親子のこと

05.家庭のこと
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年が明けたころ、ひさびさに帰省して、約一年ぶりに両親と会った。私の両親、ふたりとも還暦をすぎているが、ふたりともまだ働いている。たいしたものだと思う。

平日に帰省した。なんとなくで帰省したので、地元の友人たちにもとくに連絡はせず、もっぱら両親と一緒に過ごした。

帰省した翌日、たまたまだが、母の仕事が休みの日だった。なので、一日母と出かけていて、喫茶店などをめぐり、いろんな話をした。

私の実家は、岐阜県の北部、高山市のはずれ、小さな町にある。町といっても、本当に小さい、「平成の大合併」以前は「村」だった町。あまり悪く言うつもりはないが、本当にへんぴな土地で、楽しいことはなにもない。ちなみに、高山市には古本屋もなければ、映画館もない。

もともとはずっと岐阜県南部、美濃加茂市というところに住んでいて、高山市で生まれたわけではないが、中学校へ上がるころに高山市へ引っ越すことになった。なぜか、父の実家が高山市にあり、祖母が高山市に住んでいたから。

祖母が住んでいた土地に家を新築して、そこへ引っ越した。引っ越しにあたっては、祖母の「高山市を離れたくない」という意向が強くはたらいていた。まわりの親戚からの圧力みたいなのもあり、父や母は、その言いなりだった。

正直に言えば、私はまったく引っ越したくなかった。美濃加茂市には長いあいだ住んでいて、親しい友人がたくさんいたし、その環境を変えたくなかった。ただ、親から「引っ越す」と言われてしまうと、子供の意見など通るはずはなく、やむをえず高山市へ引っ越すことになった。

ここからは家庭の内情なので、あまり詳しく書かないけど、どうなったかというと、家庭がメチャクチャになった。私はなんとかうまくやっていたが、いろいろあって母はうつ病になり、弟はひきこもりになった。

大学へ進学するときには、「金がないから」という理由で、国公立大以外は受験させてもらえなかった。浪人もNGだったので、前・後期試験、たった2回のチャンスを必ずモノにするしかなかった。結果的に、前期で合格したからよかったが、当時のプレッシャーを思い出すと、いまでも胃がキリキリしてくる。

大学進学とともに実家を出て、そのまま新卒で社会人になったが、そこで双極性障害にかかって、高山市の実家へ出戻ることになる。このときも、私はいったん会社を退職して、再スタートをしたかったのだが、両親から「退職してはいけない」と強弁され退職できず、最終的に自殺未遂やら失踪やらという結果になる。

そういうことがあったので、私は基本的に両親のことをよく思っていなかったというか、ハッキリ言ってしまえばキライだったし、恨んでいた。ただ「親だから」なんとなく邪険にはできないが、チャンスがあれば縁を切りたい、そんなことも考えていた。

四年前に地元を離れて上京するときには、両親にはっきりと「老後の面倒をみるつもりはない」「私のことはいなくなったと思ってくれていい」と告げた。それで絶縁するつもりだった。

まあ、そのあともたまに仕送りをもらったり、米やらなんやらを送ってもらったりしていたのだが、私としてはとにかく疎遠になりたい、距離を置きたかった

去年の冬に、妻と結婚式を挙げた。さすがに体裁を整えなければならないと思ったので、挙式前に一度だけ両親と会い、妻を紹介した。

形ばかりの付き合い、それでいい。結婚式には列席してもらったが、近くにいるのはこれが最後かもしれない、そんなことを考えていた。

今回、なんで帰省しようかと思ったか、はじめは「なんとなく」と書いたが、じつは明確な理由がある。年明けまえに、両親から「年末年始のために」という名目で、すこしだが送金を受けていた。

そのときまでは、実家のことなどすっかり忘れていたが、金だけ受けとって、老夫婦だけでさみしい年始をむかえさせるのは気の毒だし、不義理な気がしてくる。それで、帰省することに決めた。私はやさしいので。

あと、私は昔から祖母とおりあいが悪く、祖母のことは心から嫌いだったのだけど、その祖母が、認知症になって施設へ入った。実家には、もう祖母がいないというのも、帰省しようと思った理由のひとつである。

祖父も父も長男なので、ウチは一応「本家」なのだが、今年は親戚もだれも来ていないらしい。帰省したその日、父と母と食卓を囲んだ。こういうのは、ほんとうにひさしぶりのことだ。

私はいま無職なので、チクチク小言を言われながら、夕食のすき焼き鍋をつつく。以前なら、こういう小言にもいちいちムキになっていたが、キリスト教の洗礼を受け、「親に従いなさい」という聖書の教えにふれていたので、だいたい黙って聞き流せた。

翌日、仕事が休みの母と、一日いっしょにすごした。高山市は、家具が有名である。私の手の出せる値段ではないが、ショールームをひやかしに行って、帰りに喫茶店に寄り、母とゆっくり話をした。

母が言うには、最近ロクに人と話していないらしい。「田舎の老人あるある」である。コーヒーを飲みながら、父や祖母、親戚やその他もろもろへのグチが、せきを切ったように出てくる。

まず、母がこういう話を私にしてくることにおどろいた。いままではなんとなく「親子」という感じで、母からは「こうしなさい」「ああしなさい」という話ばかりをされていたのが、その日の母は「私はどうしたらいいだろうか?」みたいな話ばかりをしてくる。

「どうしたらいい?」って聞かれたって、私も困るんだけど、それ以上に母は困っている様子で、仕方なくだまってグチを聞いていた。

親子だから、つもる昔話がある。私は私で、いままでのことで思うことは山ほどあるのだが、それでいままで何度も母とケンカしていたので、だまって聞く、言い返さないクセがついていた。

その日の母は、昔を悔いるような話ばかりをしていた。引っ越しのこと、私や弟の進学のこと、父とのこと、祖母とのこと、家のこと。「あのときああしておけばよかった」「あのときああするんじゃなかった」そんなことばかり言っていた。

ここでまたおどろいた。いままでは、父も母も、自分たちなりの正解というか、正しい判断で生きてきていたのだと思っていた。ところがフタを開けてみると、後悔、後悔、後悔の連続である。

「高山市へ引っ越さなければよかった」「国公立大しか受けさせなくて悪かった」「もっとはやく会社をやめさせればよかった」そんな話をされて、「本当にそうだぞ!」と答えたが、内心では(似たようなことを考えていたんだな)と、なぜかホッとした。

母が言うには、父ともうまくいっていないらしい。(離婚だけはよしてくれよ)そんなことを思いながら、母の話を聞いたり、私の家庭の話をしたりする。私の話を聞いた母が、うなづいたり、「それはちがう」と返してきたりする。母とふたり、それぞれの家庭の話をするの、とても不思議な感じだった。

父と母のもとに生まれてからいままで、なんとなく両親の関係というのは「完成品」のようなものだと思っていた。しかし、実はぜんぜんそんなことなくて、いまだに未完成というか、還暦を過ぎても不満や軋轢を抱えていて、なんというか、ぜんぜん安定していない。

父は、どちらかと言えば寡黙なほうなので、今回はあまり話せなかったが、親も不完全な、一個の人間なんだなと思った。よく考えればそりゃそうで、子供が生まれたからすぐ「親」になれるわけでもないし、子どもは成長していくから、その時々で親も変わらなければならない。

以前、父から「俺は高卒だから、大学受験のことはなにも言ってやれなかった」と言われたことがある。当時はなにも思わなかったが、いま思えば、親だって知らないことはあるし、わからないこともあるんだ、そんなことを考える。

親子、というと、一種特別な関係に思える。実際、民法上は特別な関係なんだけど、それを除けば、一個の人間同士なのかもしれない。親が子に与える影響は大きいけど、それは絶対ではないのかもしれない。

帰省して、母のグチをさんざん聞かされて、ようやく親のなかに人間を見つけられた、そんな気がする。一人の人間が、親という役割を必死で演じ続けていたんだな、そんなことを思った。

いまは、両親のことを心から尊敬している。子の立場から見て、父と母には、親としては至らない点が多くあったと思うけど、それは父と母という人間が、悩み、苦しみ、最善を尽くそうとしてやってきた結果なのだから、とても尊いことだと思う。

いっときは、絶縁しようかと考えていたのは事実で、あいかわらず老後の面倒までみる気はないが、なにかの縁で二人の子供に生まれてきた、二人に育ててもらったことは、私にとって大切なことだし、これからも大事にしていこうという気になった。

私も、家庭を持ってようやく、両親とおなじ目線に立てたのかもしれない。妻と結婚して三年経つが、いまでも喧嘩をしたり、話し合いをしたり、ときにはしばらく口を聞かなくなったりもする。結婚したから人間関係が完成されるのではなく、結婚はスタートで、たぶん死ぬまで試行錯誤していくんだろう。

親子の関係もおなじで、父という人間、母という人間、そして私という人間が、悩んだり、衝突したり、妥協したり、そういうことを繰り返してきた、そしてこれからも繰り返していくんだろうな。親子の関係にも、完成はありえないんだろう。

思い返せば、私は私で、親に期待をしすぎていた。多少抑圧的な関係ではあったものの、親の言うことは正しい、親が私を導いてくれる、なんとなくそんなことを考えていた気がする。

これが大間違いで、親も私をどうしたらいいかわからない、どう扱ったらいいかわからない、それで悩み、試行錯誤しながら、私と向き合っていたんだろう。私は私で言いたいことは山ほどあって、母がそれを少しだが受け入れてくれたことは、素直にうれしかった。

先に「親のことを恨んでいる」と書いたが、今回の帰省で、それはすこしお門違いだったのかもしれないと気づいた。親のせいで人生がハチャメチャになってしまった面も、たしかにあるが、それは結果論で、親は親で、常に私のことを考えてくれていたんだろう。

その選択がハズレだっただけで、けっして私を貶(おとし)めようとか、陥(おとしい)れようとか、そういうつもりはなかったんだなということが知れて、とてもよかった。人生がハチャメチャになった原因は、私にもあるし。両親は、私が「上京する」と言い出したときにも、渋々ながら応援してくれたし、唐突に結婚を切り出したときも、心配しながら祝ってくれた。感謝している。

ウチはいわゆる「機能不全家族」ではないだろうけど、それでも、両親や家庭に対する不満は、ボロボロ出てくる。ただ、そういうものなのかなという、あきらめとは違うけど、なんとなく受け入れられた気がする。

完璧な親などいない。親も子も、それぞれ独立した人間で、コミュニケーションを取り合いながら、お互いに育っていくんだろう。もちろん、親のほうが立場が強いのは当然だから、人の親になったら、慎重にならなければならないのだろうけど、それでもやはり、間違いを犯すことは、ままある。

親を親としてではなく、一個の人間として見られるようになったこと。人間だから、必ず正解を選べるわけではないこと。親として悩み、苦しみ、葛藤しながら生きていること。それを理解して、親子の在り方が変わった、そんな気がした。

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