野良猫がいない街に住んでいる

04.じんせいのこと
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今のマンションに引っ越してきてから、もう3年が経つ。3年経つが、近所で野良猫の姿を見たことが、数回ほどしかない。しかも、毎回おなじ猫。経験的に、私が住んでいる地域には、野良猫は1匹しかいないということになる。

いや、たぶんいないことはないのだろうけど、ほとんど見かけない。ちなみに、私の家は、住宅地と商業地の境目くらいの場所にある。まわりは静かだが、買い物には不便ない。とても暮らしやすい。

暮らしやすいのは、野良猫にとってもおなじのはずだ。すこし行けば、飲食店やコンビニでメシを探せる。すこし行けば、そこは静かで安全な住宅地。野良猫が根城にするには、格好のロケーションのように思える。

しかしながら、野良猫がいない。だれかが毒エサでも撒いてるんじゃないか、野良猫がジェノサイドされてるんじゃないかと思うくらい、いない。野良猫の姿を見かけない。

私の地元の岐阜県、人より牛のほうが多いド田舎にさえ、野良猫はたくさんいた。今まで住んだことのある場所でも、「野良猫がいない街」というのは、なかった気がする。当たり前にいるはずのものが、いない。

日本中、もしかしたら世界中そうかもしれないが、だいたいどこの地域にも、野良猫に餌付けする「猫ババア」みたいな人がいる。私の田舎にも、エサをまいて野良猫を囲っているババアがいた。べつに猫ジジイでもいいのだが、傾向的にはババアが多い。

こういう人が、近隣トラブルを起こしたりして、地域の電柱などに「猫にエサをあげないでください!」みたいな強めの貼り紙が出現するわけだが……私の近所では、そういうこともない。いたって平和で、野良猫がいない。

野良猫恋しさのあまり、マンションの敷地内にエサをバラまきそうになった。まわりからしたらタダの迷惑行為だし、近所でウワサの猫おじさんにはなりたくないし、継続的に餌付けをするお金もないので、さすがに実行はしなかったけど。

野良猫がいない街というのは、なんかイヤだ。野良猫は、だいたいが人の生活の余剰で生きている。街も、野良猫を排除せず、包摂している。野良猫がいる街というのは、いろんな意味で余裕がある街だと思う。

野良猫がいない街というのは、野良猫を養う余裕すらない街、貧しい街なのではないか。近所の家を見渡すと、決して貧しそうではないが、野良猫はいない。経済的な貧しさと、精神的な貧しさは違う。我が街は、野良猫を排除しているのではないか。そんなことを考えてしまう。

野良猫がいない街、フンや尿の害はないから、街は汚れない。野良猫がいなくて人が困ることなんて、なにもないのだが、なんか寂しい。この街は、野良猫の生活の面倒も満足に見れないのかと、やるせなくなってくる。

ときおり、ウチのマンションのまわりで路上喫煙をしている人を見かける。ああいう有害人種の代わりに、野良猫がいたらいいのになあと思う。タバコのポイ捨ての後始末は絶対にイヤだけど、野良猫のフンの片付けなら、やぶさかではない。

路上喫煙ポイ捨て野郎と比べれば、野良猫の害なんて、かわいいものである。野良猫、人の生活からしたら、ちょっとした異物ではあるが、そういう異物を積極的に排除するのは、いかがなものかと思う。

我が街が野良猫を積極的に排除しているかは知らないけど、とにかく野良猫がいない。ゴミ捨て場もキレイだし、あらゆる面でとても清潔な街、完成された街なのだけど、清潔すぎてかえって気持ちが悪いし、できあがってしまった閉塞感がある。野良猫を含め、街に異物がない。なさすぎる。

「水清ければ魚(うお)棲まず」と言うが、街がキレイすぎるから、野良猫も棲みにくいのかもしれない。あるいは、野良猫という異物を受け入れるだけの余白が、このキレイな街にはないのか。キレイな街のわりに、路上喫煙ポイ捨て野郎がいるが……。

異物を受け入れないことは、逸脱を認めないということだから、少し危険なことだと思う。私個人は、多分逸脱する(もしくは、すでにしている)側の人間だから、いつかこの街には住めなくなるかもしれない。そうしたら、今度は野良猫のいる街に行こう。野良猫とともに生きよう。

ちなみに、隣街に住んでいる友人の家の近くには、頻繁に野良猫が出る。うらやましいが、彼の家の近所には、家の壁、電柱、そこかしこに「猫にエサをあげないでください!」という貼り紙がしてある。結局、逸脱して猫ジジイになるしかないのか。

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