日記のこと

04.じんせいのこと
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以前も似たようなことを書いた気がするが、もう頭がボロボロなので、また書く。

noteにだけど、ずっと日記をつけている。ずっとと言っても、まだ半年弱だが、私はマジで根気がないので、これでも長続きしているほうである。

禁煙しようと思い立った日に始めたから、「禁煙日記」というタイトルをつけた。しっかり禁煙できていたのは、はじめの数ヶ月くらい。あとはタバコを吸ったり吸わなかったりの繰り返しで、我ながらなにが「禁煙日記」なのかと思うけど……。

日記をつけ始めてからしばらくして、睡眠の不調に襲われたこともあり、いまは睡眠がメインのトピックになっている。やはりなにが「禁煙日記」なのかという感じだが……。

ともあれ、日記は続いている。ウェブにアップロードするということで、いろいろと書けないことも多いけど。たとえば妻と揉めた、人と会った、カウンセリングの内容、大事な行事に出たなど。そういう、あまりにも私的なことは書けない。

しかし、ウェブにアップロードするという、一種のノルマみたいなものを課すことで、かろうじて更新が続いている面もあるので、一概によし悪しは言えない。

日記をつけていると、さまざまな効用がある。ひとつ。日記をつけると、自分の身の上に起こったことを、すぐに自分の外に出すことができる。たとえば、イヤなことがあったとき。すぐ人に話すなどして、発散できればいいけど、孤独深まる現代社会において、悩みを打ち明けられる相手はなかなか見つからない。

そうすると、イヤなことはイヤなこととして、ずっと自分の心のなかに居座ることになる。これを放置しておくのは、非常によくない。心のなかのイヤなことを放置しておくと、たとえばトラウマやコンプレックスなど、ダメなかたちへ姿を変えることがある。そういうときに役に立つのが、日記である。

毎日の日記をつけるということは、その日に起きたことの棚卸しをすることだと思う。これはこうでしたね、あれはああでしたね。その日に起きたできごとや、経験したことを、ひとつひとつ整理していく。そうすると、イヤなこともそのひとつとして整理されて、翌日以降へ持ち越さないで済む。

また、日記として書き出すことで、自分に起こったことを「他人事」として、客観的にとらえることもできる。テキストに起こす過程で、思考は整理される。書き出された文章は、自分のことのようで、自分のことではないように感じられる。

ふたつ。自分のメンタルチェックができるようになる。たとえば、私の場合、双極性障害(躁うつ病)という精神障害を持っている。双極性障害、アッパーな気分になる躁状態と、逆にダウナーな気分になるうつ状態とを繰り返す。気分の変化を、毎日の日記に記録している。それをたまに読み返すと「こういうときに、うつ状態に入りやすい」「こういうときに、躁状態に入りやすい」という傾向が、なんとなく見えてくる。

そうやって、自分の調子をモニタリングしていくと、自分のメンタルのクセというか、気分のサイクルみたいなものが明らかになってくる。そうすれば、調子を崩す前兆に気づきやすくなるし、調子を崩したときの対処もしやすくなる。

これは、双極性障害に限った話ではない。その他の疾患とか、季節性のうつとか、健常者にしてもそうである。天気が悪い日は調子が出ない。気圧が下がったから調子が出ない。寒すぎて調子が出ない。不調の話ばかりで恐縮だけど、自分の好不調の理由が見えてくることがある。

毎日の状態を記録すること、文学的な日記ではないのかもしれないが、日々を記すことにはなんら変わりない。天気、気温、気圧、湿度など、定量的な数字を毎日記録するだけでも、大いに意味はあると思う。

みっつ。日記をつけることで、自分の生活を連続的に把握できるようになる。おそらくだが、みなさん毎日とても忙しい。日々を振り返る余裕なんてないだろう。昨日なにが起こったとか、1週間前になにを食べたとか、そんなこといちいち覚えていられないはずだ。

しかし、一日の終わりに少しだけ立ち止まって、日記をつけてほしい。できれば、数日ぶん読み返してほしい。もしかしたらそこに、今日の幸福のヒントが隠されているかもしれないし、今日の不幸の糸口をみいだせるかもしれない。

当たり前の話だが、人間は連続する時間を生きている。昨日が終わり、今日が来て、今日が終わり、明日が来る。これは、みんなおなじだ。しかしながら、我々の認識のうえではどうだろう? 昨日のことを、ちゃんと覚えているか? 今日のことを、ないがしろにしていないか?

日記をつければ、今日起こったことが、文章として記録される。それを明日読み返すことで、明日の生活の糧となるかもしれない。もしかしたら、なんの役にも立たないかもしれないけど……少なくとも、あなたの人生は、ひとつの連続した物語であるということだけは教えてくれる。

よっつ。日記を書くことで、日々のくらしの尊さを再確認することができる。ある日の早朝のこと、私は浴室のカビ取りをしていた。カビキラーを浴室中に撒いて、時間を置き、そしてシャワーで流す。それが終わったあと、ほの暗い浴室から出るときに、ふと振り返ると、浴室の明かりとりの窓から、朝の光があふれんばかりに差し込んでいた。

あまりの美しさに感動して、それを日記に書いた。以来、生活のささいなことでも、日記に書くようにしている。それを読み返すたび、その場面が思い出されて、神妙な気持ちになる。

私の日記、ウェブで公開しているものと、そうでないものも実はあるのだが、生活のキラキラしたものであふれている。自分で作ったご飯が美味しかったとか、その日の妻がキレイだったとか、よく眠れたとか、ランチで入ったお店が当たりだったとか、今日は一銭も使わなかったとか、どうでもいいことだが、私にとっては大切なものであふれている。

私は特に収集癖はないけど、こういう生活のささいなできごとは、これからも集めていきたいし、大切にしていきたい。そのために、日記をつけている。日記は、私の宝箱みたいなものだと思っている。

いつつ。日記をつけることで、一日にピリオドを打てる。これは、べつに日記じゃなくてもいい。たとえば、一日の終わりに風呂に入る。煙草を吸う。ビールを一缶飲む。10分間読書をする。なんでもいいけど、一日を総括するという意味でも、日記がいちばんふさわしいと思う。

なぜ、一日にピリオドが必要か。人生という物語に起承転結をつけるため。日々にメリハリをつけるため。のんべんだらりとした生活を送らないため。いろいろ理由はあるが、いちばんは「休むため」だと思う。

その日に起こったことを、全部自分の肩から下ろし、一日に終わりを告げて、休息に入る。今日起こったことで、クヨクヨ悩まない。もう全部済んだことだ。明日は、明日の自分が頑張ってくれる。そういうルーチンを作ることで、しっかりと休息をとることができるようになる。

日記を「書き終える」という作業も、ピリオドとして非常にいい。その日に「マル」を打って、日記帳やパソコンを閉じて、ベッドに入って眠る。この一連の流れが、とても大切なんだと思う。

日記をつけて悪いこと、ひとつもないと思う。しいて言うなら、習慣にすること、継続するのは大変だということだが、べつに気が向いたときだけ書くのでもいいと思う。紙とペン、パソコンあるいはスマホがあれば、いつでも日記を始められる。イニシャルコストはゼロ。ランニングコストも、ちょっとした手間くらいだ。

今日からでも、日記を始めてほしい。人間、いつか死ぬことを思えば、一日一日はとても貴重だ。一日をもっとよく見つめて、記録していってほしい。そうすることで、人の生活はより豊かになると信じている。

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