まだ地元にいたころの話。前に勤めていた会社の同期の友人から「ひさびさに飲まないか」と誘われた。入社してから退職するまで、ずっと親しく付き合っていた友人からの誘いだったので、「イイネ!」と即答した。
土曜日の夕方、近くの駅で落ち合って、居酒屋へ入った。料理をつまみながら、ビールを飲む。
当時の私は、新卒で入った会社をやめて、仕事をしていなかった。
「最近どうしてるの?」
友人からそう聞かれたので、当時ハマっていたロードバイクや燻製、旅行や読書の話などをした。
このころは、貯金を取り崩しながら、毎日遊んで暮らしていた。毎日が楽しかったし、友人にも、楽しい話しかしなかった。友人も、楽しそうに聞いているように見えた。
「そっちはどう?」
私がそう聞くと、友人の表情が少し曇った。
友人には、2年付き合っていた恋人がいた。恋人も、おなじ会社の同期で、私も親しくしていたから、よく知っている。
「結婚することになった」
友人がそう言ったので、私はうれしくなって
「おめでとう」
と答えた。なのに、友人は浮かない顔をしていた。
2杯目のビールを注文した。友人が、少しずつ結婚のことを話し始めた。プロポーズしたこと。広い家に引っ越したこと。恋人と一緒に暮らし始めたこと。大きな車を買ったこと。なにもかもが幸せそうに見えたのに、友人の表情は冴えないままだった。
ビールをやめて、熱燗を注文して、ふたりでとっくりをかたむけた。私がどれだけ祝福しても、友人は晴れない顔をしていた。私は笑顔だったが、友人の顔はドンドン暗くなっていった。
杯を重ねて、話を続けていくうちに、友人が私に向かって
「〇〇は、毎日楽しそうでいいね」
と言った。アルコールで曇った意識が、一瞬で冷めていくように感じた。友人の顔を見る。友人は、口もとを少しゆがめて、笑っているような、嘲笑しているような表情をしていた。
「皮肉で言ってる?」
私がそう言うと、友人はバツの悪そうな顔、少し苦笑いになって
「ごめん」
と言った。
少しの間、別の話をした。仕事の話。毎朝8時前には出勤して、毎晩10時近くに退勤していたころの話。土日は疲れてなにもできずに、会社の寮のリビングで一緒にダラダラ過ごしたころの話。
友人は、あいかわらずキリキリと働いていて、あいかわらず土日は身体を休めるだけらしい。
「今は、毎日が日曜日だよ」
私が言うと、友人はため息をつきながら
「うらやましいよ」
と言った。そんな友人の姿を見て、私は失笑してしまった。
私は、友人のことがうらやましかった。私が勤めていた会社、友人が勤めている会社は、地元ではいちばん大きな会社だった。仕事はたしかに楽ではないが、そのぶん給料はいいし、福利厚生はしっかりしているし、会社が倒産することはほぼない。勤め続けられさえすれば、一生安泰である。
私は身体を壊してしまい、その会社をやめざるをえなかった。身体さえ壊さなければ、その会社に定年まで勤めていたかった。仕事はキツかったけど、給料はいいし、福利厚生はしっかりしているし、一生安泰だし。
とっくりが何本か空になり、お互いに酔いが回ってきて、会話がヒートアップしてきた。
「うらやましいなら、会社をやめなよ」
私は、友人にそう言った。多分、相当あおるような口調になっていたと思う。
友人は、また苦笑いになって
「ムリだね」
と答えた。
友人は、結婚を控えていること、とにかく生活にお金がかかること、社会的な信用を失いたくないことを、繰り返し話した。そのために、キツい仕事にも耐えなければならないと。
友人の顔は疲れていて、いろいろ大変なんだろうなあと思った。皮肉を言われて頭にきていたとはいえ、軽々しく「仕事をやめなよ」なんて言って、すまんなとも思った。
ただ、友人の苦労の先には、結婚や家庭、昇進や昇給など、いろいろな幸せが待っている。逆に、フラフラ遊び歩いている私の将来には、多分なにもない。
「うらやましいなら、やっぱり会社をやめなよ」
私がもう一度そう言うと、友人はため息をつきながら
「できるなら、そうしたい」
と言って、そのあとすぐに
「でも、ムリだね」
と答えた。
しばらく、黙ってお酒を飲んでいた。とっくりを3本ほど空けたが、気まずい沈黙が、酔いを冷ませてくれた。
「将来への不安とか、ないの?」
友人が私にそう聞いたので、私は
「ないわけないだろ」
と即答した。私は、貯金を崩して遊び歩いている。貯金がなくなったら、どうなるか。身体を壊してマトモに働けないから、死ぬしかない。ただ当時は、そのことから目を背けていただけだった。
「とにかく楽がしたいんだ」
私は、友人にそう言った。会社勤めで身体を壊して、挫折してしまった。もう二度と、あんな思いはしたくない。日々安穏と生きていたい。苦労をしたくない。そういう話をした。すると友人は
「気にいらない」
と言った。
「楽をするのは、いけないことなの?」
私がムッとして友人にそう聞くと、友人はまた
「ごめん」
と言ったあと
「でも、苦労をしないと、幸せになれない気がする」
と言った。
果たしてそうだろうか。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言います。しかし、私は若いうちに苦労を買いまくった結果、身体を壊してしまった。
『はじめの一歩』というボクシングマンガのなかで、鴨川会長が「努力しても成功するとは限らん、しかし成功するものはすべからく努力しておる」と言っていたので、努力は否定しない。友人も、将来の幸せのために、いま必死に努力している。
ただ「努力しても成功するとは限らん」わけで、努力がすべてだとも思わない。私は、努力して挫折したので、経験的に努力のむなしさを知っている。
努力や苦労が、必ずしも報われるとは限らない。たとえば野口英世は、幼いころに手に大やけどを負いながら、医学者として大成した。これは、努力あっての賜物だと思う。
ただ、一人の成功者の影には、必ずその何百倍、何千倍もの挫折や失敗が存在する。私がいた会社でも、友人のように順調に出世していく影には、私のように挫折する者がたくさんいた。
友人から見たら、私は毎日遊び歩いているように見えたのかもしれない。なんの苦労もなく、毎日楽しく過ごしているように見えたのかもしれない。実際、毎日遊び歩いていて、なんの苦労もなかったし、毎日楽しく過ごしていた。そこは否定しない。
ただ、貯金が尽きたあとのことは、なにも考えていなかった。考えられなかった。ぼんやりと「この暮らしが続けばいいなあ」と思いつつも、「最悪、死ねばいいかな」と考えていた。刹那的というか、投げやりになっていた。
それに、私はもう、友人とおなじものは得られない。家庭も、会社での役職も、社会的な信用も、なにもかも得られない。会社で挫折したことへの劣等感にも、ずっととらわれ続けていた。私が手に入れられなかったなにもかもを持っている友人のことが、うらやましかったし、ねたましかった。
「会社をやめなよ」
私は、友人にもう一度そう言った。
友人は
「イヤだ」
と答えた。
私は、友人に
「それでいいんだよ」
と言った。
友人は、恵まれていると思う。キツい仕事にも耐えられる健康な心身を持っていて、恋人との明るい将来が約束されている。多分いまがいちばんキツくて、この時期さえ過ぎてしまえば、きっと幸せになれる。
私には乗り越えられなかった壁を、友人は乗り越えようとしている。なんとしても成功してほしいし、幸せになってほしいし、応援したい。友人は高いところへ行こうとしていて、私は低いところをウロウロしている。
友人からしたら、底辺で楽をしている私のことを、うらやましく思うこともあるかもしれない。ただ、下を見て「うらやましい」とは思ってほしくない。たとえそれが皮肉であったとしても。
私は私で、楽をしながら幸せになりたい。ミスチル「終わりなき旅」の歌詞に「高ければ高い壁のほうが登ったとき気持ちいいもんな」というのがあります。昔、趣味で登山をやっていたけど、汗をかきながら高い山を登り、てっぺんから見下ろす景色は最高です。
ただ、おなじことが人生にも言えるかというと、そんなことはまったく思わない。壁を登り、越えることが、人生のすべてではない。
聖書にも、こんなことばがある。
あなたがたを襲った試練で、世の常でないものはありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。
新約聖書 コリントの信徒への手紙 一 10章13節
友人は、試練に耐える道を選んだ。それもひとつの道である。私は、試練から逃れる道を選んだ。それもひとつの道である。どちらが正しく、どちらが間違いということはないと思う。
友人の苦労を、友人の努力を否定するつもりはない。友人は、人生のコマを一歩一歩進めようとしている。すばらしいことだし、尊いことだと思う。
反面、私の生活を「気にいらない」と言われるいわれはない。友人が進んで苦労するのは、友人にとって大切なものを築き、守るためだ。同時に、私が進んで楽をするのは、私自身を守るためだ。
結局「となりの芝生は青く見える」という話なんだろう。人生は取捨選択の連続で、自分が捨てたものは、なんだか輝いて見える。友人が私のことをうらやむように、私も友人のことをうらやんでいる。
いろんな生き方がある、あっていい、あるべきだと思う。友人のように、会社に勤めあげ、家庭を築き守ること、立派なことだと思う。私のように、我が身だけを大切に守ること、立派ではないかもしれないが、やむをえないとも思う。
「生きていくのは、大変だ」
友人は、そう言ってまたため息をもらした。
「幸多かれだよ」
私がそう言うと、友人は笑っていた。