いまを生きる

07.趣味のこと
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「いまを生きる」っていっても、私からの格言めいた説教じゃない。映画の話。

映画『いまを生きる(原題:Dead Poets Society)』は、1989年のアメリカ映画。某所で1990年と書いてしまったが、誤りでした。すみません。ちなみに、ノベライズもされている。

ストーリーについて、多くは語らない。本当にいい映画なので、絶対に自分の目で観て、心で感じてほしい。けど、それだと書くことがなくなってしまう。なので、多少なりとも興味を持ってもらえるよう、あらすじを紹介したい。

舞台は、アメリカの進学校ウェルトン・アカデミー。全寮制の男子校である。伝統ある学校で、規律・校則は、非常に厳しい。生徒たちはトップ・オブ・エリートで、主にアイビーリーグ(日本でいう旧帝大みたいな大学群)へ進学していき、将来は医師や弁護士、バンカーなどになることが決まっている。

この学校で、生徒たちが、ひとりの新任教師と出会うことから、物語は始まる。その教師、キーティングを演じるのは、ロビン・ウィリアムズ。名優である。他にも、生徒役として、若き日のイーサン・ホークが出演している。

キーティング先生の担当科目は、国語。おもに詩学を、生徒たちに教えていく。キーティング先生の授業は、カリキュラムに沿ったものではない。生徒たちが体験したことのなかった、自由奔放なもので、生徒たちは困惑しつつも、少しずつキーティング先生の教育に惹かれていく。

生徒たちが通う名門校、ウェルトン・アカデミーは、とても厳しいカリキュラムを組んでいる。在校生や卒業生からは、「ヘルトン」(Hellton、地獄のウェルトンみたいなことか)などと揶揄され、徹底したエリート教育を施される。すべては親や教師の期待に応え、人生のエリートコースを歩んでいくために。

キーティング先生の思想に触れた生徒たちは、少しずつ自身の「生き方」を見つめるようになる。そして、決められたレールの上を生きることでなく、自由を求めるようになり───

と、このへんが『いまを生きる』の導入部分である。本編について、これ以上は書かない。何度も言うけど、本当に、心の底から観てほしい。私が、人にものをすすめることはあまりない。だけど、この映画だけは、強い信念を持ってすすめられる。

ちなみに、私は『いまを生きる』を、少なくとも2年に1回は観ている。今週また観た。今までに、通算10回以上は観ている。見るたびに、強く深く感じるものがあり、そして気持ちを新たにされる。何度観ても、飽きることがない。

邦題の『いまを生きる』というのは、作中に何度も登場するキーワード、ホラティウスの詩の一節「その日を摘め(Carpe Diem)」から取られている。英語では「Seize the Day(その日をつかめ)」とも訳されるらしい。私には、英語はよくわからないけど。

キーティング先生は、生徒たちに「死ぬときに後悔のない生き方をしろ」と説く。作中の生徒たちは17歳。死には、まだ遠い。

死には遠いものの、生徒たちの人生は何年も先まで「決められて」いる。名門大学へ入り、親の跡を継いで、医者や、弁護士や、銀行家や、学者になる。他人から見れば、恵まれた人生だろう。しかし、そこには自身が自由に選択をする余地はない。

『いまを生きる』は、単なる学園青春映画、あるいはエリート教育へのアンチテーゼとも取れるが、本質はもっと深い。私がこの映画を初めて見たのは、思春期が始まるころだった。そのときは、強い懊悩、そして決意を感じたのを覚えている。

当時の私は、高校受験を控えていた。なんとしても進学校へ入り、そして大学へ進んで、将来は建築士になりたかった。正直、成績はよくなかった。頭も悪かったから、心のどこかに「私にはムリかもしれない」という思いがあった。

そんなとき『いまを生きる』と出会って、そして「たとえムリだとしても、後悔はしたくない」という思いを抱いた。必死で勉強した。結果、志望校へ入ることができた。

そのあとは、ありていな挫折をいくつか経験して、建築士にもなれなかった。あのころ望んでいた人生とは、ずいぶん違う生き方をしているけど。それでも、この映画と出会ったことで、自分の意志や望みと向き合うことの大切さを学んだ。

現実は厳しい。生まれ、能力、適性、経済力、環境、時の運、さまざまな要素が絡み合って、自分の希望が叶わないことも多い。それでもだ。そこでなにもせずにあきらめるのではなく、自分の希望と向き合って、そのために努力することは、絶対に尊いことだと思う。

努力したとしても、希望は叶わないかもしれない。私たちは、万能ではない。みんながみんな、境遇に恵まれているわけではない。そんななかで努力したって、望みが叶わないことのほうが多いだろう。しかし、ここで努力したという事実は、必ずのちの財産となる。逆に、努力しなかったという後悔は、必ずのちの負債となる。

大学3年生から4年生にかけて、学生らしく就職活動をした。私の第一志望は、食品メーカー。食品メーカーは、非常に競争率が高い。しかし、入りたい一心で必死に頑張って、選考を勝ち抜いていった。

このころ、両親にも大学卒業後の進路希望を報告していた。両親からは「地元へ戻ってきてほしい」と、何度も言われた。食品メーカーに入れば、全国転勤になるから、両親の希望には添えなくなる。

悩んだし、迷った。それまで必死に取り組んできた就活が、急に不安なものに思えて、どこか上の空になってしまった。面接で迷いが出てしまったのか。それとも、単に見限られたのか。最終面接で、複数の企業から不採用の通知を受けた。

両親を責めるような気持ち、多少ある。でも、両親を責める筋合いは、まったくない。私も、そこまで子供じゃない。私が、自分の意志をもっと強く持てていれば。納得のいくかたちで、両親の理解を得られるよう努めていれば。タラレバになってしまうけど、いまでに後悔している。

私たちは、常に「いま」を生きている。「いま」の積み重ねが、私たちの人生なんだ。「いま」は一瞬で過ぎ去ってしまって、二度と取り戻すことができない。それは17歳であっても、30歳であっても、80歳であっても、だれでもおなじだ。

「いま」をないがしろにすると、いつかきっと後悔する。「あのとき、もっと頑張っていれば」「あのとき、もっと好きなことをしていれば」「あのとき、ガマンをしなければ」「あのとき、もっとちゃんとしておけば」私の人生、そんなことの積み重ねだ。後悔は、心のなかに深く沈んで、一生消えることはない。

『いまを生きる』の舞台は、学校。見せかけは青春映画だが、子供が観ても、大人が観ても、きっと強く感じるものがあるはずだ。この映画は、人の生き方、人が生きる根源的な意味についての問いを投げかけてくれる。

私はもう30代、17歳の少年たちのように、「自分が本当にやりたいことはなにか」「なんのために生きるのか」なんて青臭いことを考える歳ではない。それでも、30代の自分が大切にすべきものはなにか、今の自分が守らなければならないものはなにかを、『いまを生きる』は問いかけてくる。

10代のころに、はじめて『いまを生きる』を観て以来、迷ったらこの映画を観て、自分の生き方と向き合うことにしている。本当に迷いのない人生、後悔のない人生を送れている人というのは、そう多くはないんじゃないかな。

人生は、迷いの連続だ。生き方に迷って立ち尽くしたとき、私は『いまを生きる』を観て、キーティング先生の言葉と、生徒たちの生き方を思い返している。

約30年前に撮られた、古い映画。しかし今でも、いや、今でこそ輝く作品だと思う。何度も言うが、私が他人にものをすすめることは、そうない。でも、この映画だけは、心の底から自信を持って推薦する。どうか観てほしい。

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