ホームレスを「異世界」として消費する暴力性について

04.じんせいのこと
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(2020年11月16日11:28、元記事にホームレスの方からの掲載許諾を得ている旨の追記がありましたので、一部修正しました。)

またやってくれたぜcakes!さすが私たちのcakes!

calesクリエイターズコンテスト2020の優秀作品がcakes誌上で連載され始めたが、さっそく議論を呼んでいる。

発端となった記事はこちら↓

ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした | ”作る”ホームレスたち | ばぃちぃ | cakes(ケイクス)
河川敷に暮らすホームレスを取材し続けている、ばぃちぃさん夫妻。実際にホームレスのおじさん達を訪問し、話を聞いていくと、そこからホームレスの意外な一面が浮かび上がってきました。cakesクリエイターコンテストの優秀賞を受賞した、異色のノンフィクションをお届けします。

私もある時期に路上生活をしていたこと、以来路上生活者・労働者へ関心を持っていたことがあり、またタイトルにひかれて興味深く読んだ。

筆者であるばぃちぃさんご夫妻は、3年前からホームレスへの支援・取材を続けていたらしい。3年間、なかなかできることではない。すばらしいことだと思う。

取材をするなかで、”ホームレスのおじさんたち”が持つ「意外な姿」にふれる、それをつづったのが、くだんの記事らしいのだけど……。

率直に言うと、非常に稚拙で、グロテスクなものを感じた。まずはっきり書いておくと、この記事のなかに「新しい発見」「新しい知見」はなにもない。ただただホームレスを観察して、それを記録している。

記録なので、ルポタージュなのかとも思ったけど、そういうわけでもない。登場人物は「主人公」であるばぃちぃさんご夫妻のみ、”ホームレスのおじさんたち”は、あくまでも客体として描かれているにすぎない。

たとえるなら、「カブトムシを解剖してみました!」というテーマの自由研究で、バラバラになったカブトムシの死体をそのまま見せられるようなグロテスクさ。あまり気分のいいものではなかった。

私が特に大きな違和感を覚えたのは、以下の部分。

私たち夫婦が田舎の河川敷ホームレスを3年間も継続して取材し続けていられるのは、おじさんたちの生活を見て感じた異世界性が大きい要素なのだ。

https://cakes.mu/posts/31615

私はここに2点、ひっかかりを覚えた。

1点目、ホームレスの生活を「異世界」と表現していること。言うまでもないけど、誰しもがホームレスの状況におちいる可能性はあり、またホームレスの生活とわれわれの生活とは地続きである。

それを「異世界」と表現することで、”ホームレスのおじさんたち”を「われわれ」から疎外し、隔絶して、われわれとは異なるもの、観察の対象、コンテンツに仕立てあげてしまっている。これは立派な暴力の行使である。

2点目、なんのために3年間取材をしていたのか。ばぃちぃさんご夫妻の記事を読むと、興味本位・怖いもの見たさ以上の理由、それ以上の問題提起が見つからない。これをcakesで発表する意義はあるのだろうか。

取材をして、それを発表するとして、コンテンツとして消費されるのは”ホームレスのおじさんたち”であり、ばぃちぃさんご夫妻ではない。発表の主体はばぃちぃさんご夫妻だが、消費される客体はあくまで”ホームレスのおじさんたち”である。

いや、世のなかにはたくさんのノンフィクションやルポタージュがあって、そのなかでは第三者的に消費される客体もたくさんいるから、ばぃちぃさんご夫妻のことをとがめるつもりはない。

ただ、ルポタージュにしては、やはりあまりにも稚拙なのだ。文章はうまい。それは認める。しかし、視座や視点や語りが、あまりにも「他人事」すぎる。

本文のなかにも、「私たちはおじさんたちのような路上生活をしようとは思っていない」

と前置きしたうえで、

それは、私たちが日常生活をしているなかでは触れる機会が少ない体験をおじさんたちを通してできるという刺激が根本にはある。

https://cakes.mu/posts/31615

と結ばれている。徹頭徹尾、自分たちのため。

自分たちの刺激がほしいだけなら、ただ取材だけ続けていればいいだろ。とにかく「安易にコンテンツ化するな」と思った。なぜホームレス(というか、第三者)を安易にコンテンツ化してはいけないのか、理由はちゃんとある。

まず、ホームレスの方々は、自らがコンテンツ化されることを望んでいるのだろうか。アウトサイダーアートのように、当事者自らが自己表現の場を求めるのならともかく、ばぃちぃさんご夫妻の記事に登場する”ホームレスのおじさんたち”は、世間から広く注目を集めたいと思うのだろうか。

いや、思うかもしれない。思うかもしれないね。しかし、ばぃちぃさんの記事からは、肝心なホームレスの方々の顔が見えてこない。声が聞こえてこない。それはそう、彼らは一様に”ホームレスのおじさんたち”とカテゴライズされ、個々の人格を剥奪されているから。これも、立派な暴力だと思う。

たとえば、あなたが人とは変わった趣味や嗜癖を持っていたとしよう。それをおもしろがった第三者から、インターネットへおもしろおかしく晒しあげられたら、どう思うだろうか。ばぃちぃさんご夫妻には悪意がないとしても、それとおなじことをやっている。

ホームレスの方々も、われわれとおなじ人間である(こんなことをイチイチ書かなければならないのがアレだけど)。われわれが持つ権利を、ホームレスの方々も等しく持っている。

たとえ”ホームレスのおじさんたち”の持つ知恵が刺激的で有用であっても、どれだけおもしろくて「知りたい!」と思っても、それを第三者が晒しあげにして消費させる権利などないのだ。ましてや興味本位で。

何度も言うけど、”ホームレスのおじさんたち”を異世界扱いして「われわれ」から疎外すること、そしてその生活を晒しあげにすること、どちらも深刻な暴力になる可能性があり、安易に行使していいものではない。しかし、今回の連載ではごくごく安易に行使されてしまった。

わからない、これから連載が進むにつれて、コンテンツに奥行きが増していくかもしれない。続きが読みたい気持ちも、ないわけではない。ただ、いまの時点では、この記事は”ホームレスのおじさんたち”への一方的な暴力としか見えなかった。

ホームレス(路上生活者)のルポタージュでいえば、宮下忠子さんという方が書いた本が本当におもしろいので読んでほしい。いずれの本も、路上生活者の方々に寄り添って、綿密な取材のうえで、当事者性を持って書かれている。

cakesクリエイターズコンテスト2020には私も応募していたけど、この記事に負けたと思うと、忸怩たる思いがある。

以下のnoteで、多様性に関する言及があったので、すこしふれておく。

ホームレスを異文化扱いしてはだめなのか|池澤 あやか|note
cakes の記事が燃えていて、わたしも Twitter でいらんことを言って巻き込まれ事故しました。まったくの自業自得です。 発言の端々に「私は絶対ホームレスになることはない」という意識を感じますが? いいえ、わたしは前提として「誰でもホームレス状態に陥りうる」と考えています。 健康を害し...

多様性って、この人の言うように「どんな意見でも無批判に受け入れること」ではなくて、「さまざまな人やものの在り方を認めること」だと思う。

本件でいえば、元の記事のほうこそ、”ホームレスのおじさんたち”の多様性を踏みにじっているのではないでしょうか。

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