生まれる

04.じんせいのこと
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最近、理由があって、昔のことをよく思い返している。とくに、上京する前後のことを、よく思い返す。

2016年4月20日、地元を離れて、東京都板橋区にあるマンションへ入居した。東武東上線ときわ台駅から歩いて7分ほどの場所にある、築30年ほどの古いマンション。間取りは1K、狭いキッチンと6畳間。家賃は62,000円。

2016年4月、私は30歳だった。8年前に思い描いていたのとは、ずいぶん違う30歳になっていた。

8年前、2008年に、新卒で地元の銀行へ入社した。そこで、新入社員教育の一環として「人生設計ノート」というものを書かされた。

私は、そのノートに「28歳で結婚。30歳で第1子が、32歳で第2子が誕生。35歳で地元にマイホーム購入」と書いた。あれから8年、30歳の私は上京して、単身で手狭なマンションの一室に入居していた。

4月27日、初出勤日の朝。8時ごろに家を出て、ときわ台駅から、東武東上線で池袋へ向かう。4月半ばなのに、車内には冷房がついていて、それなのに満員の車内は暑かった。

池袋駅から、山手線に乗り換える。通勤時間帯の山手線の車両はすし詰めになっていて、(乗れない)と思い、電車を一本見送った。

数分して、次の電車が到着した。次の電車もすし詰めになっていて、また(乗れない)と思い、また電車を見送った。

また数分して、電車が到着する。(乗れない)そう思ったけど、出勤時間が迫っていた。仕方なく、身体を車両に押し込んで、人にもまれながら出社した。

1ヶ月もしないうちに、東京の暮らしになれてきた。朝晩の通退勤ラッシュ、満員電車には心からウンザリしていた、死ぬほどイヤだったけど。でも、それ以外のこと、仕事も人間関係も、とても充実していた。

そもそも、なんで30歳にもなって、上京したのか。

大学を出てから、新卒で地元最大手の会社に入った。仕事はメチャクチャ多忙だったけど、がんばって働いていた。社内の昇進試験も、がんばってパスしていった。がんばっていたので、まったく順風満帆だった。途中までは。

入社して4年ほど経ったころ、いきなり双極性障害(躁うつ病)という精神障害になった。会社を休職したりして、だましだまし勤務を続けていたけど、「人生がダメになってしまった」という感覚を、強く感じていた。

双極性障害になってから、昇進試験への推薦がもらえなくなった。給与が低い一般職への変更をすすめられた。「28歳で結婚。30歳で第1子、32歳で第2子が誕生。35歳で地元にマイホーム」という人生設計が、根本から崩れてしまった。

手に入るはずだったものが、手のなかからこぼれ落ちていくのを、何年間もボーッと見ていた。このまま、この会社で勤め続ける意味があるのだろうか。ずっと悩んでいた。

ウジウジ悩んでいたころ、ちょうど会社で先輩からバキッとしたパワハラにあい、それに耐えられなくなって会社をやめた。双極性障害が悪化していたので、しばらく療養したあと、地元で仕事探しをはじめた。

私の地元は、ド田舎である。リクナビなどの求人サービスを利用している会社は、ほとんどない。なので、ハローワークで仕事を探すことになる。しかし、ハロワではロクな仕事が見つからない。週5・フルタイム・残業代込みで額面14万円とか、そんなの。

ド田舎の給与水準はどうしようもないので、せめて楽しそうな仕事をしようと思い、銭湯の番台兼ゲストハウスの管理人の仕事に申し込んだ。時給は680円。

仕事自体はやりがいがあって、とても楽しかった。しかし、わかっていた事だけど、給料が安い。時給680円は、当時の地元の最低賃金を下回っていた(ある日気づいて指摘したら、最低賃金まで昇給した)。さらに、労働時間が長い。毎日ほぼ休みなく出勤して、朝から深夜まで働いていた。

転職を考えたけど、やはりロクな仕事が見つからない。時給680円では、貯金もできない。貯金もできないから、田舎から逃れられない。たまに近所のスナックで、お酒を飲むのが唯一の楽しみだった。まだ30歳なのに、なにコレ? 若さをムダに搾取されている、そんな気分だった。

「私は、もう死んでいる」そう思った。多分このまま低賃金で働き続けて、どこかでまた心身を壊して、そして本当に死ぬんだろう。「私の人生」という映画はもう終わっていて、スクリーンにはエンドロールが流れている。私はそれを、なすすべもなく眺めていた。生きる意味がわからなくなって、もういっそ自殺しようかとも考えた。

そんなとき、縁があって、上京の話が舞い込んできた。すごく悩んだ。上京したとして、上手くいくとは限らない。また挫折するかもしれないし、これ以上失望するのはイヤだ。

ただ、このまま死んだように生きるのも、イヤだなと思った。希望のない毎日を送っていた。将来のことを考えると、「死んだほうがマシなんじゃないか」とも思っていた。

「どうせ死ぬなら」と思い、上京にかけることにした。「上京してダメだったら、そのときは死ねばいい」それくらいの気持ちだった。

そういうわけで、東京で就職活動をはじめた。何人かの人が背中を押してくれたおかげもあって、2016年の4月頭には、首尾よく内定をもらった。なんとか上京にこぎつけることができた。

東京生活、「楽しい」の一語に尽きる。いろんな人と会って、いろんな話をして、いろんな経験をして、世界が一気に広がった。今までの自分がキレイに消えて、新しく「生まれた」という感触がある。

今までの人生では、単線的な生き方しか見えていなかった。いい会社に入って、結婚して、子供をもうけて、昇進して、家を建てて……というロールモデル、レールがあった。父がそういう生き方で、それを強いられていた面もあった。それに、まわりもみんなそういう生き方だったから、それ以外の選択肢を知らなかったし、考えたこともなかった。

私は、レールから落ちこぼれてしまった。一度レールから落ちこぼれると、二度とおなじレールには戻れない。落ちこぼれは、石の下の虫のように、すみっこのジメジメした場所でひっそりと生きて、死ぬしかない。

田舎は、精神障害への偏見もキツい。「私は双極性障害です」だなんて、口が裂けても言えない。以前、新卒の会社の先輩に「心療内科へ通っている」と打ち明けたことがある。そうしたら「キチガイ」と言われて、職場じゅうにバラされた。こういう土地で生きていくのは、キツい。

東京は、そもそもレールというものが強く存在しない気がする。「東京にはレールがない」とは言わないけど、東京ではレールが絶対ではない。よくも悪くも、あまたの選択肢があって、ある程度自分の好きな生き方を選ぶことができる。

人間関係も、ドライだ。私が双極性障害であることに対して関心を持つ人なんて、ほとんどいない。双極性障害を打ち明けたとしても、「ふーん、そう」で終わることが多い。

上京してから、「生まれた」感触を何度も味わった。自分の意思で生きている。自分の人生を生きている。そんなことを強く感じる。

上京したのが2016年4月、そこから、私の人生は始まった。1985年生まれ、今は34歳なんだけど、「生まれた」のが2016年4月だから、事実上まだ4歳だと言える。

上京したからといって、それで状況がよくなるわけではない。上京と同時に就職した会社も、2年半くらいで退職してしまった。また双極性障害が悪化したせいだ。今は仕事をしていない。将来への不安は、とてもとても強くある。

ただ、なにがあろうと「まだ4歳だから、しょうがねえよな」という気持ちがある。

地元にいたころ、低賃金で長時間労働をしていたころは「もう30歳なのに、なにをやっているんだろう」という懊悩があった。上京してからは「まだ4歳なんだから、仕方ねえだろ」という開き直りがある。戸籍上は、キッチリ34歳になっているし、世間からも34歳として見られるので、開き直ってはいられないけど……。

上京して、「生まれて」から4年の密度を思う。上京するまでの30年、私の30年間の人生とは、いったいなんだったんだろうか……あと10年、いやあと5年早く上京していれば、もっと豊かな人生もあったかのかもしれない。今さら言っても、仕方ないけど。

「まだ4歳」だから、見るもの、知ること、会う人のすべてが新鮮に感じる。きっと、4歳児から見た世界は、こんな感じなのだろう。与えられる刺激に対して、真綿が水を吸い込むように、あらゆるものが自分のなかに充ちていく。

実際は34歳だから、これからの伸びしろがどれだけあるのかは、わからない。ただ、2016年4月に「生まれた」心はまだ4歳だから、これからも心はたくさんのものを吸収して、成長、あるいは変化をしていくものと信じている。

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