障害は私のアイデンティティじゃない

03.精神障害のこと
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双極性障害(躁うつ病)になって、もう10年経つ。一昨年には発達障害(ADHD)の診断も出た。もうすっかり障害者である。

双極性障害、ときには寝起きするのもつらいくらい、つらい。今朝も4時に目が覚めて、それから眠れなくなってしまった。生活がメチャクチャになっている。

発達障害も、つらい。つねにソワソワする。物音が異常に気になる。人の話がちゃんと聞けない(聴覚情報として入ってこない)。視覚もしっちゃかめっちゃかである。

そんなわけで、障害のことをメインに、ブログを書いている。双極性障害も発達障害も障害なので、とにかくつらい。つらいという話ばかり書いている。

私のブログ、有益な記事はなにひとつとしてない。「つらい」ということしか書いていないので。なんのためにせっせと書いているのか……という気はするし、せっせと読んでいる人はアホなのではないかとも思う。

ただ、つらいので、どこかに吐き出したい。吐き出さないと、やっていけない。穴に向かって「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶような気持ちで書いている。

ブログとかを書いて、障害のことを発信しはじめてから、もう2年くらい経つ。はじめは「自分の経験をわかちあいたい」という気持ちがあったけど、いまはもうない。いまは、ただひたすら「つらい」一心で書いている。

ブログを書きはじめたころ、心のどこかに「自分は障害を通して特殊な体験をしている」という気持ちがあった。「普通の人」はしない、できない体験をしていて、それを世のなかに伝える義務があるとすら思っていた。

双極性障害と発達障害が、自分のアイデンティティになっていた。双極性障害と発達障害、ふたつの障害を持っていることで、自分は「普通の人」とは違う、なにか特殊な存在なんだと思っていた。

SNSの自己紹介欄にも、ごていねいに「双極性障害/発達障害」と書いていた。おかげさまで、同病の人とたくさん知り合えて、つらさをわかち合うことができた。これはとてもよかった。

ただ、当然うまくいかないこともある。双極性障害も発達障害も、世間的にはスティグマだし、受け入れられないこともある。「伝えたいこと」が「普通の人」に伝わらなくて、ヤキモキしたことは何度もある。

おなじ障害者、おなじ双極性障害、おなじ発達障害でも、内容や程度はおおきく異なる。双極性障害の当事者で私よりうまくやっている人を見てはイラッとしたり、発達障害の当事者で空気の読めない人を見てはイラッとしたりしていた。

そんな体験を積み重ねていくうちに「双極性障害」「発達障害」なんてカテゴライズは無意味なんじゃないか、「双極性障害」「発達障害」というカテゴリーに自分を当てはめるのは無意味なんじゃないかという気持ちになってきた。双極同士・発達同士でも、受け入れられないこともあるし、おなじ箱に入りたくないと思うこともある。

病名・診断名が無意味だとは思わない。病名や診断名がハッキリしないと、適切なケアができないし、それは困る。私が無意味だと思ったのは、「私は障害者である」という自認が強すぎること。

私の診断名はたしかに「双極性障害」「発達障害」なんだけど、じゃあ私がレペゼン双極性障害・レペゼン発達障害になれるかといえば、それはムリだろう。ひとくちに双極性障害・発達障害と言っても、人それぞれいろいろあるし、私がぜんぶ理解することはできない。

自分が「特殊な存在である」という気持ちもなくなってきた。双極性障害にせよ発達障害せよ、患者は山ほどいるし、たいして特殊なことではない。

「自分の体験を伝えたい」という気持ちも、おこがましいなと思うようになってきた。「普通の人」いわゆる健常者のみなさんに、障害者の生きづらさをわかっていただきたいと思っていたけど、健常者は健常者で大変なのだよな。

思い返せば、健常者時代は私も大変だったなァ。どちらかといえば、障害者になってからのほうが、ヌルい暮らしをしているし。だから、健常者に対して一方的に「伝えたい」というより、健常者と「ともに理解しあいたい」と思うようになってきた。

そういうわけで、積極的に「障害当事者」を名乗ることはやめた。双極性障害と発達障害、たしかに私の一要素、それも重要な要素ではあるけど、それは私のすべてではないし、それで私という人間を語りたくない。

いきなり「私は双極性障害です」「私は発達障害です」って言われたら、ウッとなる人は多いんじゃないか。人間関係的にも、初手でいきなり強いカードを切るよりは、すこしずつ理解しあうほうがフェアな気がする。

もちろん、双極性障害や発達障害がつなぐ人の縁というのもあって、それは否定しない。私も、障害がきっかけで本当にたくさんの人と知り合えたし、ありがたいなァと思っている。

ただ、自分を「I am 双極性障害」「I am 発達障害」みたいに見せるのは、もうやめようと思った。障害は私のアイデンティティじゃない。私という人間は「双極性障害の当事者」とか「発達障害の当事者」とかの一語で表せるほど単純ではない。もっと多面的で、複雑なものだ。

自分を「双極性障害」というカテゴリーに入れると、私は「双極性障害の当事者」になってしまうし、自分を「発達障害」というカテゴリーに入れると、私は「発達障害の当事者」になってしまう。双極性障害の当事者であり、発達障害の当事者であることは事実だとしても、そういう一面的な見られ方はイヤだな。

ブログでは、これからも「双極性障害がつらいよ」「発達障害がつらいよ」という話を書いていくんだろうけど……べつに私の人生や生活はそれだけじゃないし。障害にとらわれず、もっとのびのび生きていたい。そのために、自分から「障害」という檻のなかへ閉じこもるようなマネはしないようにしたい。

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