夫婦が育つということ

05.家庭のこと
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結婚って、抑圧と自制の積み重ねだと思っていた。

私が上京したのが3年前、転職と同時に上京した。上京時には、すでに妻と交際していた。私はあけっぴろげな性格だから、会社の同僚とかにも「パートナーがいます」ということは、全面的に公開していた。

私は当時30歳、世間で言うところの「いい歳」である。上司や同僚からは、よく「ぼちぼち結婚か?」なんて言われていた。今考えれば、不適切なセクハラ発言、非常に問題があるのだが、私も思うところがあって、まんざらではなかった。

当時勤めていた会社、人間関係がとてもいい会社だった。特に、直属の部長に、とてもかわいがってもらっていた。部長も私もお酒が好きだったから、週に2度ほどは、帰りがけの一杯をやっていた。

部長と2人で飲んでいると、いろんな話をする。当然、仕事の話は多いが、気さくで懐の広い人だったから、いろんな相談ができた。

妻と同棲を始めて、しばらくしたら、いよいよ結婚を強く意識するようになってきた。でも、やはり一大事であり、とても悩む。この時期は、部長と飲むたびに、「結婚、どうしたらいいんすかね」みたいな話をしていた。

部長は、既婚者だ。結婚してから、もう何十年も経っている。大きなお子さんもいる。部長には、公私共にすごくお世話になっていたから、人生の大先輩として、その意見を仰ぎたかった。

部長は「結婚とは、ガマンの連続だ」と言った。独身時代に謳歌した自由は消え失せ、「家庭」が最優先になる。男たるもの、家族を守り、家庭を守る責任を負わなければならない。ままならないことが、次々と出てくるが、それらを耐え忍んでいく。その覚悟があるなら、結婚すべきだと言った。

それを聞いて、私は結婚を決めた。べつに、部長が仰ったような、たいそうな覚悟があったわけではないが、妻とふたりで食べていくくらいなら、なんとかやっていけるだろうと思った。

そんなわけで入籍して、妻と夫婦になった。それまでも同棲していたので、暮らしぶりは変わらなかったが、入籍後はどこか息苦しい。当時は、頻繁に飲み歩いていて、それは入籍後も変わらなかった。ある日、そのことについて妻から厳しく咎められてしまった。それ以来、妻の小言が胸につかえるようになった。

妻への忖度で、飲みに行く回数が減り、フラストレーションがたまった。外でお酒を飲むのはやめて、家で妻と過ごしていても、なんとなく不満を感じる。「結婚とは、ガマンの連続だ」という、部長の言葉を思い出す。極端に言えば、妻に抑圧されている、そんなことまで感じていた。

私の実家の父と母、わりと仲はいいんだけど、父の事情に母が振り回されるような場面が多かった。また、よくある嫁姑問題もあったりして、母のことは気の毒に思っていた。

母は、私の前では文句も言わず、じっとガマンしていた。こう、片方が負担を強いられる、ストレスを抱えながらなんとかやっていくのが、夫婦というか、家庭なのかと思っていた。

結婚に対するイメージが「ガマン」「抑圧」だったから、飲みに行くのを咎められると、まるで妻が、私の頭を押さえつけているように感じていた。妻の手によって、私の自由が制限されているように感じていた。

抑圧に対して、当然反動がくる。大事にはならなかったけど、言葉に棘が出たり、態度が冷たくなったり、当てつけ的な行動をとったり、そういうことをしてしまう。

まあ、私の場合、そもそも私がお酒を飲み過ぎており、悪いのは私、ストレスを抱え込んでいたのは妻なんだけど。でも、なんとなく、ままならなさを感じて、私は毎日イライラしていた。

そんな日々が続いていたとき、妻が少し家を空けたスキに、ストレスの反動が来てしまった。具体的には、バカバカしすぎる・恥ずかしすぎるで詳しく書けないんだけど、やってはならないことをやってしまった。

あるとき、妻にそれをポロッと話してしまい、妻をとても悲しませてしまった。私としては、大したころではないと思ってたんだけど、妻にとっては、重大な事件だったようだ。

それから、しばらくお酒を控えたりしてたんだけど、やっぱりお酒を飲みに行きたい・遊びに行きたい気持ちが強く、それを抑えなければならないことに、不満を感じていた。

そのあとは、双極性障害の発作で体調を崩して仕事を辞めたんだけど、引き続き、お酒がやめられない。生活ぶりは以前とおなじか、前よりもひどくなった。そんなとき、妻から「なぜそんなにお酒を飲みに行くの?」と聞かれた。

妻とじっくり話し合うの、この時がはじめてだったかもしれない。人と会っていないと不安だとか、お酒を通してしか人と関われないとか、そういう自分の内面のダメなところを、妻は真摯に聞いてくれた。そして、お酒をやめて、社交も控えるようになった。

酒をやめたら、家で過ごす時間が増えて、妻とは前以上にコミュニケーションをとることができるようになった。妻は、私の話を、本当に真剣に聞いてくれる。私は、ずっとミソジニー(女性嫌悪)で、これが大きな悩みだったんだけど、妻のおかげで、だいぶマシになったりもした。

双極性障害のことも、そう。短期間で劇的に体調が悪くなって、かなり突発的に会社をやめることになったけど、妻は「不安にならなくていい、焦らないで」と言ってくれた。おかげで、今も安心して療養に専念できている。

以前の記事で、「はじめは、誰もが未熟な家庭人なんだ」と書いたけど、うちの場合で言えば、私がまさに未熟だった。結婚しても、独身のころと変わらないライフスタイルを通して、たしなめられれば機嫌を損ねる。まるで子どもだ。

妻のおかげで、多少はマシな夫になりつつある気がする。仕事をしていないけど。本当に、いい妻と一緒になれたと思う。バカな私に愛想を尽かさず、よく頑張ってくれて、何様かはわからないけど、ほめてあげたい。

もちろん、私が悪いばかりではなくて、私は私で、妻のふるまいや態度に対して、不満を持ったりもしていた。具体的には書かないけど、妻の行いに対して苦言を呈したり、ときには怒りを表したこともある。

そういうとき、以前は言い争いや喧嘩になったり、どちらかが家を飛び出したりしてたんだけど、最近はお互いに「話し合い」ができるようになってきた。以前のような感情のぶつけあいではなく、建設的な議論ができるようになってきた。

身もフタもない話になるが、時間をかけて、信頼関係が醸成されてきたんだと思う。以前なら、妻が私に怒っているときには、「私だけ楽しく遊んでいるのが気に食わないんだろう」みたいなことを考えていた。妬み僻み嫉みみたいな、感情でモノを言っているのだと思っていた。

今は、妻の怒りのなかに「理」を見出だせるようになった。妻が怒っているときには、なにか論理的な理由があり、私になにか問題があるのではないか。今でも、たまにケンカはするが、妻の怒りを冷静に受け止められるようになった。それは、妻もおなじだと思う。

この1年くらいで、私は会社をやめたが、夫婦としては間違いなく「育っている」のを感じる。今の家庭の雰囲気、以前とは比べ物にならないほど穏やかで、妻とふたりでいるときは、たいてい笑顔で過ごしている。

なにがきっかけか。多分妻の人柄、人格の素晴らしさなんだろうけど、私も私で努力をしてきたのかな。私サイドの要因も、多少はあると思いたい。

「結婚生活は忍耐だ」まあ、一面的には正しいと思う。夫婦ふたりで生活を営んでいると、生活リズムやら、ライフスタイルやら、生活スペースやら、金銭面やらで、忍耐・ガマン・妥協しなければならない。子どもでもいれば、なおさらだろう。

でも、私は逆に「結婚生活は解放だ」とも思う。誰にも打ち明けられなかったこと、自分ではどうすることもできなかった問題、たとえば私でいえばアルコール依存・社交依存などの問題も、妻と一緒だったから、乗り越えられた。

配偶者も、そして自分も、完璧な人間ではない。お互い長けた部分もあれば、欠けた部分もある。よくある話、そこをおぎない合うのが、夫婦だと思う。互いを成長させ合うのが、夫婦だと思う。「〇〇だからダメな夫」「〇〇だからダメな妻」と断罪してしまうのはカンタンだ。でも、お互いのダメな部分を補完したり解消したりしていくのも、夫婦の妙だと思う。

なんの縁かはわからんが、ふたりで家庭を築くことになったんだ。自分が選んだ相手なんだ。今はダメな人かもしれないけど、相手の人格と可能性を信じて、気長に付き合っていけたら、いつかいい夫婦になれるかもしれない。

相手を信頼して、言うべきことは言って、聞くべきことは聞いて、インタラクティブに成長していけたらいい。「理想の夫婦像」みたいな、たいそうなものはないけど、自分たちなりに成長していけたらいい。そして毎日、笑顔で暮らしていけたらいいと思う。

 結婚はいいぞ。

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