2021年になった

05.家庭のこと
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あけましておめでとうございます。ブログの更新をだいぶんサボっていました。すべてはうまくいかない就活のせいです。なにもかも就活が悪い。

就活はうまくいっていませんが、生活はワリとうまくいっている。年が明けてから今日で4日目だけど、新年の清冽な雰囲気も手伝ってか、非常に清々しい気持ちで過ごしている。

大みそか、年越しの瞬間は、自宅のリビングで迎えた。

地元にいたころは、実家近くの寺で年を越して、除夜の鐘をつき、そのまま近くの神社へ初詣に行くのが定番のコースだった。最近は地元の友人とも疎遠になっているし、今年はコロナのせいでそもそも帰省できない。

今の住まいの近所にも大きな神社があるけど、時勢をかんがみてか、大みそかから元旦にかけては夜間・早朝の参拝を中止していた。

2019年の大みそかには、家族で高尾山を詣でたことを思い出した。2019年は、参道の行列のなかで新年を迎えた。2019年12月31日11時59分から2020年1月1日0時ちょうどになった瞬間、うれしくなって歓声を上げながら拍手をした。まわりの参拝客を見ると、みんなしめやかに新年を祝っていて、バカみたいにはしゃいでいるのは私だけだった。すこし恥ずかしくなったことを思い出した。

2020年は、特別感のない年越し。もともと特別なにかをする予定もなかったけど、あまりにもなにもないことに対する焦りみたいなものを感じて、年越しそばをゆでることにした。

紅白が流れるテレビの前から離れ、11時半ごろから慌ててそばをゆで始めた。そばがゆで上がるころには紅白は終わっていて、ゆく年くる年を観ながらそばをすすった。

0時になって、2021年になった。テレビの画面の向こうでは、どこかのお寺で除夜の鐘が鳴っていた。つれあいは普段と変わらない様子で、キッチンの換気扇の下でタバコを吸っていた。

世間が盛り上がっていようが盛り下がっていようが、新年になれば勝手にテンションが上がる。つれあいに向かって、何度も「あけましておめでとう!」「今年もよろしく!」と言っていたら明け方になっていた。浮かれぽんち。

1月3日に、近所の神社で初詣をした。例年なら神社の敷地の外の外まではみ出すという参拝客の列も、今年はささやかなものだった。賽銭に5円玉を投げて、いいご縁がありますように、無事に来年を迎えられるようにと祈った。

参拝を済ませて、おみくじを引いた。私は信心深いほうではない、そもそもクリスチャンなんだけど、神社のおみくじは毎年必ず引く。大吉が出るまで何度も引く。

今年は一発で大吉を引き当てた。幸先のいいスタートだ。とてもうれしくなった。おみくじには「桃桜花とりどりに咲き出でて風長閑なる庭の面哉」という和歌が詠まれていた。今年の冬の寒さも厳しいけど、遠くないうちにまた春がきて、柔らかな色の花が咲く。

真冬の寒い日が続く。気温だけでなく、今年はいろんな意味で寒い。寒々しい。寒々しい世の中だからこそ、みんなには幸せであってほしいと強く願う。神社のおみくじを引く列で、香水臭いババアに割り込みをされたけど、人類の幸福と平和を願っているのでなにも言わずにいた。

世の中はハチャメチャだけど、私の生活に目を凝らしてみると、いつもと変わらない、いい新年の迎え方だったと思う。新年を祝い、つれあいと他愛もない話をして、友人と遊んで、今年はどんな年になるだろうかと思いを馳せる。

三が日はボサッとしていたらあっという間に終わってしまって、つれあいは今日から仕事始め、私も今日から面接が始まった。わが家では、今日から2021年が始まる。

新しい一年、どうか幸の多いものとなってほしい。私にとっても、家族にとっても、友人にとっても、すべての人々にとっても。神社で氏神様に向かって手を合わせながら、そんなことを考えていた。

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