アゲハ蝶をさがす

04.じんせいのこと
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このブログ「悲しき温帯」を読んでくれてる人のほとんどが、Twitter経由だ。私のTwitterフォロワー、精神に病を抱えた人、そのために社会生活に支障をきたしている人がワリと多い気がする。

かく言う私も、双極性障害(躁うつ病)という精神障害が原因で、勤めていた会社をやめざるをえなくなった。以来2年間、さまざまな制度を利用しながらなんとか生き延びてはいるけど、定職にはつけておらず、将来については真っ暗なままである。

いわゆる無職なので、時間はたっぷりある。日本の福祉は充実しているので、いまのところはお金にも困っていない。ヤル気になれば、なんでもできる。ただ、肝心要のヤル気が出ない。

最近、やっと体調が落ち着いてきて、就職する気が出てきた。ただ、過去の仕事の失敗体験(双極性障害のために離職×2)があること、また労働から離れてひさしいこともあり、なかなか就活に踏み切れない。

そんなわけで、いたずらに時間を浪費している。きょうも朝から喫茶店へ行ってコーヒーを飲み、「午後からは、なにかをやるぞ!」と気合いを入れたのに、結局スマホを見ている。

「なにかやるぞ!」とは思うのだけど、なにをやったらいいのかが、ぜんぜんわからない。それに、なにをできる気もしない。「なにかしないと!」という焦燥感、しかしなにもできない自分、どんどん無気力になっていく。

率直に言うと、「死ねたらラクになれるのに」と思う。いや、心から死にたいわけじゃないよ。死にたいか生きたいかで言えば、圧倒的に生きていたい。ただ、生きていくのがしんどい。

無気力感におそわれていても、Twitterを見るくらいはできる。Twitterはサイコー。Twitterのフォロイーさん、何名か、たまに「死にたい」とつぶやいている。最近は「死にたい」とツイートすると、自殺防止ホットラインみたいなのを案内されますね。ほっといてくれと思う。

Twitterのフォロイーさんが「死にたい」とつぶやくと、すこし心配になると同時に、すこしホッとする。「ああ、私以外にも死にたい人はいるんだ」と安心する。こんなことで安心している場合ではないのだけど。

平日の真っ昼間から「死にたい」「生きていたくない」とつぶやいている人がいる。うんうん、わかるよ。この人も、私とおなじように無職なんだろうか。働きたくても働けないのかな。きっとこの人も、私とおなじような無気力さを感じているんだろうか。

べつに私が双極性障害だから「死にたい」と思うわけじゃない。というか、死にたくない、生きていたい。生きていたいんだけど、生きていくハードルが、高い。生きていくハードルが高すぎて、なにをやってもムダ、徒労に終わりそうな予感がする。だから、無気力さを感じてしまう。

朝早くに起きて、何十分何時間も満員電車に乗って、最低8時間は働いて、クタクタになって帰宅して、食事を作って……世間では当たり前のことなのかもしれないけど、私にとっては当たり前にできることではない。ハードルが、高すぎる──。

世間では当たり前のことが、私には当たり前にできない。そのことに無力さを感じて、無気力になってしまう。「普通」で「当たり前」の生活を送っている人がうらやましい。私も「普通」で「当たり前」がよかった。

「普通」で「当たり前」にはなれなくてもいいから、生きていくために、なにかをしなきゃいけない。私には生きる義務が、生きていくための義務がある。ただ、生きていくためになにをすべきで、なにができるのか、さっぱりわからない。

好きに使える時間は、たくさんある。好きに使えるお金も、たくさんではないけどある。自分の好きなように、自由にやったらいいんだ。だけど、自由が過ぎるとかえって身動きがとれなくなるのが、人間の性だ。荒野のど真ん中に放り出されたような、茫漠とした不安を抱えたまま、2年も経ってしまった。

どの方角へ進めばいいのか、わからない。正しい方角、人生の正解が知りたいんだけど、自分では見つけられないし、だれも教えてくれない。っていうか、たぶん正解なんてないんだろう。

サラリーマンだったころは、間違いなく「正解」が見えていた。新卒でサラリーマンになったころのこと、いまでも思い出す。あのときは、30前に結婚して、子どもが生まれて、家を建てて……そんな「正解の人生」を思い浮かべていた。

いまはサラリーマンから脱落してしまって、これからどう生きていけばいいのかわからない。どう生きていきたいか、どう生きていけるか、どう生きていくべきか、最近よく考える。しかし、考えれば考えるほど、人生が困難なものに思えてきて、無気力さが深まっていく。

私には夢や希望もなければ、才能や能力もない。私は社会を求めているけど、社会は私を求めていない気がする。こういうことを考えていると、「私が生きる意味とは……」みたいな気持ちになってきて、いっそう無気力になる。

「なにかしなければならない」と思うけど、「なにをすべきか」がわからない。「なにかしなければならない」と思うけど、なにもできる気がしない。「なにかしなければならない」と思うけど、私はなにもしないほうが、世の中にはかえっていい気さえする。死にたい。

いや、とりあえず、生きてはいたい。うん、生きていたい。2年前に会社をやめてから、主夫じみた生活を始めて、料理をするようになった。昨日は連れ合いから急に「みそ汁が飲みたい!」と言われ、すこし焦ったけど、やってみたら15分くらいでうまくできた。料理が上達してるんだろうか、すこしうれしかった。たまにこういうことがあるから、生きることをやめられない。

Twitterのフォロイーさん、私とおなじく、これからどうしたらいいのかわからなくなってそうなフォロイーさんで、アゲハ蝶を育てている人がいる。その人にとってのアゲハ蝶は、私にとってのみそ汁とおなじで、だから生きていたいんだと思う。

アゲハ蝶が、みそ汁が、私たちを生かしてくれている。気を抜くと「生きていたくない」「死にたい」になってしまうけど、アゲハ蝶が羽化するかぎり、おいしいみそ汁ができあがるかぎり、生きていたいと思える。

情けない話だけど、生きるよすがにすがって生きていくしかない。明日も生きていたい。そのために必要なもの、アゲハ蝶やみそ汁を探して、明日も生きていく。

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