「障害オープンの一般雇用」というワガママ

03.精神障害のこと
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働きたくない。根源的に働きたくない。ちゃんと理由もある。

ひとつめ。働くことがキライである。仕事、労働自体は、それほどキライではない。社会参加はしたいし、生産活動もしたい。私はブルジョワジーではないので、働かないと生きていけないことも、十分理解している。

ただ、働くことがキライである。現代日本で「働く」特に「雇用される」というと、イヤな要素がいろいろとくっついてくる。たとえば、出退勤。満員電車がキツい。たとえば、定時出社。スケジュール管理がキツい。たとえば、8時間勤務。「8時間」の妥当性が理解できない。そんなわけで、働くことがイヤである。

ふたつめ。働くことが怖い。私は、双極性障害(躁うつ病)という精神障害を持っている。双極性障害は、自殺のリスクが非常に高い精神障害である。こういう私も、過去に3度、自殺を図ったことがある。

私の場合はだけど、自殺と労働は、強く紐ついている。はじめて自殺を図ったときは、将来のキャリア、つまり仕事での自己実現につまずいたとき。2度目に自殺を図ったときは、仕事でのパワハラに耐えかねたとき。3度目に自殺を図ったときは、職を失ったとき。

3度とも、働くことへの絶望・諦念が原因で、自殺を図っている。今は、働くことに対して、大した期待はしていない。過去のように自殺にはしることは、もうないと思う。でも、働くことと自殺とは、私のなかで強く結びついてしまっている。働くことが怖い。

障害をクローズ(隠して)にして就労すると、自分を死ぬまで追い詰めてしまう気がする。自殺はイヤだ。死ぬのはイヤだし、自殺は最悪だ。ただ、クローズ就労の向こう側には、自殺の影がチラつく。

なので今は、妥協策・折衷案として、双極性障害をオープン(公開)にした一般雇用を目指している。障害をオープンにすること、べつにまわりからの配慮などを求めるつもりはないけど、少なくとも「障害を隠す」プレッシャーからは開放される。

障害者雇用ではダメなのか。本音を言えば、私も障害者雇用がいい。障害者雇用、いい制度だと思う。ただ、障害者雇用は、概して賃金の水準が低い。もし私が実家暮らしで、家賃負担がなかったら、迷わず障害者雇用の道を選んでいただろう。しかし、残念ながら私は、実家暮らしではない。借家暮らしで、家賃がかかる。ある水準以上の給与がないと、生きていけない。なので、一般雇用を目指している。

双極性障害をオープンにした一般雇用、可能なのかどうか、ぜんぜんわからない。今のところ、手応えはない。求人には応募しているが、落ちまくっている。面接すらしてもらえない。もしかしたら、障害オープンの一般雇用は、不可能なのかもしれない。

世間を見渡せば、双極性障害をオープンにして一般雇用で働いている人も、いるにはいる。ただ、彼らは際立って優秀に見えるし、障害をケアする能力も高そうだし、私のように卑屈になっていないし、例外のように思える。

私はといえば、取り立てて優秀なわけではないし、資格を持っているわけでもないし、職務経歴もボロボロだし、障害を言いわけにして逃げ続けている。たとえば、私が企業の人事職であったとして、私から採用の応募があったとしたら、間違いなく書類段階で落とす。そういう自己認識はある。

ただ、双極性障害オープンの一般雇用しか、道は残されていないようにも思える。こうやって選択肢を狭めていくことは、よくないことだと思う。視野もドンドン狭まっていくし、袋小路に追い込まれていく。ただ、他にアイデアがない。

とりあえず「数打ちゃ当たる」の精神でやっている。私は、睡眠が不規則になりやすく、特に朝のスケジュールが読みにくい。なので、応募に際しての条件は「フレックスタイム制」のみ。業種や職種など、その他の希望は、すべて捨てた。それでも、仕事が見つからないのが現実だけど。

採用市場において、「精神障害の有無」がどれほどのデメリットになるのか、まだよく理解できていない。当事者目線で言えば、大した問題ではないように感じる。しかし、採用者目線・企業目線で言えば、精神障害者など論外なのかもしれない。もしかしたら、スタート地点にすら立つことすら、ムリなのかもしれない。

とりあえず、やれるだけやってみよう。今は、情報も理解も少なすぎる。やれるだけやって、ムリそうなら、その時また考えればいい。とはいえ、障害オープンの一般雇用がムリだったとき、他に道はあるのか。不安は大きい。でも、やるしかない。

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