「自分の薬」はつくれるのか

02.メンタルヘルスのこと
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双極性障害(躁うつ病)を持つ作家さんのnoteが、話題である。私も、双極性障害を持つ一当事者として、話題のnoteを読んだ。

とても興味深い内容だったけど、最終的には「この人は、こうなんだな」以上の感想が出てこなかった。というか、この記事にたくさんの「スキ」が集まっている状況には、危惧すら覚える。

べつに、話題の作家さんの意見にケチをつける意図はない。ただ、ひとくちに双極性障害と言っても、症状の出方は人によって異なる。明らかな躁状態になる人もいれば、少し元気になる程度の躁状態の人もいる。躁状態とうつ状態を目まぐるしく行き来する人もいれば、ほとんどをうつ状態で過ごす人もいる。いろいろいる。

話題の作家さんのnoteを拝読したが、農作業がきっかけで、双極性障害が快方に向かったようだ。日に当たり、土と植物に触れ、身体を動かすこと。たしかにヘルシーだし、心身にいいのは間違いない。この作家さんは、今は薬物療法を行っていないとのことで、すごくうらやましい。薬、飲みたくないので。

双極性障害というと、ひとつの柱となる治療法は、やはり薬物療法である。同氏も服薬していたリーマス(炭酸リチウム)という薬をはじめ、さまざまな向精神薬で気分の波を抑える。私も、10年間にわたって薬物療法を続けている。

もうひとつの柱として、精神療法(認知行動療法や対人関係療法)があげられる。ただ、双極性障害は「脳の疾患」であるため、心理的アプローチの効果は限定的で、あくまで主役は薬物療法らしい。

さて、話題の作家さんの新著のタイトルは、『自分の薬をつくる』である。予告篇がnoteに掲載されていたので、これも拝読した。本文について、おもしろかったので、ぜひ読んでほしい。同氏のnoteにある「躁鬱大学」も、すごくおもしろいので、あわせて読んで欲しい。

自分の薬をつくる 予告篇その1|坂口恭平|note
0:「自分の薬をつくる」ワークショップのための準備  ――何もない多目的ホール――  まずは壁に向かって机を一二台並べ、一台につき二つの椅子、全部で二四人分の椅子を置く。  机の上にA4のコピー用紙を人数分並べて置く。  壁側にホワイトボードを置く。  壁沿いに机を置き、そこに自分でつくった織物、その上に自分で吹...

この記事のなかで、私が気になった点はふたつ。ひとつめ、「自分の薬をつくる=自分の日課をつくる」という点。ふたつめ、同氏が、現在は薬物療法を行っていないという点。

ひとつめについて、まず、根拠がない。同氏は”薬=「毎日」飲む=風呂や歯磨きや睡眠=日課”であると述べているが、ちょっと飛躍し過ぎなように感じる。

リーマスをはじめとした双極性障害の薬、たしかに機序(薬の効き方)がよくわかっていないものも多い。私たち双極性障害の当事者は、よくわからないものを飲んで、なんとなく生活している。同氏が「躁鬱大学」で言うとおり、それは事実である。

ただ、リーマスの機序がよくわからないから、飲まなくていい。機序がよくわからないから、別のものでもかわりが効く。そういうもんではないと思う。

リーマスの歴史は長いが、なにがどう効いているのか、今でもよくわかっていない。ただ、双極性障害の、特に躁状態に対して、統計的に有効であることが明らかになってから、60年以上経っている。

日課や習慣が精神の安定につながることには、心から同意する。ただ、日課や習慣が向精神薬のかわりになるかと言えば、経験上はノーだ。

同氏のことばを借りるなら、私もひとりの「躁鬱人」として、今までいろんな試行錯誤を繰り返してきた。薬物療法に始まり、瞑想、アロマ、断眠、断薬、運動、絶食、宗教、カウンセリングなど、いろいろな治療法に手を出してきた。

10年間、試行錯誤を繰り返してきた。最終的に、毎日薬を飲むこと、そして、規則正しい生活を送ることが、「私にとっては」もっとも効果的だという結論に落ち着いた。

もっともダメだったのは、どれか。断薬である。体調が安定しだしたとき、医師に無断で通院・服薬を半年ほどサボったことがある。どうなったか。半年ほど、キツめの躁状態が続いて、家族に引きずられて精神科へ連れていかれた。

一躁鬱人として、薬物療法の重要性を知っている。私の薬は、第一がリーマス。第二が規則正しい生活。個人的には、これ以上のものはない。

規則正しい生活、日課を守ると言い替えてもいいかもしれない。私にとっては、規則正しい生活も「薬」なのかもしれない。ただ、あくまで「薬物」とは違う。比喩的な意味での「薬」であって、薬物療法は欠かせない。

ふたつめ、同氏が今は薬物療法を行っていないことについて。植物とともに生きること、人間本来の在り方だと思うし、その環境で双極性障害が寛解することは、あると思う。

双極性障害は「障害」なので、基本的には一生治らない。しかし、「寛解期(症状が出ていない時期)」というのもあり、死ぬまで寛解期が続けば、それは治ったのとおなじことだ。

ただひとつ危惧すること。同氏の著書を読んだ双極性障害の当事者が、同氏に影響されて断薬を始めないかということ。

ハッキリ言うが、同氏の断薬と、「自分の薬」としての畑仕事は「たまたま」上手くいっているだけであって、「自分の薬(日課)」と双極性障害の寛解との因果関係は、まったくないと思う。「自分の薬」は、リーマスのかわりにはならない。

もし同氏が「薬物療法を続けながら」「自分の薬をつくる」のだとしたら、心から賛成する。ただ、もし同氏が「薬物療法のかわりに」「自分の薬をつくる」と言うのなら、私は一切賛成できない。

さっきも言ったけど、双極性障害の治療でいちばん必要になるのは、リーマスなどの気分安定薬だ。日課よりなにより、まずリーマスが必要だと思う。

双極性障害は、自殺率が非常に高い精神障害である。私も、過去に3回、自殺を企図したことがある。双極性障害を放置していると、わりと自殺にはしる。リーマスをはじめとする向精神薬は、自殺のリスクを抑えてくれる。

双極性障害の当事者にとって、向精神薬はライフラインだと言ってもいいと思う。もし同氏が、向精神薬の「かわりのなにか」を提示するとしたら。もし同氏が、自身の断薬の成功体験を一般化するとしたら。私は、それを危惧している。

とはいえ、向精神薬から解放されることは、すべての精神病患者の夢だと思う。私だって、向精神薬なんて飲みたくない。仕方ないから飲んでるだけだ。できることなら、今すぐぜんぶゴミ箱へ突っ込みたい。

もしも「自分の薬をつくる」ことができるなら、それによって向精神薬から解放されるなら。そんな夢のような方法があるのなら、私はぜひ知りたい。

ただ、『自分の薬をつくる』は、どうも双極性障害の当事者「だけに」向けられた本ではないようだ。「躁鬱人」の定義も、双極性障害の当事者に限ったものではない、フワッとしたものだし。

SNSの投稿が先行して話題になっているけど、一部公開されていた目次などを見るかぎり、万人向けのHow to live的な内容っぽい。そこは少し残念で、そして少し安心した。私は、たぶん要らない心配をしている。

とはいえ同氏は、日本を代表する「躁鬱人」「双極性障害の当事者」であると言ってもいい。同氏と双極性障害を切り離して語ること、たぶんもうムリだ。同氏が「薬物療法は要らない」と言ったら、同氏のことを信頼する双極性障害の当事者は、どうなるか。

障害や医療に対する個人的な信念は否定しないけど、「医者なんて」「薬なんて」みたいなことは、あまり大きな声で言ってほしくない。同氏のことを信頼している当事者は、きっとたくさんいる。

私も何冊か同氏の著書を拝読したが、「生き方」を語ることじつにたくみで、著者の世界へ深く引き込まれる。

深く引き込まれるからこそ、怖い。私は断薬して痛い目にあった経験があるし、二度と断薬はしたくないと思っている。ただ、もし同氏から「薬物療法なんて要らない」と言われたら……? 双極性障害の当事者として、私は悩むと思う。

そういう意味で、危険な一冊だと思う。「躁鬱大学」を読んだり、この記事を書いてるうちに気になってきてしまったので、たぶん買うけど。でも、断薬を始めようとしたら止めてくれ。

私から言いたいことは、ひとつだけ。精神疾患・精神障害を治療するなかで、断薬や代替医療を否定することはしない。それで快方に向かう人もいるし、好きにすればいい。だけど、断薬や代替医療を始める前には、まず医師や家族に相談をしよう。特に、躁状態になった双極性障害の当事者。人の話には、ちゃんと耳をかたむけようね。

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