上京と転職のこと

05.家庭のこと
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私はいま無職だけど、去年までは都内の中小企業に勤めていた。それ以前の経歴を簡単に説明すると、名古屋の大学を卒業後、岐阜県の大手企業に就職。そこを退職したあとはしばらく無職、その後フリーターになった。

フリーター時代、かなり充実していた。特殊な職場なのでここには書かないけど、業務負担はそれほどではないし、なによりやりがいがあった。新規事業で、仕事を1から創っていくのはとても楽しい。小さなビジネスだったけど、当時としては先進的な業態で、社長は何度か地元メディアの取材を受けていた。共同事業みたいな話も多く出ていて、業務責任者として地元の名士みたいな人と話す機会も何度かあった。

反面、給与がメチャクチャ低い。当初の時給が680円。この仕事はハローワークで見つけたんだけど、そもそも岐阜県の最低賃金を下回っている。はじめは気づかなかった。気づいて社長に指摘したら、時給が最低賃金と同額まで上がったけど、なんだかなあという感じだ。あくまでアルバイトなので、国保や年金は自分で払わなければならない。手取りは多くても15万弱だった。

あと、労働日数・労働時間も長い。だいたい毎日午前11時に出社する。多忙というわけではないけど、やることは多い。仕事が終わるのは23時過ぎ、家に帰ると日付が変わっている。多いときは、それが丸一月休みなく続く。そりゃ当時の私はたしかに趣味は少ないし、独身だしで不都合はないのかもしれないけど、これではあまりにも自分の時間がなさすぎる。

何ヶ月か勤めて、だいたいの採算ラインが見えてきたから、社長に対して雇用形態の見直しや昇給を何度も要求した。しかし、毎回玉虫色の回答が帰ってくるだけだった。半年ほどして、ずっとこのままの生活が続いたらどうしよう。時間もない、お金もないまま歳だけを重ねていったら、どう生きていけばいいのだろうか。30歳を過ぎて、将来への不安が膨らんでいく。

そんな折、短い休みを使って東京へ旅行した。Twitterで知り合った友人たちと、2泊3日の旅行中めいっぱい遊んでもらった。いまの暮らしは楽しくないけど、東京はすごく楽しい。岐阜と違って活気にあふれている。企業も多い。東京なら、どこかに私が満足して働ける場所があるんじゃないか。そんな考えが頭に宿った。

私は新卒から正社員だったので、正社員信仰みたいなのが強い。新卒の会社は銀行で、各種ローンの審査などを担当したこともあるけど、そういう面でもやはり正社員は強い。

「じゃあ岐阜で正社員になればいいじゃん」って思われるかもしれないけど、岐阜県、特に私が住んでいた地域は、とにかく給与水準が低い。給与が額面で15万円の求人とかがザラにある。そんなところで長時間・長期間働くくらいなら、フリーターのほうがまだマシだ。

東京旅行のおりに恋人(現在のつれあい)と出会って、それからも親しくしていた。あるとき私が「上京したい」と言ったら、恋人は「じゃあウチに居候して仕事を探せ」と言ってくれた。こうして、私の転職活動が始まった。アルバイトを辞めた。同居の親からは「ちゃんとした就職先を見つけられるなら行ってもいい」という条件つきで許可を得て、都内にあった恋人の家に転がり込んだ。

実はこれ以前にも、新卒の会社にいるころに転職活動をしたことがあった。勝手はある程度わかっていたので、とりあえず履歴書と職務経歴書を作成し、転職サイトに片っ端からアップロードしていく。すると、いくつかの企業や転職エージェントから面談の申し出が来た。

入口の段階では10社程度とメールをやり取りし、相性が悪そうなところは切る。そうしてはじめて転職エージェントとの面談にいたった。この人が、私の人生を変えてくれた人、恋人に次ぐ私の恩人、中川さん(仮名)である。

中川さんとは何度かメールをやり取りしたあと、「ぜひ直接会いたい」という話になった。転職エージェントが求職者と面談する場合、求職者がエージェントのオフィスを訪問し、端末で求人情報などを見ながら面談するのが一般的だ。しかし、中川さんが指定した場所はオフィスでもなんでもない、新宿の焼き鳥屋だった。私は不安になった。それはもう不安になったが、なんとなく「行かなければならない」気がしていた。

乗り慣れない東京の電車に乗り、新宿へ向かう。中川さんからは「東南口で落ち合いましょう」と言われていたが、私は新宿駅で迷い、やっとこ地上に出たと思ったらそこは南口だった。

なんとか中川さんと合流し、予定の焼き鳥屋へ入った。控えめに言っても小汚い店で、ビジネスの話をするにはとても不適当に思えた。ビールで乾杯して、名刺をいただき、軽く自己紹介をして、出方を伺う。

「なんで東京で仕事を探すんです?」他愛もない話をして、軽く打ち解けたころ、中川さんがそう切り出した。そうだよ、こういう話をしに来たんだよ。

私は、岐阜での暮らしに希望が持てないこと、新卒の会社で味わった挫折感、東京で人生をやり直したいことを切々と説いた。私の話をひと通り聞いて、中川さんは「お力にはなれませんが、〇〇さんは岐阜で就職したほうがいいと思いますよ、遠い東京でおなじ苦労をすることはないし」と言った。

わざわざ呼び出しておいて、岐阜へ帰れっていうのか? かなり頭にきたけど、努めて冷静に、なぜ東京へ来たいのか、給与水準や求人数などを引き合いに出して中川さんに説明する。すると中川さんは「だったら、名古屋あたりで妥協してもいいじゃないですか」と言った。

たしかにその通り。名古屋は岐阜に近い大都市だ。岐阜とは比較にならないほど仕事はあるだろうし、岐阜と比べれば給与水準も高いだろう。私が抱えている悩みに対して、名古屋で転職先を探すのがもっとも無難で妥当な判断に思える。

でも、名古屋じゃダメなんだ。名古屋は岐阜と地続き、いや地続きって言ったら本州どこでもそうなんだけど、東京でないとダメなんだ。私は、自分の人生を飛躍させたい。ここでジャンプできなかったら、そのまま底なし沼に沈んでしまう。そういう瞬間なんだ。名古屋には新卒の会社の支店もたくさんある、新卒の会社の呪縛から逃れられない。私は私の人生をリセットしたいんだ。

中川さんのことは、初見でなんとなく信頼できる人だと思っていた。初回面談場所が焼き鳥屋だったのは不安だったけど……私のこういう勘はだいたい当たる。この人なら、私の言うことを真摯に聞いてくれるし、必ず私の力になってくれる。そう信じて、「どうしても東京へ来たい」と中川さんに訴えた。

私の話を聞いて、中川さんは少し考えこんだあと、「わかりました、必ず上京させます」と言ってくれた。こうして、中川さんと私の共同戦線が始まる。だが、この時点で、「恋人の家に居候している」ということは伝えていない。なんとなく言うのが恥ずかしくなり、都内のホテルに滞在していることになっている。

はじめに面接した会社は、不動産関係の会社だった。中川さんと同僚のエージェントが、面接に同席してくれた。面接官から「なぜ東京へ来たいのか?」と聞かれた。ここで岐阜の悪口を言うのはマズいので、もっともらしい理由をいくつか並べたが、面接官はさらに深掘りをしてくる。

何度も何度も同じ質問を繰り返しているうちに、答えに窮して「恋人が東京にいる」と白状してしまった。結果、「隠し事をするのはいけない」という理由で、不採用の通知をもらった。

翌日中川さんから電話がかかってきて、「話があるから新橋まで来てほしい」と言われた。新橋のドトールで中川さんと落ち合うと、会うなり「どうして言ってくれなかったんですか!」と軽く叱責された。その場で自分の現況、恋人の家に居候していることなどを話して、それもあって上京したい、ということを伝えた。中川さんは終始ニヤニヤしていた。

「なぜ地方から上京するのか?」という当然の質問に対して「東京に恋人がいるから」という回答は絶大な効力を発揮する。もっと早く行使していればよかった。このあと受けた物流会社から内定をもらい、中川さんとがっちり握手をして、引越しの準備のために一旦岐阜へ帰った。

まあ、上手くいかないのが人生である。入社後に着るワイシャツを買った帰り、中川さんから電話がかかってきた。

「内定が取り消されました」

意味がわからなくて、頭が真っ白になった。だって私はもうワイシャツを買ったんだよ? それなのに内定取り消しって。っていうか、内定ってそんなカジュアルに取り消していいのかよ。

詳しい事情は省くけど、要するに先方の会社と意思疎通の齟齬があったらしい。さらに要約すると中川さんの過失なんだけど、不思議と中川さんを責める気にはならなかった。しょうがないよね、次頑張ろう。「絶対にイモ引かないでくださいね」中川さんに念を押し、ふたたび恋人の家へ転がり込んだ。

2度目の東京暮し、一月ぶりくらいに会った中川さんから「転職した」と告げられた。へえ、転職エージェントも転職するんですね。っていうか、私の転職はどうなるんですか? 中川さんを問い詰めると、「次も転職エージェントの会社です、引き続き面倒を見ます」とのことで、少し冷や汗をかいた。

2度目は楽勝だった。2社しか受けていないが、2社とも内定をもらい、そして前職の会社の内定を拝受した。今度は念のため、書面で内定通知書をもらった。

中川さんと祝杯をあげて、一旦地元へ戻った。親に「内定が出たから上京する」と告げると、「やっていけるはずがない」「せめて名古屋あたりにしろ」「岐阜を離れるな」「躁状態じゃないのか」と言われた。

躁状態については、たしかに親の言うことにも一理あるなと思ったけど、ともあれ約束通り「ちゃんとした就職先を見つけた」から「絶対に上京する」と言い張って、最後は親が折れた。

このときは既にマイカーを処分していたので、家具や家財を買うのに両親と一緒に行ったのだけど、「アレは必要ないか」「コレもあったほうがいい」と、最後まであれこれ世話を焼いてくれたのを覚えている。

都内にマンションを借りて、前職の会社へ就職し、新生活が始まる。中川さんはその後前職の弊社の担当になって、社に来る都度挨拶をしていたが、なぜか人事担当者から出禁をくらって、それ以来は外で会うようになった。

その後中川さんが都外へ行ってしまい、以来疎遠になっているが、今でもご健勝であることを祈る。

私が上京できたこと、そして上京後の暮らしが続いていること、ひとえに人の導きであるところが大きい。突き詰めていけば、東京の友人たちがあたたかく迎えてくれたこと、東京に住む恋人が手を差し伸べてくれたこと、中川さんが背中を強く押してくれたこと、その3つに尽きる。どれかが欠けてもダメだった。もしもどれかが欠けていたら、たぶん今でも岐阜で意味不明な人生を送っていたと思う。

あと、岐阜での暮らしに強い不満を持っていたこと。私の場合、岐阜で暮らしていくことには不満よりもっと強い、将来への不可能さみたいなものを感じていた。まあ上京してなんとかなってるかといえば、今のところどうにもなってないし、苦労も多いんだけど……でも、少なくとも岐阜にいたころよりは絶対にマシだ。断言していい。人生に窮しているタイミングで友人たちと、恋人と、中川さんと出会えて、本当によかった。

岐阜に住んでいたころは、ずっと「私の人生はもう終わりだ」と思っていた。映画のエンドロールが流れていて、それをボーッと見つめているような、そんな感覚。上京してからは、つらいこともたくさんあった、いまもつらいけど、なんとなく人生の物語の最中を生きている感じがする。

上京してからいろんな人と会って、自分がいかに近視眼的であったか、自分で自分の生き方を制限していたかを理解した。いま無職ながらのんべんだらりと生きていられるのも、上京して視野が広がった、さまざまな可能性が見えてきたおかげなのかもしれない。

私の場合は、上京という形でいろんなことが好転したけど、こういうケースばかりじゃないこともわかってる。以前「無職は上京しろ」とツイートしたことがあって、いまでもやはりそう思っているけど……たとえば無職でも、いまの暮らしにさして不満を感じていない場合は、現状を維持したほうがいいのかもしれない。

上京に限らず、やりたいことや叶えたいことがあったら、できるだけ行動に移したほうがいいと思う。もちろんこれも状況による。家庭があるのに突然仕事を辞めて見通しの立たない事業を立ち上げ、みたいなのはダメだと思うし、法や人倫に反することはすべきではないけど。

上手くいくかどうか、最終的には運だと思う。いくら頭を搾っても、ダメなときはダメだし、勢い任せで適当にやっても上手くいくときは上手くいく私にとって上京は博打だったけど、私は運がよかった。

まあ、それを言ったら人生博打の連続なんだよな。誕生から進学、就職や転職、結婚や出産、転勤や転居、全部博打だ。だったら、自分の意志で丁半張ったほうがよくないか。おなじ後悔をするにしても、成り行き任せで後悔するより、自分で選んで後悔したほうがいい。私はそう思う。

人生は運任せだけど、運は一種の確率だから、1回やってダメでも、5回やれば上手くいくことがある。ダメでも諦めたり腐ったりせず、休み休みやり続けよう。まあ諸般の事情(金や家庭ど)で、そう何度もリトライできない現実はありますが……。

人生はなにが起こるかわからない。些細な出会いが物事を大きく変えることもあるし、小さな出来事が一大事へとつながっていくこともある。「ここぞ」というときは波に乗ろう。手持ちのチップを全部ベットしよう。自分の人生に主体的にコミットしよう。そういうのが、人生の楽しみだと思う。

私は、後悔だらけの人生だ。親の勧める大学に行かなければ、パワハラから逃げていれば、もっと早く新卒の会社を辞めていれば、そんなことでいまだに悩んでいる。パワハラの被害や精神障害は、私の力ではどう頑張っても回復させることはできない。

ただ、少なくとも自分の意志で主体的に選んだこと、上京、就職、結婚などについては、一切後悔していない。なぜなら、それらの責任はすべて私にあり、私の努力で改善できることなので。

チャンスはそこらへんに転がっているが、チャンスの女神に後ろ髪はない。その日を摘め。そして、死ぬときに後悔の無い生き方をしたい。

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