不要不急の人生

02.メンタルヘルスのこと
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日本のみなさま、とくに東京都民のみなさま、最近はいかがおすごしでしょうか。元気にしてますか。ちゃんと息をしてますか。

私はといえば、小池都知事から「不要不急の外出を自粛して」との要請が出てから2週間ほど、ほぼ徒歩圏内から出ていない。というか、家から出ない生活をしている。

もとからひきこもりみたいな生活なので、外出を自粛するのは、あまり苦ではない。だいたい、外にたいした用事もないし。ただ、自分で望んで外出しないのと、「外出するな」と言われて外出しないのとでは、ストレスのかかり方が違う。

毎日食事の買い出しくらいの外出はする。しかし、それ以外、たとえば喫茶、電車やバス、外食などは、極力控えている。根がマジメなせいか、ちょっとした外出することにすら、罪悪感を覚えるようになってきた。

そんなわけで、ほぼ家にいる。家でなにをしているかというと、家事、Twitter、テレビ、以上。毎日、この繰り返しで終わる。正直、気が狂いそうになっている。

朝起きて「みんなおはよう!」とツイートする。テレビをつけて、ニュースを見る。洗い物や洗濯をする。テレビをつけて、ニュースを見る。Twitterのタイムラインを追う。食事を作る。毎日、毎日、毎日、毎日、コレの繰り返しである。

小池都知事から「自粛要請」が出てから、外出を自粛するようになったのだが、「外出を自粛する」ということは、すなわち生活の選択肢を失うこと、生活の余分を削ることにほかならない。

自粛を突き詰めて、生活をソリッドにしていったら、家事、Twitter、テレビ、これだけしか残らなかった。なんだこれは! なんにもないのとおなじじゃないか!

妻は、先週からテレワークになっていて、家でもせわしなく仕事をしている。そんな妻と比べると、自分の人生なんて、不要不急の人生じゃないか! 生きてこそいるが、生きていないようなもんだ。

「不要不急」のカミソリで生活を削って、ソリッドにしていったら、そこにはなにも残らなかった。いままで大事に抱えていた「不要不急」なものたちが、ゴッソリどこかへいってしまった。そのなかから、生の心、プリミティブな衝動が出てきた。

不要不急の人生だからといって、「死んでしまいたい」とは思わない。今回は、そういう後ろ向きな気持ちではない。なんとなく「なにをやらかしても、最悪死ねばいいよね?」という、ダメな意味で前向きな気持ちになっている。そういう気持ちが、言動の端々にも表れているようで、きょうもカウンセラーさんから「やけっぱちになってない?」と指摘された。

いままでは、こんな気持ちになったことはなかった。ちゃんとしたい。ちゃんと生きていたい。生をまっとうしたいと思い続けていたはずなのに、気づいたら「どうせ死ぬんだから!」みたいに、イヤな諦観におちいってしまっていた。

「不要不急」の持ち物がなくなって、失うものもなくなった気がしてしまう。罪を犯したいとか、人を害したいとか、いまはそういう気持ちはないけど、心境としては「無敵の人」に近い気がする。「失うものは我が身ひとつ」という感覚、世相にも振りまわされて、捨て鉢になりつつある。

おなじような気持ちになっている人、すくなくないんじゃないだろうか。とくに、無職や高齢者、寄る辺のない人間特有の気持ちではないかと思う。私は、結婚しててもこのありさまなので、単身者の方のお気持ちはいかばかりだろうか。どうかご自愛ください。

この、なんとも言えないイヤな感情、事態が落ち着かない限り、どうしようもないのだろうか。なんとかケアして、この感情に流されないようにしたい。この感情に流されると、絶対に悪い方向へ行ってしまう。

たとえば生活の乱れ。いたずらに他者を傷つける。犯罪。暴力。無秩序。倫理にもとる。そういうことに、つながりかねない。

とりあえず、私は聖書を読もう。あと、「妻に迷惑をかけない」これだけは守りたい。いちばん身近な他人であり、いちばん長くいっしょにいる妻に対してちゃんとしていられれば、とりあえずは大丈夫だろう。

はやく事態が収束してほしい。でないと、いつまでもこの感情、不要不急の刃によってあらわにされた生の心、プリミティブな衝動を、持て余すことになってしまう。

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