私と妻と双極性障害

03.精神障害のこと
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私が双極性障害になったのは、約10年前のこと。当時は、新卒の会社でバリバリと働いていた。しかし、ちょっと度を超えたようで、水がコップからあふれるように、ある日突然精神障害になった。

「双極性障害」という精神障害、あまり聞きなれないかもしれないので、簡単に説明したい。古い呼び名は「躁うつ病」要するに、気分がアッパーになる「躁状態」と、逆にダウナーになる「うつ状態」を、周期的に繰り返す精神障害である。

私の場合は、だが、躁状態になると、「なんでもできる」という全能感、「なにかしなければ」という焦燥感、「なにかしたい」という欲求に支配されて、突拍子もないことをしてしまう。

以前は、そういう欲求を、すべて創作表現にぶつけていた。と言うと、カッコよく聞こえるかもしれない。だが実際は、ゴミみたいな小説もどきを書きつらねて、出版社の新人賞へ送っていただけだ。

出版社の新人賞、とても狭き門だし、私の作品はといえば、躁状態の勢いにまかせて書きなぐったゴミなので、芽が出るはずもない。

しかし、一時は「どうして私の小説が評価されないんだ!」と憤慨し、「私の本を並べない本屋なんてクソだ!」とまで思い詰めて(そもそも出版されていないのだが)、近所の本屋に火をつけようとしたことがある。それくらい、頭がおかしくなってしまう。

逆に、うつ状態になると、身体を動かすことすら困難になる。身体が動かせないうちはまだいいのだが、ヘタに身体が動くようになると、こんどは自殺にはしる。

「死にたい」という欲求、自殺願望、希死念慮というものが、とても厄介だ。うつ状態になると、もう「死ぬこと」で、頭がいっぱいになってしまう。

べつに、日ごろから「死にたい」と思っているわけではない。毎日それなりに楽しいことがあるし、基本的には明るく生きていたい。だけど、うつ状態になると、死ぬことで頭がいっぱいになってしまう。

過去に3度、自殺を図ったことがある。はじめて自殺を図ったのは、たしか2011年の春ごろ。会社の寮の自室のベッドに、腰をおろしていた。西側の窓からあふれる夕日がキレイすぎて、急に死にたくなって、手持ちの向精神薬を致死量まで飲んだ。そのときは、運よく助かった。ラッキー。でも、こりずに2度目、3度目にトライしてしまった。

躁状態にせよ、うつ状態にせよ、最近は、ごく落ち着いている。たまに気分の上がり下がりがあるものの、以前のように人様に迷惑をかけたり、自分を痛めつけるようなことはしていない。

双極性障害は、治療のために、とてもとても長い時間がかかる。一度寛解した(治った)と思っても、再発することはよくあることだ。寛解と再発、それが一生続く場合もある。

はじめはきっと、双極性障害とケンカばかりしていたんだろうと思う。毎日バチバチにやり合って、振り回されて、消耗して、まるで手のかかる恋人みたいなものだった。

最近は、まるで夫婦か親子みたいというか、たまにぶつかることもあるけれど、なんとなくなだめたりすかしたりして、お互いうまくやれている気がする。いや、精神障害に対して「お互い」っていうのは、ヘンかもしれないけど。

3年ほど前に、妻と結婚した。妻には、交際するときから、自分の障害のことを打ち明けていた。妻も、「わたしは気にしないよ」と言ってくれていた。

「気にしないよ」たんに交際しているあいだは、それでよかったのかもしれない。しかし、これが結婚して、暮らしをともにするとなると、話は変わってくる。

私は、双極性障害のラピッドサイクラー(頻繁に気分が変わる患者)だから、日ごと、時間ごとに、気分がガラッと変わる。ある日は一日寝込んでいたと思ったら、翌日は徹夜で遊びに出かけたりする。

私は、それまでもそんな暮らしを送っていて、結婚後もそんな暮らしを続けていた。しかし、きっと妻は辟易していたのだろう。結婚して、半年も経たないころ、ささいなことで大きなケンカになった。

そのときは、数日の冷戦状態を経て、無事仲直りをした。だが、その時期をを境に、妻とのケンカが絶えなくなった。きっかけは、毎回ちょっとしたこと。なのに、ちょっとしたことで、お互い大炎上してしまう。そんな毎日。

一昨年、双極性障害が悪化して、勤めていた会社をやめた。いい会社だった。一生勤めあげたいと思っていたが、やめざるをえなかった。

それから、しばらくは酒浸りの日々。妻といっしょに暮らしているのに、お酒を飲んで寝るだけの毎日で、会話もない。まるで、いっしょに暮らしていないような生活を送っていた。

一昨年の年末ごろ、妻から過量飲酒についてたしなめられて、禁酒をはじめた。そうしたら、こんどはキツめのうつ状態におちいって、憂鬱や希死念慮に悩まされる生活になった。

ある日、うつ状態がひどくて、ベッド寝込んでいたとき、突然台所から大きな物音がし出した。強いストレスを感じて、台所の様子を見に行く。そこで妻が、クッキーの生地をこねていた。

あまりにもうるさく、あまりにも耳障りで、あまりにも頭にきたので、私のほうを振り返った妻とは目も合わさず、黙って家を飛び出した。そのあと妻も、家を飛び出したらしかった。

友人宅に転がり込んで、そして妻のことを考えていた。やっぱり「気にしないよ」じゃダメなんだ。あの人とはいっしょに生きていけないかもしれない。そんなことを考えていた。

あとで妻から聞いた話だと、ロクに食事もしていなかった私を元気づけようと、クッキーを焼くつもりだったらしい。いまでこそ「クッキー事件」なんて笑い話にしている。だけど、ことの最中は本気で離婚も考えていたし、笑いごとではない。

「クッキー事件」があってから、お互いにもっと障害について知ろうという話になった。どういう状態になったら、どう対処すべきか。こういうときには、どうしてほしいか。

家庭内での取り決め、私の取り扱い方みたいなものを定めた結果、ケンカの回数は、劇的に減った。それまでの衝突や軋轢がウソみたいに消えて、家庭円満になった。

私には、まず「私」という人格があるとして。双極性障害は、私の第二の人格みたいなものなんだろう。妻に対して「私」は見せていたし、「私」とはコミュニケーションもとれていた。しかし、双極性障害については、十分に見せない・知らせないままだった。それで妻を振り回して、傷つけてしまった。

私も私で、「クッキー事件」までは、双極性障害のことをちゃんとわかっていなかった。双極性障害さんとは10年近い付き合いになる。なのに、「なんとなく気分が上がったり下がったりする」「薬を飲んでればだいたいOK」それくらいにしか考えてなかった。

それに、妻のこともよくわかってなかった。どんな人か。どんなことをするのか。どんなものが好きか。どんなときに喜ぶのか。どんなときに怒るのか。4年間も付き合っていたのに、ぜんぜんわかっていなかった。

今は、妻と双極性障害、どちらも人生の伴侶だと思って生活している。どちらとも、長い付き合いだ。きっとこれからも、ずっと付き合っていくんだろう。

「クッキー事件」があってから、妻のこと、そして双極性障害のことを、もっと知ろうと思うようになった。妻も双極性障害も、もっとも身近な他人のようなものだ。もっと知りたいし、親しくなりたい。

妻と双極性障害を並べておくと、妻には叱られるかもしれない。でも、妻とおなじくらい、双極性障害のことも大事にしたい。精神障害を大事にするっていうのもヘンかもしれないけど、大切にしたい。

双極性障害、私にとっては、自分のなかにいる「だだっ子」みたいなものだ。ときどきひどく暴れたり、疲れさせたりしてくる。とにかく手のかかる子どもだけど、それも私の一部なのだから、ていねいにあつかって、かわいがってあげたい。

双極性障害になったときは、「私の人生、もう終わりだ」と思った。正直、絶望しかなかった。だけどいまは、人生の伴走者が増えたみたいで、うれしい。普通だったら、結婚して、ヒトの子どもが生まれて、みたいな感じなんだろう。だけど、私は私のなかに、すでにひとり子どもを持っている。大変に手のかかる子どもだが。

そして、今は妻もいっしょになって、その子の面倒をみてくれている。わがことながら、子育てとはこういう感じなのだろうかと、妄想したりもする。まるで家族のような双極性障害、私と妻と双極性障害の暮らしが、これからも無事に続いていくといい。

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