障害者手帳と弱さ

03.精神障害のこと
この記事は約5分で読めます。

2010年ごろに、心療内科で双極性障害(躁うつ病)の診断を受けた。2015年に、精神障害者保健福祉手帳(障害者手帳)を取得した。

診断を受けてから5年間、なぜ手帳を取得しなかったのか。理由はふたつある。手続きがよくわからなくて、面倒だったのが、ひとつ。「障害者」になりたくなかったのが、ふたつ。

手続きについて、実際にはそんなに面倒ではなかった。主治医に頼んで、障害者手帳用の診断書をもらう。市区町村の役所で申請書を書いて、診断書と一緒に提出する。それだけ。

本当の問題は、「障害者」になりたくなかったということ。双極性障害になった時点で、実態は「障害者」なのだけど、障害者手帳をとったら、名実ともに「障害者」になってしまう。それがイヤだった。

じゃあなんで、5年後に障害者手帳をとる気になったか。理由はひとつ、「障害者」になったほうが、自分のためだと思ったから。

障害者手帳をとるまで、実態は「障害者」なのに、「健常者」のフリをしなければならなかった。人に双極性障害のことを話すのはイヤだったし、気を使われるのもイヤだったし、障害を持っていることが恥ずかしかった。

そのせいで、すごくしんどかった。もう健常者じゃないのに、健常者のフリをし続けていると、だんだん消耗してくる。日々の生活や人付き合いが、どんどんうとましくなっていった。

率直に言う。それまでの私は、双極性障害になってからも「障害者になりたくない」と思っていた。障害者のことを、明らかに見下していた。障害者のことを「かわいそうな人たち」だと思っていたし、「私は障害者になってはいけない」そう思っていた。

だから、実態は「障害者」になってからも、必死で健常者のフリを続けていた。休むべきときに休まず、まわりの健常者に合わせて生活して、その結果クタクタに消耗していたが、それくらい「障害者」になるのがイヤだった。

情けない話だが、健常者のフリをすることに耐えられなくなって、「障害者」になろうと、「障害者」であることを受け入れようと思った。その証として、障害者手帳をとった。

障害者手帳をとっても、生活はなにも変わらない。私の障害等級は、精神3級。3級だと、あまり大きなメリットはない。ただ、心持ちは確実に変わった。

生活の大部分においては、あいかわらず健常者のフリを続けている。以前勤めていた会社にも、双極性障害のことは隠して入社した。日本の社会は、障害に対してそれほど寛容ではない。障害を隠して、健常者のフリをしていかないと、生きていけない。

ただ、自分の在り方が変わった。障害者手帳をとる以前は、心のどこかで「健常者に合わせることが正しいこと」だと思っていた。「健常者」という型枠に、自分をはめ込もうとしていた。

障害者手帳をとってからは、「私は双極性障害だから、健常者に合わせる必要はない」と思えるようになった。うつ状態で疲れたときは、早めに休む。躁状態でアガっているときは、はしゃぎすぎないようにする。そういうことが、意識的にできるようになった。

双極性障害の診断を受けてから5年、障害者手帳をとってからようやく、双極性障害のことを受け入れられた、自分が「障害者」であることを認められた気がする。

今、双極性障害をオープンにして、就職活動をしている。正直に言えば、かなり苦戦している。先日も、5社に応募して、5社から不採用の連絡をもらった。多分、障害をオープンにしているためだと思う。

ただ、双極性障害は、まぎれもなく私の一部なのだ。隠すものでもなければ、恥じるものでもない。「双極性障害は私の個性」なんてバカげたことを言うつもりは、断じてない。しかし、私と双極性障害とは、切っても切り離せない関係にある。だから、オープンにしたい。

双極性障害が私の弱点であることは、間違いない。ただ、弱点があるからといって、それで人生を、いろんなことをあきらめる理由にはならない。

そもそも、健常者だってだれだって、人なら必ず、それぞれの弱点を持っているだろう。私の場合、たまたまそれが「双極性障害」という名前つきで、わかりやすくあらわれているだけ。本質的には、他の人となんら変わりはない。

「障害者」になってわかったこと、いろいろあるが、いちばん大きな発見は「みんな弱い」ということだ。障害者手帳をとるまで、私は私のことを「強い」と思っていた。障害にめげずに頑張っている、強い人間だと思っていた。みんなもおなじように強く、頑張っていると思っていた。

しかし、くじけて「障害者」になってしまった。そこで、過去の自分の姿をかえりみてみると、弱い人間が、必死にあがいているだけだったと気づいた。

おなじ視点で、他の人を見てみると、みな弱いことに気づいた。病気や障害を隠して、健常者のフリをしている人。病名はついていないが、なにかしら病んでいる人。健康そうに見えても、生きづらさを抱えた人。みんな、それぞれの弱さに四苦八苦しながら、生きている。

私にとって、障害者手帳をとった最大のメリットは、自分の弱さを受け入れることができたことだ。「障害者」になったとかは、どうでもいい。今は、障害者も健常者もない、私はもとから弱い、みんなもおなじように弱いと思っている。

弱さを隠すのは、しんどい。かつて健常者のフリをしていたころは、毎日が苦痛で仕方がなかった。弱さを受け入れられた今は、毎日気楽に過ごしていられる。

私にとって、障害者手帳の取得は、弱さを受け入れるための「儀式」だった。障害者手帳をとることが、いいことか悪いことかは、よくわからない。ただ、私にとっては必要なことだったし、とってよかった。

人は、みんな弱い。なにかしら弱点がある。弱いが、弱さは隠すものではないし、恥じるものでもないと思う。弱さを隠したり、恥たりしていると、それだけで心が消耗してしまう。

自分の弱さを他人に押しつけるのは、よくない。かといって、隠しすぎるのも、よくない。せめて自分だけでもいいから、自分の弱さを受け入れられればいいと思う。やり方は、きっといろいろある。

タイトルとURLをコピーしました