死にたい。生きていたい。

02.メンタルヘルスのこと
この記事は約6分で読めます。

今日、ひさびさに強めの希死念慮(「死にたい」という観念)に襲われた。理由は明快で、連日遊びほうけて疲弊していたところへ睡眠不足が重なって、要するにすごく疲れていたから(だと思う)。

健康な人なら、すごく疲れたくらいで「死にたい」とはならないと思う。しかし、私は双極性障害(躁うつ病)という精神障害を持っていて、そのためか疲労や睡眠不足などが重なると、突発的に死にたくなる。ちなみに、双極性障害は自殺リスクがけっこう高い。

双極性障害のうつ状態、というわけではない。べつに落ち込みが続いていたわけではない。最近はずっと好調だった。ただ、いきなり死にたくなった。

今日は夜0時就寝の朝4時起床、昼ごろから外出していて、一日じゅう友人と遊んでいた。夕方くらいから、軽い疲労感というか、気持ちに違和感を覚えるようになった。「たぶん寝不足のせいだ、大したことはないだろう」そんなことを考えつつ、夜の10時くらいまで遊んでたら、帰りの電車に乗ったあたりで、猛烈に死にたくなってきた。

総武線津田沼行きに乗って、新宿から代々木、代々木から千駄ヶ谷と、ゆっくり自宅の最寄り駅へと向かう。一駅、また一駅と進むごとに、どんどん気持ちがふさいできて、御茶ノ水駅に差し掛かったあたりで気分が底をついた。

罪業妄想に取りつかれて、「私は生きていないほうがいいんじゃないか」「私が生きていることで周りに迷惑をかけている」「私は死ぬべきだ」そんな考えが頭のなかをグルグルと回っていた。頭がおかしくなりそうだ、走り出したかった、叫び出したかったけど、電車のなかだから必死にガマンした。

小刻みに震えながら、なんとか最寄り駅に着いた。フラフラしながら電車から降りる。心がクタクタで、駅のホームで立ち尽くしてしまった。目の前には線路、もう10分しないうちに、次の電車がホームに入ってくる。

次の電車を待って、飛び込んでしまおうか。そんなことを考えていることに気がついて、あわててホームを離れた。駅を出て、急ぎ足で自宅へ向かう。イヤホンから流れるPerfumeの曲に酔って、足もとがおぼつかなくなっていた。

自宅に着くと、つれあいが温かいお茶をいれて待ってくれていた。換気扇の下、キッチンのイスに座って、お茶を飲み、タバコに火をつける。張り詰めていた緊張の糸がプツッと切れたように、涙が出てきた。

「お風呂入れるよ、暖まってきなよ」つれあいからそう促されて、浴室に入り、湯船につかった。浴室の換気扇の音に混じって、どこか遠いところからノイズのように「死ね」「早く死ね」という声が聞こえる。

お風呂から出て、つれあいにおやすみを言って、自室に入った。ベッドに横たわって眠ろうと思ったけど、嫌に頭が冴えてしまって眠れない。なんとなく、今日死ななければならないような気がしていた。

自殺はむずかしいようで、案外カンタンだ。たとえばベルトで輪っかを作って、それを部屋のドアノブにひっかけて首をくくればいい。今これを書いている最中も、生きるのか、死ぬのかを悩んでいる。

自分は生きている意味がないような気がする。誰からも必要とされていないような、この世界においてはまったく無価値のような。だったら死んだほうがいいんじゃないか。

過去の記事でも何度か書いたけど、基本的に自殺はしたくない。自殺はいやだ。いい悪いではなく、いやだ。

眠れない。死にたい。今日死ななければいけない。死にたくない。明日も生きていたい。相反する感情が渦巻いて、死ぬことと生きること以外はなにも考えられなくなる。

ここまでが昨日の話。ベッドに入って布団をかぶったら、眠前の薬が効いてきて、疲れた身体のスイッチが落ち、無事眠りについた。起きたのは今日の昼すぎ。起きて続きを書いている。昨晩飲んだハーブティーがよかったのか、とてもぐっすり眠れた。昨日の深い落ち込みはすっかり消えていた。

だけど、昨日感じた強い希死念慮、「死ななければならない」「死んだほうがマシ」「死ね」という声が頭にこべりついて離れない。

希死念慮の前には、強い無力感をおぼえる。どうやっても太刀打ちできない、抗えない。過去に3回、自殺を図ったことがある。3回とも失敗して、運よくいまも生きている。だけどいつか自殺してしまう。そんな予感がする。

いま飲んでいる「リーマス(リチウム)」という向精神薬、双極性障害の薬には、自殺を予防する作用があるらしい。自殺を予防する作用とはなんなのか、仕組みはよくわからないけど、もうリーマスに賭けるしかない。

希死念慮との付き合いは長い。もう10年くらいになる。10年間ずっと「死んだほうがいいんじゃないか?」と思っているし、自分の命、自分が生きていることについて常に罪悪感を覚えている。

3年前に結婚した。結婚すれば、もしかしたらこの死にたさ、希死念慮から解放されるかもしれないと思っていた。「残される人」「自死遺族」のことを思えば、もしかしたら自殺を思いとどまることができるかもしれないと。

でもダメだった。昨日の帰り道では、死ぬことばかり考えていた。私が死んで残されるつれあいのことなんて、なにも考えられなかった。私は私がいちばんかわいい。死んでこの「死にたさ」から解放されたい、楽になりたい。残されるつれあいのことなんて考えられない。

繰り返しになるけど、自殺はいやだ。人はみないつか死ぬ。死ぬのはやむをえないにしても、自殺では死にたくない。

希死念慮に襲われているときは、生きていることに罪の意識を感じる。ただ息をしているだけ、電車に乗っているだけ、歩いているだけで、なにか重大な罪を犯しているかのような。「死んだほうがいい」「死ぬべきだ」「死ね」そんな声が、死刑宣告のようにこだまする。

全部私の妄想だ。私の頭がバグっている、文字どおり障害を起こしているから、死ななければならないような気がするだけ。私は生きていていいし、私は生きていたい。希死念慮は私の妄想だと信じているから、なんとか死なずに踏みとどまっている。

もし希死念慮が妄想ではなくなったら、「死んだほうがいい」と確信してしまったら。きっと私は間を置かずに死ぬだろう。私は、私の命にもうなんの価値も見いだせない。「自殺したくない」「生きていたい」そういう個人的な望み、願いにだけすがって生きている。

しばらく希死念慮のことを忘れていたから、ひさびさに死にたくなってハッとした。この気持ちから解放されることはあるのだろうか。前衛映画のエンディングみたいに、ある日突然画面が暗転して、自殺して死んでしまうかもしれない。そう考えると、なんてことない毎日でもとても恐ろしく感じる。

今日は笑って生きているけど、明日には、もしかしたら今夜にはフッと死んでしまうかもしれない。死にたい気持ちが抑えられない。いつもなんとかやり過ごしているけど、いつか耐えられなくなる日が来るかもしれない。そうなったら終わり。

自殺はしたくない。でも、もう自殺しか残されていないような気がする。でも、自殺はしたくない。生きていたい。なんのためかはわからないけど、とにかく生きていたい。なんの根拠もない「生きていたい」という気持ちだけが、生きるよすがになっている。

・関連記事

自殺してほしくない
もう何年になるかわからないが、現在に至るまで、ずっと希死念慮が抑えられない。実際に死のうとしたことも何度かあるし、うち一回は病院へ運ばれて、周りの人に大きな迷惑を掛けた。自分で何度か試してみたが、薬をODして死ぬのは、なかなかむず...
希死念慮とどう付き合っていったらいいのか
2014年に、双極性障害(躁うつ病)を患って以来、定期的に希死念慮(死にたいという思い)に襲われる。軽く「あっ、死にたい」みたいな思いがよぎるだけのときもあれば、ひどいときは「私は死ななければならない!」みたいな、強い焦燥感に苛まれること...
自殺したくない
過去、自殺を図ったこと(自殺企図)が、3回ある。1回目は、向精神薬のOD(オーバードーズ・過量服薬)で、このときは精神科の閉鎖病棟へ入院させられた。2回目・3回目は首吊りで、一回は未遂、一回は失敗した。数ヶ月前まで、毎晩のように強...
死にたい人へ
ずっと「死にたい(希死念慮)」に取りつかれている。とりあえず事実として、私は過去に3回、自殺を図ったことがある。いまもまだ生きているので、3回とも失敗した。1回目は、過量服薬(いわゆるオーバードーズ、OD)で自殺を図った。死ぬため...
タイトルとURLをコピーしました