本が読めない

04.じんせいのこと
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もう10年くらい、本が読めない。昔から読書が好きだったのに、ある時期からパッタリと本が読めなくなった。双極性障害(躁うつ病)になって、向精神薬を飲み始めた時期と一致しているから、たぶん障害の症状か、薬の副作用だと思う。

本を読むのは、昔から好きだった。小学生のころ、「体調が悪い」とウソをつき、保健室へ行くふりをして図書室で本を読んでいたら、図書室を出禁になった。中学生のころは、祖父の遺品から吉川英治『三国志』を引っ張り出して、旧字・旧かなも苦にせず読みふけっていた。高校生のころは太宰治にハマって、全作品を読み切った。社会人になってからは、バカみたいな自己啓発書を乱読していた。

本を買うのも、好きだ。本屋や古書店に行くのも、好きだ。本屋へ行ったら、1冊は本を買うのがマナーだと思っている。古本の街・神保町へ行くのが大好きなのだが、神保町へ行くと、財布と荷物に悲劇が起きる。でも、読めない。読めないけど、本屋へ行って、本を買ってしまう。結果、未消化の積読が、膨大な量になってしまった。

実家にも、大量の蔵書がある。誇張抜きで、「床が抜ける」くらいの本がある。「買った本は売らない」が信条だったが、過去にやむにやまれず一部を処分した。それでもまだ、部屋いっぱいに本がある。しかも、ほとんど読んでいない。離れて暮らす両親から「本を引き取れ」と言われているが、今住んでいるマンションには大量の本を置くスペースなどなく、なんとなくウヤムヤにしている。

そんな私の態度にシビレを切らすのか、ときどき実家から、ダンボールいっぱいの本が送られてくる。ふざけて「パパママ選書」なんて呼んで笑ってはいるが、今の部屋には荷物を置く余裕がないので本当に勘弁してもらいたい。送られてきたダンボールのなかから、何冊かを手に取る。過去の私が買ったものなので、当然ながら好みにあっていて、おもしろい。でも、読めない。

10年前から、パタッと本が読めなくなった。あいかわらず本のことは大好きなんだけど、読めない。比べると怒られるかもしれないが、インポテンツになった男性の気持ちに似ているかもしれない。大好きなのに、行為に及ぶことが、どうしてもむずかしい。「異常事態だ」と思いつつ、「まあ本が読めなくても死なないし」とも思い、ほったらかしにしていた。

本が読めない。どう読めないのか。文字列を、文章として把握・理解することができない。目の前の一文を読んだそばから、前の一文が頭から抜けていく。今読んでいる文字の意味しかわからない、文章が読めない。ディスレクシア(識字障害)とかではないのだろうけど、長文が飲み込めない。

Twitterばっかりやってるのも、ダメなのかもしれない。ふだん目にする文章は、だいたい140文字以内だから、なおさら長文を読む能力が下がっているのかもしれない。以前、ネット小説かなんかのアオリで「24000字の『長編』」という文句を見かけた。そのときは「24000字なんて中短編だろ、バカ言うな」と思ったが、今は24000字も読めない。長すぎる。

そんなわけで、本を買って積む日々、ストックから目を逸らす日々だった。しかし、ここ最近の外出自粛ムードのなか、迂闊に外で遊ぶこともできず、ヒマを持て余している。「なにか家でできることはないか」と考え、ひとしきり試してみて、最後に、やむをえず、あらためて読書に挑戦してみることにした。

はじめに手に取ったのは、最近買った、発達障害に関する本。おもしろい。が、途中で例の「発作」が発症し、挫折した。途中で内容への興味が失せたのも大きいのかもしれないが……次に手に取ったのが、歌集。これはスラスラ読めたが、「歌集は読書にカウントしていいのか?」という疑問が出てきて、読むのをやめた。

私が読書に挑戦している意義、とにかく「ヒマな時間をつぶしたい」というのが大きいが、長年の読書コンプレックス、読書にまつわる失敗体験を克服したいというのもある。そのためには、ある程度まとまった量の文章を、最後まで読み切らなければならない。

そうして手にとったのが、遠藤周作『恋愛とは何か』。約60年前に書かれた恋愛論。以前一度読んだことがあるが、内容はすっかり忘れている。遠藤は、私とおなじくクリスチャンで、クリスチャンの恋愛論とはどんなものなのだろうかと思い、読み始めた。

読むにあたって、まず環境を整えた。できるだけ、快適な体勢を作る。ベッドに身体を横たえ、うつ伏せになって、ヒジをついて、上半身を軽く起こす。そして、両腕で本を固定する。こうすれば、読書以外はほぼなにもできない。

読み方も工夫した。文字列をなぞるから苦痛に感じるのであって、目的はあくまで「最後まで読み切ること」である。極論、本に書いてあることの意味なんて、一言一句わからなくてもいい。とにかく最後のページの最後の句まで読み切る。目が滑ってもいい、ナナメ読みでいい、内容を忘れてもいい、それくらいの気持ちでのぞんだ。

ときどきスマホに浮気したりして、悪戦苦闘すること3時間強、なんとか『恋愛とは何か』を読み切ることができた。さすがの文豪、読みやすい文章だった。内容について、ぶっちゃけ全体の3割くらいしか覚えていないのだが、とにかく読み切ることができた。運動部の基礎練習を思わせるような苦行だった。

こうして、今日は読書に成功した。しかし、率直に申し上げると、しばらく本は読みたくない。キツすぎる。インターネットの短文、テキトーなことしか書いてないwebのテキストだけ読んでいたい。しかしながら、当面の娯楽は読書しかない、そしてなにより、読むべき本は家のなかに、山積みになっている。

考えようによっては、読書は一石二鳥である。本を読むことによって、知識が得られる。苦痛に耐え忍ぶことで、精神も鍛えられる。巌(いわお)を水滴が穿(うが)つように、積読を1冊1冊読み切っていく。まるで修行だ。ウンザリしてきた。

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