教室へ行けなかった私へ

04.じんせいのこと
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高三のころ、保健室登校になった。「保健室登校ってなに?」という人のために、かんたんに説明すると、学校には行けるんだけど、教室へ行けない、授業を受けられない、しかたなく保健室で時間をすごす、そんな状態のことである。

高校時代の思い出、ほとんどないのだが、高三のころ、保健室に入り浸っていたことだけは、ぼんやりと覚えている。

原因は、たぶんいろいろある。私が通っていた学校は、いわゆる進学校で、高校のカリキュラムは高2までですべて終わる。高3の時期は、すべて受験対策にあてられていた。当時の私は、文系の一般受験クラスで、センター試験、二次試験対策にいそしんでいた。

2ヶ月に一度くらい、なんらかの模擬試験がある。成績は、上がったり下がったり。志望校の合格判定は、毎回ギリギリで、気持ちが落ち着かない。学校が終わったあとも塾へ行き、サテライト授業を受けて、22時すぎに帰宅して、それから復習をする、そんな生活。

成績は、よくなかった。悪いわけではなかったが、当時の志望校のハードルを考えると、けっしてよくはなかった。とくに、数学が苦手だった。数学は、期末試験などでも、普通に赤点をとっていた。ちなみに、数学苦手はいまでもコンプレックスで、大人になったいまでも、三角関数がまったく理解できない。

そんなわけで、毎晩遅い時間まで、学校や塾の課題に取り組んでいた。もともと朝は強くないうえに、連日夜遅くまで受験対策をしていたせいで、本末転倒だが、朝起きて学校へ行くことが困難になった。

人間関係も、よくはなかった。悪くもなかったが、つねに違和感を覚えていた。高校時代のクラスメイトで、いまでも付き合いがある人、思い返せばひとりもいない。教室へ行けば、クラスメイトがいて、だれかしら話し相手はいる。虐めもなかった。だけど、特別親しい友人は、ひとりもいなかった。仲良しグループみたいなものにも、入れていなかった。なんとなく、居心地が悪かった。

これは私の思い込み、被害妄想かもしれないけど、教室のなかでは、悪い意味で浮いていた気がする。なんの根拠もない、いまとなっては確認しようもないけど、たぶん浮いていたと思う。中学・大学の同窓会にはいまでも呼ばれるが、高校の同窓会には一度も呼ばれたことがない。そういうことなんだろう。

もともと、あまり人とつるむほうではない。大人数でいると、気が疲れる。学校の教室、なんとなくヒエラルキーができるものだと思うが、そういうのを気にするのも、イヤだ。共学だったが、同級生の男子も女子も、なにを考えているのかわからないから、イヤだった。

読書が好きだったから、休み時間には、ひとりで本を読んでいたかった。読書に没入したいのに、休み時間の教室は、本を読むにはうるさすぎる。ときおり、クラスメイトから話しかけられることもあった。それが、いま読んでいる本の話題ならいいが、そうでないならイヤだった。

教師とも、おりあいがよくなかった。悪くはないが、よくもなかった。成績はそこそこよかったから、進学の選択肢はおおかったけど、教師が勧めてくるのは「身の丈に合った」無難な進路ばかりで、私の希望にかなうものではなかった。

私の希望進路、私自身はわかっていたかというと、それも定かではなかった。大学受験を意識しだすと、必然的にその先の人生も見えてくるが、当時の私は、ものを知らなさすぎて、なにも見えていなかった。文系のクセに、第一志望が工業大学だったし。よくワガママを言って、教師も困っていたと思う。

高校生のころは、「建築士になりたい」という、ハッキリとした夢を持っていた。しかしながら、高校へ入ってまもなく、数学が致命的にできないことが発覚し、やむをえず文系コースに進んだ。このころから、自分がなにになりたいのかが、わからなくなってきた。

高3のころは、「国家公務員になりたい」というあやふやな目標を持って、上位国立大の法学部を志望していた。しかし、いかんせん成績が伸びない。そうこうしているうちに、大学受験が現実味をおびてきて、理想と現実のギャップに、かなりまいってしまっていた。

そんなわけで、教室へ行くのがダルくなり、保健室登校になった。毎日、お昼ごろの電車に乗って高校へ行き、保健室で弁当を食べて、自習して、寝る。そんな毎日だった。保健室はいい。図書館で借りた本を読むのも、好きな科目の問題集を解くのも、休むのも自由だし、だれからも干渉されない。

しかしながら、私の高校では、保健室登校は「欠席」とみなされていた。というか、完全に単位制だったので、登校してても、授業を休めば単位を落とすし、単位が足りないと留年もする。そんなこととはつゆ知らず、なんとなく保健室のベッドの上で、本を読んだり、問題集を解いたりしていた。

私が通っていた学校の保健室には、たしか4床ほどのベッドがあったが、うち3床は、私とおなじ保健室登校の生徒で、常時埋まっていた。ベッドとベッドとのあいだは、カーテンで区切られていて、姿かたちは見えない。たぶん、いつもおなじ生徒がいたのだろうが、お互いに学年も、クラスも、名前も知らない。

たまに、保健室から教室へ、授業を受けに行った。文系科目は得意だったから、よくサボった。逆に、理数系科目は苦手だったから、ちゃんと出席していた。クラスメイトとは、なんとなく疎遠になっていたが、授業中は授業に集中していればよかったし、授業が終われば、またすぐ保健室へ帰るから、べつに気にならなかった。

2学期の終わりごろ、進路決定のための三者面談があった。母が、仕事を休んで来てくれた。進路指導室で、担任と母と私、3人で話をした。そこで、担任教師から「このままだと、大学進学以前に、留年します」という話をされた。要するに、出席日数が足りていないという話なのだが、最悪だった。

担任教師によると、各科目の出席日数が2/3以上に満たないと、留年するらしい。いまは当落選上だから、「これからは毎日、全科目出席して」そう念を押されて、三者面談は終わった。進路の話は出なかった。母からは、こっぴどく叱られた。

それからは、毎日朝起きて、教室へ行った。授業は退屈だったし、課題も面倒だったし、疲れて塾へ行けなくなったし、模試の成績はさらに下がっていったし、あいかわらず教室の居心地は悪かったが、卒業できなければ元も子もないと思い、毎日がんばって教室へ行った。

やはり、教室に居場所はなかった。なかった気がする。本当は、ひとりで本を読んだりしていたかったけど、クラスメイトがだれかしら話しかけて「くれる」。いちいちとなりのクラスから来て、いっしょに弁当を食べにきて「くれる」友人もいたが、なんとなくかみ合わない。自分の居場所はここじゃない感じがして、居心地は悪いままだった。

心の底から「保健室へ帰りたいなあ」と思っていた。保健室の養護教諭は、わりと不干渉な人だったので、保健室ならひとりになれる。保健室なら、自分の好きなようにすごせる。なのに、教室にいると、授業を受けたり、指定の課題を解いたり、なにより、クラスメイトと関わらなきゃいけない。

いま思い返せば、虐めがなかったのは、本当に幸いだった。いや、悪い意味で浮いていた、陰口くらいは叩かれていたのかもしれないけど。殴られたり、露骨に嘲笑されたり、悪口を言われたり、ものを盗られたりはしなかった。ほんとうによかった。クラスメイトは、みんな優しかった。

ただ、クラスメイトの「優しさ」が、つらかった。私は、ひとりぼっちでもぜんぜん構わないのに、ひとりぼっちにさせない、させてはいけない空気が、本当につらかった。彼らにとって私は、クラスで飼ってるハムスターのような、「みんなで世話をしましょう」みたいな存在なんじゃないか。そう思うと、いっそうみじめになった。

かたちばかりで仲よくされると、余計な気を使われているようで、自尊心が傷つけられる。かといって、無視・虐めはイヤだが。ワガママだが、いい感じにほうっておいてほしかった。「浮いている」のではなく、「一匹狼」的なキャラがよかった。塩梅がむずかしいところだが。

3学期は皆勤賞で、出席日数はなんとかクリアした。しかし、一難去ってまた一難、3学期の期末、数ⅡBのテストで0点をとってしまい、再試になった。再試も赤点をとってしまい、数学教師から試験問題と回答を渡され、「コレを暗記するだけでいい、頼む」と言われて、一夜漬けの再々試で、なんとか合格した。

そんなこんなで、なんとか留年は回避した。しかし、単位と留年のことばかり考えていたので、肝心の進路が決まっていなかった。直近の模試の成績からして、第一志望の大学には、まったく受かりそうになかった。

大学入試に際して、両親から「国公立のみ、浪人不可」という条件がもうけられていたにもかかわらず、センター試験で爆死したり、そこからあわてて進路変更したりもしたが、最終的に近所の公立大へ入学できた。よかった。

卒業式の思い出も、あまりない。3月の終わりごろ、私の地元ではまだ雪の降る時期で、「寒いし、はやく帰りたいなあ」と思っていた気がする。卒業式が終わると、クラスメイトはおのおの誘いあって食事へ行ったりしていたが、私はだれからも声をかけられることなく、ひとりで家に帰った。やっぱりこれが、私と彼らとの距離感なんだと思った。

学校には、行かなくちゃいけない。授業にも、出なくちゃいけない。いろいろ理由はあるだろうが、私の場合は「留年はイヤだ」という、きわめて後ろ向きなモチベーションで行っていた。あと、ウチの両親は授業料を払ってくれていたから、授業に出ないと、それが丸損だろう。

ただ、教室へ行くのが、どうしてもイヤだった。これは、思春期特有の自意識なのかもしれないけど、どうしてもみんなに馴染めない。みんなの輪に混ざれない。みんなのなかにとけ込めない自分が、イヤだった。べつに、みんなと仲良くしたくない、孤立したい、ひとりで本を読んでいたいと思う。だけど、みんなから浮いている、孤立している自分を俯瞰するのは、とてもイヤだ。ワガママな話だけど。

教室のなかにいると、自分が浮いていること、孤立していることを、まざまざと思い知らされる。教室で、ひとり本を読んでいて、クラスメイトから声をかけられたとき。教室でクラスメイトと談笑していても、仲がいいのは「自分以外」で、そこに自分のイスはないんじゃないか。自分以外はみんな仲良しで、自分は仲間に入れて「もらっている」だけなんじゃないか。

高校のクラスメイトは、みんな優しかった。「孤立を許さない」「みんな仲良く」そんなことを思っていたから、たまにしか教室へ来なかった私、教室に居場所を持たない私のために、イスを用意してくれていたんだろう。ありがたい話である。

ただ、こういうイスって、たいてい座り心地がよくないんだよなあ。他人様が作って「くださった」規格のイスに、自分の身体をムリヤリ押し込めるような窮屈さ。当時感じていた「居心地の悪さ」も、きっとこの窮屈さが原因なんだと思う。

私のイス、私の居場所は、クラスメイトのみなさん、他人様がつくってくださったものだから、他人様の気持ちひとつで、キレイになくなってしまう。高校の卒業式のこと、高校時代の友人がいないこと、いまでもすこし寂しく思う。自分がそこに居場所をつくれなかったのだから、仕方がないことだが。

高校時代の私の姿、みじめとまでは言わないけれど、すこしみっともなかったと思う。保健室登校が悪いとか、そういうわけじゃないけど、ひとりでいたい、孤立したいのなら、ちゃんと孤立すればよかったのだ。

ヘンにまわりの様子をうかがって、「浮いている」みたいに体面を気にして、他人様に気を使わせて、おあつらえむけな居場所を用意させておきながら、それにも「居心地が悪い」などと文句を言う。わがことながら、いったい何様なのか。

「教室に居場所がない」って、作ろうともしていないのだから、当たり前だろう。教室で、ひとり本を読んでいるつもりでも、じつは他人の視線を、人からどう見られるかを気にしている。「クラスメイトから話しかけられるのがイヤ」と言いつつ、じつは話しかけられることにまんざらでもなかったんじゃないのか。

自分の居場所は、自分で作るものだ。「居場所をつくる」と言うと、大げさに聞こえるが、べつになんの努力も工夫も必要ない。他人からどう見られようと気にせず、教室のイスでひとり、黙って本を読んでいれば、そこが私の居場所になったはずだ。なのに、ヘンに他人を気にしてしまって、足もとがガタガタになってしまっていた。

当時の私に言いたいこと、孤立するならちゃんと孤立しろ、孤立を守れ、そういうことが言いたい。孤立は悪いことではない。自分が孤立したいなら、進んで孤立すればいい。孤立したって、他者と関わりを持たなくたって、すくなくとも自分が座っている教室のイスだけは、自分の居場所になっていたはずだ。

まあ、当時は気の置けない友人がいなくて、本当に寂しかったのかもしれないが……ただ、クラスメイトの「優しさ」に、後ろ足で砂をかけているのは私自身なのだから、高校で友人ができなかったことについては、なにを言う資格もないだろう。

教室に限らず、なんとなくその場に「居心地の悪さ」を感じること、私はよくある。そういうときは、たいてい他人を意識しすぎていることが多い。「浮いてないだろうか」「ぼっちになりたくない」そういうことを考えてしまうから、居心地の悪さをおぼえていたんだと思う。

極論だが、浮いてもいいし、ぼっちになってもよかったんだろう。「ここが私の居場所」と決めてしまえば、すくなくとも自分の足もとだけは、自分の居場所になる。それだけでいいと思う。

「みんな仲良く」できたらいいが、そうでない場合も、そうしたくない人も、たくさんいる。そういうときに「孤立は許さない」という態度をとってしまうと、居心地が悪くなったり、逆に排除的になってしまう。

「積極的に孤立しろ」とは言わないが、かといって、ムリにスクラムを組む必要もない。学校だろうが会社だろうがなんだろうが、合わない人・合わない環境はたくさんある。窮屈なイスに、ムリヤリ身体をねじ込む必要はない。それよりも、自分の身体に合ったイスを、自分ひとりで作ったほうがいい。

高校生で、保健室登校だったころ、きっと教室のイスは窮屈で、保健室のベッドは自由だったんだろう。ただ、教室のイスが窮屈だった原因は、教師やクラスメイトだけにあるわけじゃない。なんの工夫もしなかった、他人の目ばかり気にしていた、自分自身にもあると思う。

当時の私、口では「孤立したい」とか言いながら、どっかでクラスメイトに期待してたんじゃないのか。「孤立したい」とか言いながら、じつは仲良くしたかったのかもしれない。中途半端で煮え切らない態度、人間臭くてイイネ! と思う反面、やはりダサいし、みっともない。

17歳のころの私へ。孤立するならちゃんと孤立しろ。自分のイスは、自分でつくれ。

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