よき生活者でありたい

04.じんせいのこと
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私の人生の指標であり、キャッチフレーズである。

そもそも「生活者」とはなにか。「生活者」という言葉には、さまざまな定義があるが、私としては「日々の暮らしを営む人」という表現が、いちばんしっくりくる。

社会という、さまざまな主体が相互に作用する場において、一個の主体として生活する者。多様な価値観のなかで、自己の価値観をたしかに持って生活する者。それが「生活者」だと思う。

では、「よき生活者」とはなにか。私のなかでは、いちおう答えが出ている。宮沢賢治『雨ニモマケズ』に描かれた人の姿である。

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋(いか)ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

私は、身体も心も、決して丈夫ではない。雨にも負ければ、風にも負ける。雪にも、夏の暑さにも負ける。決して強くはない。

べつに、質素でつましい生活を望むつもりもない。私はまだ35歳だし、まだまだなにかをしたいという気持ちはある。お金も、欲しいか欲しくないかで言えば、圧倒的に欲しい。

いつも静かに笑ってもいない。よく怒る。私は、もともと感情の起伏が大きい。そのうえ、双極性障害(躁うつ病)という精神障害を持っていて、なおさら感情が上下しやすい。

私心・我欲も強い。あらゆることに、自分の勘定を持ち込んでしまう。人が得をしているのを見ると、まるで自分が損をしたかのように感じてしまう。それくらい浅ましいし、いやしい。

物わかりも、悪い。だいたい、人の話をちゃんと聞いていないし、聞いていてもすぐ忘れる。SNSなどをやっていても、書かれていないことを読みとって、怒ったりしている。

人のために東奔西走することも、しない。今の私には、そんな余裕はない。自分のことで手一杯で、他の人にかまけている場合ではない。

だからこそ、『雨ニモマケズ』のように生きられたらと思う。

困ったことがあったら、素直に涙を流して、オロオロする。情けない姿かもしれないが、身の丈に合わないことは、決してしない。人から悪く言われてもいいから、分相応の生活をする。ほめられなくても、不満を持たない。他人に迷惑をかけない。

そのうえで、病気の人、疲れた人、死にそうな人、争う人、つまり「社会」のために、なにかできればと思う。

「生活者」というのは、つまり社会にある人の姿である。では、それが「よく」あるにはどうすればいいか。まずは、個人がちゃんとすること。生活の基盤と規範を持ち、ちゃんと暮らしを営んでいくことだと思う。

『雨ニモマケズ』でも、ちゃんと小さな萱ぶきの小屋に住んでいるし、毎日ちゃんと玄米4合と味噌と少しの野菜を食べている。自分の生活を、ちゃんとすること。人助けだなんだは、その次のステップだ。

中国の古典にも「恒産(安定した生計)なき者に恒心(正しい心)なし」と言う。また「衣食足りて礼節を知る」とも言う。なにはともあれ、まずは自分がちゃんとしなくてはならない。

なので、欲を否定するつもりはない。欲は、人にとって大きなモチベーションになる。ただ、度を越した欲は他者を傷つけたり、我が身を滅ぼしたりする。

怒りを否定するつもりもない。生活のなかには、怒りが必要な場面もある。ただ、怒るときは、常に慎重にならなければならない。怒りは、他者にとっても自分にとっても、大きな負担になる。

なにごとも程度が大事で、まずは自分がちゃんと暮らしていけるだけの足場、生活の基盤と規範を築くこと。それに満足したら、今度は人のために、なにかをすればよい。

今の私は、「よき生活者」の模範である『雨ニモマケズ』のスタート地点にすら立てていない。心身は弱い、欲深い、心静かでない、安定した収入もない、全然ダメだ。

まずは、自分の暮らしを、早く立て直したい。「丈夫ナカラダ」は、もうちょっとむずかしいな。しかし、安定した収入を得て、生活の規範を持ち、毎日を暮らしていきたい。

自分の暮らしに満足できるようになったら、ようやく人のために東奔西走できる。生活者として社会に生きている以上、人との関わりは避けられない。どうせ関わるなら、よい関わり方をしたい。

「社会貢献したい!」とか「社会問題を解決したい!」とか、そんな大それた望みはない。ただ、家族や友人、同僚や知人といった、小さな社会のなかだけでいいから、よくありたい。いい相互作用をもたらす人でありたい。

社会のなかにいる私たちは、みな「生活者」として、日々の暮らしを営んでいる。どうせおなじ社会で暮らしを営むなら、そのなかで「よく」ありたいと思う。

『雨ニモマケズ』のころとは、時代も社会背景も、なにもかもが違う。宮沢賢治のように、私欲なく朴訥と、とはいかないかもしれないけど、現代的な「よき生活者」の姿を探して、目指していきたい。

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