遺書は書かない

02.メンタルヘルスのこと
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過去に3度、自殺を図っている。そのなかで一度だけ、遺書を書いた。

当時勤めていた会社、転属先でパワハラを受けて、仕事をバックレて、一月弱のあいだ東日本を放浪していた。

強い希死念慮に駆られていた。会社をバックレた道中で死ぬつもりだったので、そのあいだは毎日の気分、思ったこと、死にたさを、遺書代わりに日記として書いていた。

私が死んだあと、この日記が見つかって、私の気持ちがすこしでも家族に伝わればいいな。そう思っていた。

仕事をバックレているあいだは、毎日死ぬつもりでいた。つねに死ぬタイミングを測っていた。フェリーのなかで、駅のホームで、電車のなかで、ホテルの部屋で、いつでも死ぬことばかりを考えていた。

仕事をバックレて8日後、とうとうそのタイミングがきた。なんとなく人生をやり直したいと思い、経歴不問・住み込みの仕事に応募をして、断られた日だった。「きっと、これからもダメなんだろう」そう思って、死ぬことにした。

まず、日記を書いた。日記には「きょう死ぬ」と書いた。「きょう死ぬ」と書き終えたあと、その日泊まっていたホテルの部屋のドアノブにベルトをひっかけて、首を吊った。

首吊りをしたことがある人(いるのか?)ならわかると思うんだけど、首を吊ると、まず頸動脈が圧迫されて、脳に血液が回らなくなり、意識が薄れてくる。脳が意識を失ったあと、気道が圧迫されて窒息死する。これが首吊り自殺の流れである。

私も、ベルトに首を絞められて、意識が薄れるのを体験した。目の前は暗くなっていくのだけど、同時に一面の明るい光が見える。いままでに味わったことのない、不思議な感覚だった。

「死ぬんだ」今際の際にそう思ったら、安堵よりも、恐怖が勝った。「まだ死にたくない」そう思って、わずかに残った意識を働かせて首からベルトを外した。ノドから一気に空気が入ってきて、むせた。

死にたくないのに、なぜ死のうとしてしまったんだろうか。思い返せば、日記に「きょう死ぬ」と書いたことが、最後の決め手になったような気がする。

遺書代わりの日記に「きょう死ぬ」と書いたことで、自分で自分の背中を押してしまった。本当は死にたくないのに。

遺書を書くときは、当然だけど死ぬことしか考えられなくなる。遺書に「死ぬ」と書くと、「死ぬ」が既定路線になってしまう。たとえ、本当は死にたくなくても。

いまでも、ときおり希死念慮に駆られる。死にたくて、たまらなくなる。でも、いまは頭は「死にたい」でも、心は「死にたくない」ということがわかっている。

最近でも、希死念慮にまかせて遺書を書こうと思ったこともある。ただ、遺書を書く、自分の死を具体的に思い浮かべてしまうと、心がそっちへ引きずられてしまう。なので、希死念慮にまかせて遺書を書くのは控えている。

死にたくはない。希死念慮が私に「死にたい」と思わせているだけで、私自身は「死にたい」とは1ミリも思っていない。そう信じている。

なので、よほどのことがない限り、遺書は書かない。遺書を書くと、遺書に引きずられて、死を選んでしまいそうな気がする。

とはいえ、いつ希死念慮に負けて、死を選ぶことになるかはわからない。なので、遺言というか、死んだあとの後始末の準備はしている。

死んだあとの後始末、まあ遺すものなんてほとんどないのだけど……銀行口座の暗証番号とか、SNSのIDとかパスワードとかは、いまからすべて家族に伝えてある。いつ死んでもいいように。

私の場合、死はワリと身近にある。過去に3度、自殺を図っているし、いつまたそうなるかわからない。心では「死にたくない」と思っていても、希死念慮に抗えなくなる日がくるかもしれない。

ただ、遺書は書かない。遺書を書くと、死ななければならなくなってしまう気がする。死にたくない。自分で自分を死に追いやるようなことは、したくない。

やむをえない事情で、死を選ばなければならない場合は、遺書のひとつも書いておいたほうがいいんだろう。遺書ではないのかもしれないが、靖國神社にある「遊就館」で展示されている特攻隊員の手紙は、遺された人々に生きる尊さを教えてくれる。

ただ、私は特攻隊員ではないし、みずから死を選ぶ理由もとくにない。やっかいな希死念慮に駆られているだけで、それ以外は死ぬ要素が存在しない。なんとなく生きていたくない・死にたくなるだけで、死への強い意志はない。

なので、遺書は書かない。遺書を書くことで、死が具体的になってしまう。「生きたい」と「死にたい」との間で揺れている心が、「死にたい」に振れてしまう。そして「死にたい」が「死ぬ」に変わってしまう。

本当に死ぬときは、家族に想いを遺したい気持ちはある。ただ、それもできれば口頭で直接伝えたい。遺書のように、一方的なかたちでは伝えたくない。

遺書を書くのは、悲しいことだ。遺書を書く人は、きっと死ぬことを決意している。それほどまでに追い込まれて、やっとの思いで遺書を書いているのだと思う。

私は、死ぬことを決意したくはないし、追い込まれたくない。なので、絶対に遺書は書かないと決めている。

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