はじめての上司のこと

04.じんせいのこと
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22歳で大学を卒業してから、そのまま新卒で就職した。SNSでさんざん書き散らしているとおり、東証一部上場企業、業種は銀行。

内定式に遅刻する、入社式にも遅刻するなど、はじめから小さなアクシデントはあった。しかし、無事に辞令を拝受し、会社員生活が始まった。

はじめて赴任したのは、某県の工業都市にあった、大きな支店。入社して最初の1年はOJT(On the Job Training)で、主に内勤のおばさま方から蝶よ花よとかわいがられて、安穏と仕事をしていた。

2年目に入るころ、いきなり「明日から営業に出ろ」と言われた。そんなこと言われても、営業の仕事なんて、まったくわからない。営業の上司(K課長)からは、「はじめの3ヶ月は、なにもしなくてもいい」と言われた。

このK課長、社内では、ちょっとした有名人だった。とにかく厳しい人で、若手だろうが中堅だろうが、果ては自分の上席にすら、厳しく当たる。その指導に耐えられず退職した営業は数知れない、なんて話もあった。

そのほか、学生時代・若手時代のエピソードなども、人づてに聞いた。ここには書けないほど凄惨な内容ばかりで、私は震え上がってしまった。

ともあれ、「3ヶ月なにもしなくてもいい」と言われたのはラッキーだった。客先をプラプラ回ってルーチンワークを片付けつつ雑談したり、営業車を走らせて道を覚えたりしていたら、あっというまに3ヶ月が過ぎた。

3ヶ月たった初日に、K課長から「数字(営業の目標)はどうなってる」と聞かれた。どうなってるもなにも、「なにもしなくてもいい」と言われていて、実際なにもしてなかったわけだから、どうにかなっているはずがない。「特にないです」そう答えると、顔面にカルトン(現金や帳票の授受に使う、プラスチックの皿)が飛んできた。

「1週間以内に、融資1千万取ってこい」K課長から、そう言われた。そうは言われても、3ヶ月なにもしてこなかったので、やり方もなにもわからない。

K課長からは、毎日バキバキに詰められる。そんな私のことを見かねたのか、中堅社員の先輩がヒントをくださったり、お客様の助けもあったりして、なんとか1週間で1千万のノルマをクリアすることができた。よかった。

「やればできるじゃねえか、なんではじめからやらねえんだよ」K課長は、私の椅子の脚を蹴りながら、そう言った。そもそも「はじめはなにもしなくてもいい」って言ったじゃないか。しかし、口ごたえはできず、素直に「すみません……」と答えた。

その後も、K課長の厳しい指導は続いた。カルトンや書類束を投げつけられる、ゴミ箱や椅子を蹴られるなんてことは日常茶飯事で、数字が足りてないときには「いつまでにいくらやれ」みたいなムチャぶりが飛んでくることも、頻繁にあった。

私は、定期預金の勧誘が苦手で、普段からなんとなく定期を避けてしまっていた。ある日、それがK課長にバレて「定期を4日で4千万集めろ、死ぬ気でやれ」と言われた。決してムリな数字ではないのだが、いかんせん苦手な仕事である。サボってきたツケもあり、持っている畑(お客さまのこと)も少ない。

4日目の夕方、K課長から「定期、どうだ」と聞かれた。一生懸命頑張ったのだが、最終的には3,950万円。あと一歩という結果だった。K課長からは「死ぬ気でやれって言ったよな、なんで死んでねえんだよ」と激怒され、マジで情けなくて死にたくなった。

銀行の営業マンにとって、避けては通れないもののひとつが、ゴルフである。まったく、日本の中小企業の社長というのはゴルフが好きで、やれ社内外のコンペだ、接待だ、カジュアルな遊びだで、頻繁にゴルフをする。

私はといえば、父と一緒にゴルフ練習場へ行ったことはあるが、コースをまわった経験は、一度もない。ズブの素人である。さらに悪いことに、K課長は、元ゴルフ部だった。社のコンペが近づいたころ、K課長から「朝6時に、近所の練習場へ来い」と命ぜられ、是非もなく、早朝ゴルフレッスンが始まった。

K課長のゴルフレッスンは、かなり厳しいものだった。とりあえず、毎朝6時に練習場へ行くのがキツい。毎日仕事でクタクタなのに、そこから早起きするのは、本当にキツい。さらに、レッスン中は怒号が飛ぶ。ゴルフボールを投げつけられる。ゴルフクラブでケツを叩かれる。散々な目にあった。

しかし、その甲斐あって、初コンペ初ラウンドながら、そこそこのスコアで回ることができたし、一緒にまわった社長たちからもほめられた。めでたしめでたし。だが、K課長は、私のスコアにご不満だったようだ。早朝ゴルフレッスンは、コンペ後もしばらく続けられた。

銀行員の、特に営業マンの評価は、営業成績がすべてである。目標を達成できないと、ボーナスも低くなる。とある期末近くのこと。その期、私の支店は大変苦戦しており、営業目標の達成率も低かった。支店内には、敗戦ムードが流れていた。

K課長は、営業マンを会議室に集め「俺たちが数字を作らなければならない。『できる』『できない』は考えるな。『やる』ことだけを考えろ」と叱咤激励した。部下には適切な指示を飛ばし、そして自分でも足を使って数字を立てていった。そして、敗戦ムードを巻き返し、支店の営業目標を達成してしまった。

K課長、厳しいばかりの人ではない。当時の私はまだ若手だったので、よくミスをして、取引先と揉めていた。取引先と揉めたとき、K課長は、何度となく交渉や謝罪に付き合ってくれた。営業車でふたりきりになったときのK課長は、普段とはうってかわって、穏和な態度で仕事の指導をしてくれた。

とある取引先と揉めて、交渉へ行ったときの話。このときも、K課長にご同行いただいたのだが、話がこじれてしまった。最終的には取引先から「警察を呼ぶぞ」と言われてしまったのだが、それに対してK課長は「呼んでみろ、恥をかくのはテメェだぞ」と怒鳴り返していた。かなり漢気のある人だった。

K課長にお仕えしていたあいだは、毎日緊張の糸が張り詰めていたような感じだったけど、毎日が楽しかった。毎日毎日、怒られたり叱られたり蹴られたりするのは、たしかにつらかった。しかし、そうすることで自分の殻が破られていく、自分が成長していくように感じていた。実際、仕事の幅は、日々劇的に広がっていった。

3年目も終わりに差しかかるころ、K課長が異動することになってしまった。あまりにも寂しく、送別会では、帰るまで号泣していた。そのあと私は、うつ症状で心身の不調をきたすことになる。K課長がいなくなって、私のなかで張り詰めていた糸が、切れてしまったのかもしれない。

今思い返すと、K課長からは毎日パワハラまがいの、というかパワハラそのものの指導を受けていた。今思い返しても、つらい。それでも、K課長は、私の人生の恩師である。仕事の流儀作法を、まさしく「身をもって」教えてくれた人だし、K課長に叩き込まれた営業マンとしてのマインドは、今でも私のなかに生きている。

暴力じみた仕打ちも多数受けており、それらをすべてよしとするわけではない。しかし、私にとっては、素晴らしい師だった。厳しいけれど、愛のある人だった。怒声や罵倒すら、今は懐かしく、そして優しく思える。きっと、いい上司だったのだろう。

私は陰湿なので、いまだに新卒の銀行の人事異動をチェックしている。先日の人事異動で、K課長が昇進されたらしい。本当は、花でも贈りたいけど、私はドロップアウトした身だし、会社には後ろ足で砂をかけているので、そんなことをする資格もない。

だからせめてこの場を借りて、過去の指導のお礼と、ご昇進のお祝いを申し上げたい。K課長、支店長ご就任、本当におめでとうございます。今後ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

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