待つ

05.家庭のこと
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勤めていた会社をやめてから、先月末でちょうど2年経った。この2年間どう過ごしていたかというと、さまざまな制度を利用しながら勤労から逃れて、なかば主夫然とした生活を送っていた。家事はサボりがちなので、自信を持って「主夫です」とは言えない。

いわゆる「髪結いの亭主」なので、朝につれあいが仕事へ行くのを見送ってから、夜に仕事から帰ってくるのを、ずっと待っている。朝はだいたい8時から、夜もだいたい8時まで、12時間ずっと「待っている」。

もちろん、12時間ボーッと待っているわけではない。洗濯をしたり、洗い物をしたり、喫茶店へ行ったり、書き物をしたり、マニキュアを塗ったり、YouTubeを見たり、昼寝をしたりしている。常になにかしらはしている。だけど、心のなかでは、常につれあいの帰りを待っている。

きょうは、つれあいから「帰りが遅くなる」と連絡が来ていた。夜まで家にひとり。なので、夕方にピザを一枚焼いて、ひとりでぜんぶ食べた。洗い物も、オーブンの掃除もほったらかしにして、ベッドで夕寝した。好き放題した。好き放題したあと、ほったらかしにしていた家事を片付けた。なのに、つれあいはまだ帰ってきていない。さみしい。

仕方なく、キッチンの換気扇の下でタバコを吸っている。いつもならつれあいもいっしょにタバコを吸っているはずなのだけど、きょうは帰りが遅いので、ひとり。

最近、この「待つ」感覚に悩まされている。仕事へ行くつれあいを見送ってから、帰宅したつれあいを迎えるまでの12時間、心のなかにはずっと「待つ」感覚が居座っていて、とても居心地が悪い。

夕方、つれあいから「退勤した」とLINEが入る。退勤時間から、だいたい何時何分ごろに帰宅するか予測する。つれあいは寄り道をせず最短距離で、電車の乗換や信号待ちの時間は考慮せず、4km/hの早歩きで帰ってくるものとして予測する。

その予測をもとに「待つ」。のだけど、まあつれあいが寄り道することもあるし、電車が時間通り来なかったりするし、帰宅ついでに買い物をしてくれたりするしで、予測通りには帰ってきてくれない。すこしイライラする。

朝から晩まで、つれあいのことを考えて、気もそぞろになっている。「愛しい」とか「切ない」みたいな詩的な感覚ではなく、ただ帰りが待ち遠しい。早く帰ってきてくれないと、困る。

「待つ」感覚に囚われているあいだは、ほかごともあまり手につかない。街で人と待ち合わせている最中って、スマホをいじるか、軽く読書するくらいしかやることなくなりますよね? 家にいるのにあんな感じ、12時間ずっとあんな感じになっている。

なぜ待ってしまうのだろうか。食事の時間のこととか、生活サイクルのこととか、合理的な理由はいくらでも出てくるけど、どれもしっくりこない。つれあいがいなくても食事はとれるけど、ひとりでとる食事はおいしくない。つれあいいなくても眠れるけど、ひとりだと朝になっても起きる気がしない。

待っているあいだは、ずっとさみしい。「早く帰ってこないかな」ずっとそんなことを考えている。いい大人が情けないとは思うけど……さみしいものは仕方がない。

ひとりで暮らしていたころは、ひとりでもさみしくなかった。ひとりでいるのが当然だったし。結婚してからも、仕事をしているころはさみしくなかった。仕事をやめたら、その余白にドッとさみしさがなだれ込んできた。つくづくワガママだなあと思う。

仕事をしていたころの私、大変に社交的だった。結婚してからも大変に社交的なのが治らず、仕事帰りは必ず飲みに行って、家には寝に帰る、みたいな生活をしていた。そんなころ、つれあいから「さみしい」と言われたことがある。当時は意味がわからなかったけど、いまはよくわかる。ふたりなのにひとりなのは、さみしいね。

結婚したのを後悔するレベルで、さみしい。つれあいと一緒にならなければ、こんなさみしさを味わうことはなかったのかもしれない。あるいは私も仕事をすべき、たぶんコレが正解なんだろうけど……。

きょうもつれあいを待っている。まだ帰ってこないんだけど、私には「早く帰ってこい」と言う資格はない。私にも、つれあいを待たせていた前科があるので。でもさみしい。早く帰ってこないかな。帰宅を催促するLINEを送ろうとして、やめて。それを繰り返している。

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