浪費のこと

02.メンタルヘルスのこと
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以前の記事にも書いたけど、昔から、金使いが荒い。学生時代から、使えるお金のほぼすべてを、お酒はじめ、なんらかの消費行動のために支出してきた。

お金の計算ができない。こんなことを書くと、信用を失いそうだからイヤなんだけど、自分の収支は大雑把にしか把握できない。使ってはいけないはずの金額を使ってしまうし、使ってはいけないはずのお金に手を着けてしまう。

学生時代は、まだマシだった。お酒を飲む以外は、大して遊びも知らなかった。一晩じゅう飲んでも、学生なのでたかが知れている。それでも、お酒を飲みすぎて、生活はカツカツだったが。

社会人になってからが、ヤバかった。会社に入って「大人の遊び」を覚えたら、カンタンにハマって、大金を費やすようになった。

「大人の遊び」と言ってもかわいいもので、主にキャバクラ、女性と一緒にお酒を飲むだけの、無意味な疑似恋愛モノの店が中心だった。ただ、私は「女性から好意的に接せられる経験」が致命的に不足していたので、キレイな女性が優しくしてくれるキャバに、ドハマりしてしまった。

あと、社会人になったら、そういうお店で遊ぶのがステータスなんだと思っていた。高い金を払って、お酒を飲んで、キャストの女性を喜ばせるのが「粋な男」なのだと、本気で信じていた。今思えば、バカバカしいことだけど。

当時は名古屋に住んでいた。錦3丁目、いわゆる「錦三」と呼ばれる、東海地方最大の歓楽街へ、毎週のように遊びに出ていた。はじめは安価なメイドキャバクラとかで、おっかなびっくり飲んでいたが、遊び慣れてくるにつれて、だんだんとお店のグレードが上がってきた。

店のグレードが上がれば、当然ながら、そこで使うお金も増える。一時などは、給料日に同僚や後輩と錦三へ繰り出して、一晩で1ヶ月分の給与を使い果たしたこともあった。まさしく「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」である。名古屋だったが。

私は元・銀行勤務だが、若手銀行員というのは、それほど給与が高くない。新卒で銀行へ入り、はじめて給与明細をもらったとき。月給が、学生時代のバイトの月収より少なくて、すごくガッカリした覚えがある。要するに低所得なんだけど、「私は銀行員なんだ」という見栄とプライドだけは一丁前で、とにかく遊びが止められなかった。

新卒で入った銀行では、暗黙の了解として、入社後に自社カードローンの融資枠を作らされる。単なる契約件数稼ぎなので、普通はこのカードローンを使うことはない。同期でも、このローン枠を使っている者は、ほとんどいなかった。しかし、私のカードローン枠は常にパンパン、限度額いっぱいになっていて、同僚から利払いを督促される始末だった。

新人時代は、食うや食わずやの低所得だが、数年もすれば階段式にバーンと給与が上がって、ようやくマトモな人生設計もできるようになる。同期が車を買ったり、世帯を構えたりするなか、私はなにをしていたかと言うと、あいかわらず女性のお店で、お酒を飲んでいた。カードローンの枠も、あいかわらずいっぱいいっぱいである。

所得は増えているので、遊びは派手になる。聞き覚えのある単語かもしれないが、同伴やアフターもしたし、掛け払いとかもあったりして、せっかく増えた給与も全部パー、毎月の収支はメチャクチャだった。

とはいえ、銀行員のくせに金への執着があまりなかったため、金銭にまつわるストレスもあまりなかった。なんせ、それなりの給与をもらっていたし、他に金の使い道があるわけではなかったので、収入をナイトレジャーに全振りしても、なんとかやっていけていた。

あと、これはまた別に書こうと思うけど、当時の私は恋愛経験がまったくなかったせいで、女性との人間関係・恋愛関係に対して、かなり認知が歪んでいた。お金を払って女性と遊ぶことについても、「お金は掛かるけど、すごく楽しいな」くらいの解像度で暮らしていた気がする。

とはいえ、遊びを卒業する時期は来る。あるときから、酷い不眠に悩まされるようになり、週末に遊びに出かける体力がなくなった。そして倒れて、心療内科で「抑うつ状態(のち双極性障害)」の診断を受けて、名古屋を離れることになる。

身体を壊してから、はじめて冷静に我が身を振り返った。貯金のひとつもないどころか、遊びで借金(カードローン)をこさえていることを、すごく情けなく感じた。長々と書いてしまったが、あまなつライフ・ナイトレジャー編、第一部・完である。

その後は両親から支援を受けたりして、いったん身辺をキレイにして、休職・療養に入った。はじめは「抑うつ状態」の診断で、実際にうつ症状が強かったため、毎日食べて寝るだけの生活だった。しかし、ある日を境に、躁状態が発症。また浪費の日々が始まる。

当時私は、会社の健康保険組合から「傷病手当」というものを受給しており、休職中ながら、収入がないわけではなかった。うつ症状が強い時期は、特にお金を使うわけでもなく、つましい暮らしを送れていた。しかし、躁状態になった途端、また生活が派手になった。

まず、また酒が止められなくなった。躁状態のときの様子については、以前も書いたけど、テンションがアガるのに任せて、吐くまで飲んでしまうし、支払いのことをかえりみなくなってしまう。居酒屋→スナック→寿司というルートが、当時のお気に入りだったが、バカみたいに金が飛んでいく。

あと、また女性のいる店へ通うようになった。実家の近くにキャバクラはなかったが、スナックはたくさんあった。身の丈もわきまえずにボトルを入れたり、スタッフの女性にドリンクを配ったりして、分不相応な遊び方・飲み方をしていた。

お酒だけではない、買い物も止められない。あちこち出かけて、めぼしいもの・ほしいものは、なんでも買ってしまう。突発的に新しいことを始めたくなり、そのために必要なものを一気に揃えてしまう。しかし、新しいことを始めても、長続きはしない。

そんな暮らしをしていたら、さすがに同居の両親の目にも余ったのか、当時はサボっていた精神科を再受診させられ、そして双極性障害(躁うつ病)の診断を受けた。双極性障害の治療を始めたら、浪費はずいぶんマシになった。

そのあとも、生活が落ち着いたり荒れたりして、復職したりまた休職したり、また復職したり退職したりした。退職のドサクサで、300万円ほどのお金を手に入れたのだが、旅行したりしてたら、たった2年で溶かしてしまった。実家暮らしのくせに。

それから、またいろいろあって上京したんだけど、上京してからもちょっと元気が過ぎていたようで、あいかわらず身の丈に合わない生活を送っていた。そして、あいかわらずお酒がやめられていなかった。

お酒を飲むのはいいんだけど、私はずーっと月給制のサラリーマンなわけで、毎月使えるお金には、上限がある。自分の収入の範囲内でお酒を飲むのなら、べつにいい。だけど、自分の収入の範囲内でガマンできないのが、かつての私であり、双極性障害の躁状態なんだよな。

単にお酒が好き、というか若干アル中気味だったのもあるけど、「なんでもいいからお金を使いたかった」というのもある気がする。金銭消費は、気持ちがいい。社会に参加している気になれる。

今年の頭にお酒をやめた理由、アル中の疑いがあったこともあるけど、それとおなじくらい、金銭的な事情が大きい。仕事をしていなくて収入がないのに、働いているころとおなじか、それ以上の頻度で飲みに行っていれば、お金がなくなるに決まっている。

貯金や退職金で、多少まとまったお金があったものの、お金があれば、あるだけお酒を飲んで使ってしまうのが、かつての私だ。仕事をやめて、社会との接点がなくなってしまった。お酒が、それを再びつないでくれるような気もしていた。そんなはずはないのに。

双極性障害の、特に躁状態の症状として、浪費および過量飲酒・アルコール依存があるらしい。私の場合は、合わせ技で、ヤバいことになりかけた。というか、なってたんだけど、似たような経験をした・してる人って、けっこういるんじゃないか。

お金を使うのは、気持ちがいい。お酒を飲むのは、気持ちがいい。女性のいるお店へ行けば、まとまった額のお金をカンタンに使うことができる。あと、女性からもチヤホヤされる。お酒とお金、相性がよすぎるのか、悪すぎるのか。

あなたの浪費はどこから? 私はお酒からだった。今年の頭に、妻が異常事態に気づいて、そしてそれをはっきり指摘してくれて、そして問題点を明らかにしてくれて、本当に助かった。もうちょっとで、冗談抜きに路頭に迷うところだった。もう勘弁してください。

飲酒について、妻と話し合うなかで気づいたこと。私がお酒に大金を突っ込むのって、結局、社会との接点が切れるのが怖いからだったんだよね。お酒を飲んで人と会う、お酒を飲んで消費行動をする、そうすることで、仕事をしていないながら、社会とのつながりを保とうとしていたようだ。もうひとつ、お酒と酩酊は、不安を先送りにしてくれるというのもあったけど、こちらは本筋から外れるので、割愛する。

消費行動が、社会参画のひとつの形であることは間違いない。たとえば、他者と一緒にお酒を消費する席では「場」「関係」が生まれる。私は、いままで酒席を通じてコミュニティに参画して、本当にたくさんの友人を得ることができた。これは大きな財産だし、ムダだったとは思わない。

他にも、たとえば家電を買いに行けば、店員さんとかとの接点が生まれる。通販だって、根源的には人と人とのやりとりだ。お買い上げで感謝されれば、気持ちがいい。消費、モノが手に入る快感以外に、お金を使うのは純粋に気分がいい。

ただ、残念なことに、所持金は無限ではないんだよな。これを読んでくれている人、仕事をしていなかったり、サラリーマンだったり、自営業者だったりするんだろうけど、人が使える金額には、だいたい必ず限りがある。自分の所得の範囲内でしか、消費はできない。これは、一般的なルールだ。

かつての私のように、借金をして消費をするという手段もある。それは、もはや消費そのものが目的になった状態で、病的な状態だと思う。普通は、目的があって消費をするだろう。たとえば、冷蔵庫が必要だから、10万円支出する。支出自体が目的化することはないはずだし、支出自体が目的化していたら、それは「消費依存症」だと思う。

よく「浪費は孤独の表れ」なんて言われるが、私はこれに、完全に同意する。人と上手く関われないから、金というメディア(媒介)に頼ってしまう。とても悲しいことだ。浪費の問題の本質は、お金ではなく、社会性であったり、関係性であったりすると思う。

お金を払って他者と関わること、とても簡単だけど、悪い意味で安易だと思う。かつて自分のこと、他者(特に女性)と、お金を通じてでしか関われなかった姿を思い出すと、とてもミジメな気持ちになる。関係への渇望があり、そうして借金まで作ってしまった。

寂しさをお金で埋めるのは、やめようと思う。寂しさの穴に、いくらお金を注ぎ込んでも、穴が埋まることは、絶対にない。じゃあ、どうすればいいのか? 答えは今もわからないけど……寂しさを、不安を、感情の問題を金銭に置き変えないこと。それが、浪費を防ぐいちばんの手段だということだけは、肝に銘じておきたい。

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