文章組手第30回「七夕」

10.文章組手
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地方によって差があるだろうけど、七夕にまつわる習慣は、いろいろある。行燈を川に流したり、そうめんを食べたり、七夕飾りを出したり。一緒に文章組手をやっているポンチャックマスター後藤さんの地域(家?)では、七夕にちらし寿司を食べるらしい。意味がわからない。

私の住んでいた地域では、残念ながらユニークな風習はなにもなかった。ただ、いちばんポピュラーであろう「笹飾り」は、毎年作っていた。願いごとを書いた短冊を、笹に吊るすアレ。地域の子ども会で、毎年笹飾りを作っていた。

少しちょけた子どもたちは、意味不明な願いごとを短冊に書いて、まわりの笑いを誘ったりしていた。私は一切ふざけずに、自分の願いごとを真剣に書いて、祈っていた。

私は、神秘主義とかオカルトとかは信じていない。しかし、人間の理知を超えたものに惹かれる気持ちがある。常識的に考えれば、短冊に願いごとを書くだけで、望みが叶うはずはない。だけど、子どものころは毎年真剣に願いごとを考えて、子ども会の短冊を書いていた。

笹飾りの短冊と、願いごとが叶うこと。そこに因果関係はまったくないのだけど、ないからこそ、なにかを願いたくなる。コレがもし「子ども会の短冊は自治体が回収して、内容を審査したうえで、当選者の願いごとを叶えます」みたいに因果関係が明確だったら、そんなに真剣にやってなかったと思う。

先週、生まれてはじめて占いを受けた。たまたま入ったバーで、タロット占いをしてもらった。占い、正直バカにしていたし、興味もなかった。しかし、その場のノリで受けることになり、占い代金として1,000円を払った。せっかくなので、真剣に受けることにした。

占い師さんは、ランダムに並べたカードを1枚1枚めくりながら、私の現状や今の気持ち、将来の理想など、その意味や解釈を伝えてくれた。詳細は省くけど、本当にビックリするくらい当たっていた。当たりすぎてて、気持ち悪かった。

占い師さんとは、まったくの初対面である。身の上話とかもせず、いきなり占ってもらった。なのに、私の内面や葛藤を、ピタッと当てられた。占い、バカにしてすみませんでした。

因果関係がないもの、たとえばタロットもそう、七夕の短冊飾りもそうなんだけど、因果関係がないからこそ、信じたくなる。それがピタリと当たると、人間の、少なくとも私の理知を超えた力があるのだと思わざるをえない。

以前、アルコール依存症患者の自助会に参加したとき、「ハイヤーパワー」という概念を知った。「ハイヤーパワー」要約すると、ノンクリスチャンのための神様みたいなもの。自分でお酒をやめるのはむずかしいから、自分より高位の存在・大きな力にゆだねましょう、祈りましょうという考えらしい。

何度も言うけど、神秘主義とかオカルトとかは信じていない。ただ、人の理知では測れないできごとは、世のなかに山ほどある。なぜあの人が死ななければならなかったのか? なぜあの人が成功したのか? なぜ私は不遇なのだろうか? そんな「なぜ?」はたくさんあるけど、神様は答えてくれない。

私たちは、願うこと・祈ることをやめられない。神様や織姫・彦星と、私たちの願いのあいだに、なんの因果関係はなにもない。しかし、願い、祈ることをやめられない。人は根源的に「大きな力」を信じているし、身を委ねたいと思っている。

昨今は自己啓発がさかんだし、自己責任論もはびこっているけど、人ひとりの力なんて、たかが知れている。努力は往々にして実らないし、願いは叶わないし、いきなり死ぬこともある。

だからこそ、占いの結果を信じる。短冊に願いを込めて祈る。自分より大きなものに身をゆだねる。それくらいの気持ちで生きていくのが、楽なんじゃないだろうか。

たとえば神様のような「大きな力」に頼るのもいいし、友人や知人のアドバイスを聞くのもいい。「自分」は小さく弱いものだから、なにかや誰かをアテにするのも、いいのかもしれない。

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