ここ何ヶ月間か、精神が本当に平穏である。慢性的な不眠という深刻な悩みが残されているが、それ以外はまったく問題がない。
神経過敏だから、外出したりすると、強いストレスを感じてしまう。なので、最近はだいたい家にひきこもっている。外出するのはジムへ行くときくらいだから、精神への刺激も少ない。
頭のなかが、凪である。友人から「Twitterの更新が少なくて心配だ」と言われたが、むしろ逆で、日常になにもないから、SNSに書くことが、なにもない。個人的には、とても幸せな状態である。
まあ、仕事をしていないし、いつまでもこの生活を続けられるわけではないけど。心では、この生活が永遠に続いてほしいと願っている。
この現状、わりと信じられない。私は、双極性障害(躁うつ病)という、気分が激しく上下する精神障害を持っている。10年くらい前に、双極性障害の診断を受けてから、気持ちがこれほど落ち着いたことはなかった。
どうしてこうなったか、本当に不思議である。決して豊かな生活ではない、明日をも知れぬ我が身だが、心のなかはうららかな春の日のように穏やかである。
去年の秋に、体調を崩して会社をやめた。退職直後はヤケクソになっていて、有り余る時間をかてに、週の半分以上はお酒を飲んでいた気がする。会社をやめたあとも、一応収入はあったものの、それをはるかに上回る額を、お酒に費やしていた。
あのころの暮らしぶりは、ひどかった。毎晩吐くまで飲み食いして、二日酔いから覚めたらすぐお酒を飲んで、また二日酔いになって、生活らしい生活が送れていなかった。
そんなことを続けていたら、年明けごろに妻から「なぜお酒を飲むのか?」と聞かれた。妻と話すなかで、将来への不安、社会との接点が切れることへの寂しさ、自尊心の低さに気がついて、ボロボロと泣いてしまった。妻は優しいので、私のことを諭すように慰めてくれた。
できることからやっていこう。それで、お酒をやめた。妻も、お酒は好きなほうだったが、私が禁酒を始めたのと同時に、お酒をほとんどやめてくれた。
年明け後しばらくして、精神の具合が悪くなった。あとから思い返すと、発達障害の症状が顕著に出始めていて、とにかくあらゆることにストレスを感じるようになっていた。特に、他人と物音に対して。これで、かなり妻を責めてしまった。
また、この時期に、強めのうつ症状も出ていた。身体が思うように動かせないなか、さまざまなストレスに一方的に苛まれるのは、とてもつらかった。
精神科で、発達障害の薬をもらって、神経過敏の症状は徐々に落ち着いてきた。うつ症状には、対処のしようがない。しかし、薬を飲んで寝ていれば、いつかはよくなるものなので、時間とともに症状が落ち着いてきた。妻とは、改めて障害のことについて話し合いをした。家庭生活は、以前のように、平穏を取り戻した。
発達障害由来で、人混みや他人が苦手なことがわかったから、できるだけ避けるようにしたら、いっそう心が穏やかになった。とはいえ、まったく外部と接触しないわけにもいかないので、都度都度ストレスを減らす工夫もしている。
それで、今に至る。あいかわらず睡眠には苦戦しているが、精神状態は安定している。以前のように、なにかにつけて心がささくれ立つことはない。万事オッケーとはいかないが、人並みには生活できていると思う。仕事はしていないが。
もちろん、日々さまざまな工夫を重ねているし、不便や不満を感じること、ガマンすること、あきらめることも多い。それでも、なんとか生活を送れている。この事実が、私にとっては、なによりも尊い。
思い返せば、ひとえに妻のおかげだと思う。本当にいいパートナーと出会えて、とても幸福だと思う。反面、お酒のことにしても、障害のことにしても、自分の自律心の弱さには、恥じ入るばかりである。
私が、もっと気持ちを強く持っていれば。いや、強くとは言わないけど、もう少し前向きにいられたら。もう少し頭を使っていたら。たとえば会社をやめた直後にも、もっと発展的な考えを持てていれば。発達障害や、うつ症状におちいったとき、状況を冷静に理解できていれば。いたずらに妻を責めたり、傷つけたりすることはなかっただろうと、深く反省している。
ほんの数ヶ月前までは、心のなかが、不満でいっぱいだった。「どうして私がこんな目にあわなくてはならないのか」そんなばかり考えていて、「障害を持ってしまった」現実を直視できていなかった。
今は、心持ちがだいぶ違う。「障害を持ってしまった」ことについては、もう、仕方ないことと思っている。そのうえで、どう生活を続けていくか。よりよく生きていくためには、どうしたらいいかを考えていきたいと思うようになった。
障害を受け入れつつあるのか。それは、よくわからない。まだ、働く自信もない。しかし、少なくとも生活の部分だけでは、障害を持っていても、やっていこうという気になっている。まあ、最近たまたま体調がよくて、気分もいいから、こう思えているだけかもしれないけど……。
不眠についても、希死念慮(「死にたい」という観念)が晴れてからは、それほど苦しくなくなった。生まれたからには、生きていたい。素直にそう思えるようになって、とても幸せである。
障害を乗り越えるのは、とてもむずかしい。障害を受け入れるのも、とてもむずかしい。私は、多分どっちもできないだろうなと思う。ただ、生きていく以上、どこかで折り合いをつけなければならないのも、事実なんだろうな。
障害と戦うか。それとも、障害と和解するか。その姿勢は、人によって千差万別だと思う。当事者の人々が、自分に合った、そして自分で納得のいく選択ができればいいと思う。そして、みんなが平穏な暮らしを手に入れられることを祈っている。